「脚本家の頭の中④」(渡辺あや①)【連載/逆光の乱反射vol.13】
『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。
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個人的には渡辺と須藤の組み合わせは「学校の映画部の顧問と部長」というイメージがしっくりくる。猪突猛進の部長に、ひとつひとつ作り手としてのマナーを教えていく経験豊富なサリバン先生。一方の部長は部長で顧問を誰よりも信じ、引っ込み思案の才能をオモテに引っ張り出そうと画策する――こんな2人のでこぼこコンビネーションは、年配者と若者の理想のコラボレーションのように見えてくる。
水をかけたらビューッて膨らむおしぼりがあるじゃないですか。須藤蓮の正体って、実はそれだと思うんです(笑)。「なんか見たことないけど面白そうだぞ」って。何が育つかわからないけどこのタネ、面白そうだから水をかけてみよう、と。そしたらウワーッと育っていって。私自身も観察しながら「は~!」って思ってる最中というか。まだその過程にいる感じですね。
興味深い話がある。渡辺の両親はともに小学校の教師で、彼女は教育者の家系に生まれたという。だからだろうか、渡辺は本能的に「教育」に目線が向いているフシがある。大学を舞台とした『ワンダーウォール』も『今ここにある危機~』も、彼女にとっては必然だったのかもしれない(ちなみに渡辺の先祖には社会活動家もいるとか・笑)。
私は教育者の娘であり、親戚も多かったので両親以外の大人たちに育てられたような感覚があって。なので自分がこの年齢になったとき、まっとうなオバサンとしてやるべきことが自然にわかってたんです。
それがよかったと思うのが、いま私の同世代でそれなりに出世した人たちが一様に元気がなくて。どうやらそれは「中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)」と呼ばれるものらしく。ある程度の年齢になると自分のキャリアの限界が見えて、「もうこれ以上先にいけない!」って絶望しちゃうらしいんです。でもそれってもっと早い段階で「自分のことはもうどうでもいい。下の世代を育てて彼らの成長が自分の手柄だ」って気持ちを切り替えられてたら、そんな危機に陥らないと思うんです。ある種、自分のキャリアのことしか考えてないことによる、おじさんたちの自業自得というか。
いま若くて面白い人たちがいっぱい出てきてて。「水をかけたらこんなに育つ!」とか面白いことはいっぱいあるんだけど、それを下からの突き上げというか自分のピンチに感じてしまったらキリがないじゃないですか。
ミドルエイジ・クライシスとは以下のようなことであるが、この発言は大きな示唆に富んでいる。いつまでも偉そうにふんぞり返ってるオジサン&オバサン(オジイサン&オバアサン)たち。下の世代に道を譲り、後進を育てていくことが自分の仕事と切り替えらえたら新たな生き方が見えてくるんじゃないか?――というのは一考の余地がある提言だ。
そういえば有名なエリクソンの発達段階でも40~65歳の「壮年期」は「子供を育てたり職場の後進を育成するなど、次世代への貢献により『世話(care)』というチカラを獲得する」「一方、共同体に関与せず常に自分のことだけ考えて生きてると『停滞』が発生する」と書かれている。
一方の渡辺自身も今回の自主映画制作・配給活動によって大きな刺激を得たという。そのひとつがロケ地である尾道で出会った、新しい生き方をはじめている人たちの姿だ。
尾道は自分の常識がガラガラと崩れていくような生き方をされてる方が多くて。今って「新しい時代が来る」と言われてるじゃないですか。風の時代。こういう人たちの意識がこれから先、普通になっていくんじゃないかと思わされます。
たとえば『家賃0円ハウス』というプロジェクトをやってる村上大樹さんは因島在住。空き家をタダ同然で手に入れて、家族3人で月3万円くらいの生活費で暮らしておられるんです。東京住まいの頃は毎月莫大な家賃を払ってたのに、今は家賃ゼロで、1週間に3日くらい働けば暮らしていける生活。さらに村上さんは他の空き家も改修して、今の世の中にしんどさを感じる人たちに期間限定で貸してあげる活動をされてるんです。
普通、生活費のかからない生活って田舎で自給自足のイメージがあるけど、尾道が面白いのはそれが街中で循環してるところで。もちろんそれは街の1~2%かもしれないけど、それを成り立たせてるのは新しいなぁと思うんです。ここにはすごくいろんなヒントや可能性があると思ってて。いま社会を見渡しても、どうしていいかわからないような大きすぎる問題が多いけど、こういうところから希望が生まれてくるような気もします。
最後に、渡辺にこの『逆光』プロジェクトによって何を成し遂げたいのか聞いてみた。秘められた「顧問の野望」とは一体?
『逆光』の野望は……若い人たちが楽しそうに、のびのびと好きなことをやれてたらいいなって思いますね。誰も我慢せず、その人が100%のサイズで存在できている状態であってほしい。
あと、映画を観た人にとっても「こんなことやっていいんだ」「これなら自分もやれそうだな」って思ってもらえる作品になればいいですね。私はどんな作品を作るときもそうだけど、なにかしら生命力を喚起できたらと思うんです。単純にごはんをおいしそうに食べてるからお腹が空いてきた、でもいいんですけど(笑)。若い人たちが元気になって、楽しくなって、もっともっと自分たちが人生を謳歌できるように社会をデザインし直すぞって思ってくれたらいいなと思います。
まったくの余談だが、渡辺と須藤の2人を見ていて忘れられないシーンがある。それはある書店で打ち合わせを終えたときのこと、店の方が2人にサインを書いてほしいと白い紙を出したのだが、2人とも「えー!」「どうしよう?」とモジモジした上、書いたと思ったら2人そろって用紙のすみっこにちょこんとした文字……。さっきまでの堂々たるプレゼンテーションがウソのように、2人の態度は瓜二つだったのだ。
一見「顧問と部長」のようだが、ときには仲良しきょうだいのようにも見える2人。その共通する遺伝子は実は「すみっコぐらしの小心者」だったとしたら、『逆光』という作品も以前と違って見えるのではないだろうか?(この項、終わり)
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