「監督以前①」(須藤蓮③)~【連載/逆光の乱反射vol.16】
『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都での先行上映もはじまり、出生の地である広島を出て日本全国を闊歩しはじめた映画『逆光』。これからは熱狂的な地域限定ではなく、より多くの土地で、多くの人の目に触れながら作品としての評価を固めていく時期に入るだろう。
さて、そんな中、個人的にはどうしてもこの「逆光の乱反射」でやっておきたい企画があった。須藤蓮に会って言葉を交わすうちに、はたして彼はどうしてこのような人物に育ったのか、どういう過去を経て今に至るのか、強い興味を惹かれたのである。
須藤蓮が須藤蓮になるためにたどったThe Long And Winding Road――深夜のリモートで3時間の話を聞き終えたとき、これは一体誰の半生なのだろうと思った。だから一人称単数でそれを記しておきたいと思った。
映画『逆光』、その光の裏にある闇にまつわる物語。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕は東京で生まれ、東京で育った。
ただし東京といっても都会ではない。隣りは神奈川に面したようなところ。山も見えるし田んぼも残る。そんな場所で僕は生まれた。
家族は4つ上に兄がいる2人兄弟。父は誰もが知っている電機メーカーに務め、母は保育士。おそらく父は営業をやっていたのだと思うのが、実際どんなことをしていたのかはよく知らない。父はきまじめで無口な人だ。今は子会社の社長で収まっているので、きっと成功した人生を歩んでいるのだと思う。
子供の頃はとにかく虫が好きだった。
物心つく前から母と土を掘り、イモムシを探した。遊びといえばいつも虫とり。今でも幼少期の記憶で輝かしいものは虫にまつわるものばかりだ。山や川に行き、そこで何かを捕獲してくる狩猟の日々。家の中にはたくさんのケージが並び、カマキリ、トカゲ、アリジゴク、ザリガニ、ヘビ……捕まえてきたものはなんでも飼った。
特に好きだったのは虫が何かを食べているところだ。バッタが草を食べているのを見るのが好きだった。トカゲがコオロギを食べている姿が見たくて、草むらに行ってコオロギを何匹も捕まえた。
一番記憶に残っている昆虫はタイコウチ、ゲンゴロウといった水生昆虫。当時、僕にとって『小学館の図鑑NEO 昆虫』はバイブルでページが擦り切れるくらい読み込んでいたが、そこに載っている彼らの存在にとても憧れていた。東京ではめったに見られない彼らを捕まえたときは本当に嬉しく、僕は大事に大事にそれを飼った。しかし宝物だったタイコウチはあるとき脱走を試み、学校から帰ってくると玄関で干からびて死んでいた。僕は悲しくて狂ったように泣いた。小3か小4の頃である。
小学校時代はいじめとか、きつい経験はなかった。性格柄、誰かに何かを強制されることがイヤで、学校で出された宿題はやらなかったが勉強はできた。小5から学習塾に通わされるようになり、だんだん外で遊ぶ時間が減っていった。
何かを強制されるのがイヤな性分のせいで、塾にもまったくなじめなかった。「これをやりなさい」と言われると、どうしても反発してしまう。だから塾に入った5年生のときより、6年生のときの方が成績は悪かった。塾では講師の目を盗んでカードゲームばかりやっていた。気がつけば中学受験直前、僕は一番上のクラスから一番下のクラスに落ちていた。これはダメだろうと思ったが、なぜか第一志望の中学にだけは合格した。他はほとんど落ちたが、そこは記述問題しかなかったのがよかったのだろう。
僕は練馬にある武蔵高等学校中学校に通うことになった。
ラッキーによる第一志望の有名校の合格、しかしそれは僕にとって地獄のはじまりだった。
合格したとはいえ、たまたま受かっただけの僕の学力は生徒の中で最底辺だった。まず数学が一切ついていけない。英語もわからない。国語も社会も全部できなかった。中1のときの成績は下から数えて3番目くらいだった。
その現実は十代の心には厳しいものだった。ロクに勉強してなかったにせよ、小学校時代はクラスで1~2位につけていたのだ。それが中学では完全に落ちこぼれである。学校は個性を大事にする校風で、偏差値をうるさく言うことはなかったが、それでも落ちこぼれは落ちこぼれだった。僕はテストで悪い点をとるたびトイレで泣いた。そしてまったく授業についていけないことに慣れると、次第に勉強を諦めていった。
ここで、もうひとつの話をしておきたい。家庭の話だ。
僕の家庭は「教育的な家庭」だった。どちらかというとスパルタと呼んでいいと思う。もしかしたら常軌を逸していたこともあったと思う。
そうした教育へのプレッシャーは僕も少し受けたが、それでも僕は次男だった。僕よりさらに強く、親の圧力を受けたのは長男である兄貴だった。兄は4つ上で、勉強も運動も僕よりできる人だった。子供の頃の4歳差というのは大きなものだ。僕は兄を尊敬していたが、僕が小学5年の頃、つまり中学卒業~高校入学の頃から兄はおかしくなった。両親からのプレッシャーに反発し、抵抗し、そして爆発したのだ。兄はグレた。髪を金髪に染め、身体にタトゥーを入れ、高校を中退した。ドロップアウトした兄は家に帰ってこなくなった。僕は小6の頃からしばらくの間、兄との交流を失ってしまう。
僕の場合、次男だったので、まだ両親からの重圧はぬるいものだった。兄への圧力を100だとすると、僕への風当たりは10くらいだろうか。真正面から両親とぶつかる兄の様子を片目で見ながら、僕はこずるく、小器用に面倒をくぐり抜けようとしていた。
しかし中学で落ちこぼれたことからはじまり、気付けば僕も兄の後を追っていた。中2の終わりから、僕は金髪にピアスで学校に行くようになった。
僕はやっぱり兄に憧れていたのだろうか? 兄には金髪に染める手伝いをしてもらった思い出もある。兄のことは簡単に話せるものではない。
ちなみに僕の次作『ブルーロンド』は兄への想いがテーマになった作品だ。(つづく)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?