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「須藤蓮の右腕①」(永長優樹)~【連載/逆光の乱反射vol.21】

『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。

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須藤 蓮が初めて広島市に足を踏み入れた3月25日、須藤、渡辺あやら“ご一行”の後ろを付いて回る、ひとりの男の子がいた。男の子と書くと子供じみているように聞こえるが、齢を聞くと20歳。当時24歳の須藤と比べても若い。色が白く、落ち着いた様子ではあるが、まわりにナメられないよう静かに虚勢を張ってる感じも伝わってきて、そこが微笑ましいというかあどけないというか、見た目以上に“男の子”という印象を受けた。

永長優樹。東京世田谷出身、東京育ち。現在明治大学情報コミュニケーション学部3年生。彼が『逆光』の何に関わったかと言えば、この時期はそれを模索している時期だったのだろう。

彼に興味を持ったのは、翌日須藤がいたずらっぽい表情で「昨日ナガオサを泣かせたんですよ」と言ってきたことがきっかけだった。「どうしたの?」と聞くと「アイツに聞いてください」と言う。永長に向かって「どうしたの?」と聞くと、困ったような恥ずかしいような顔を見せながら、ぽつりぽつりと語りはじめた。

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それは……僕がみなさんを本当の意味で信頼し切れていなかったっていうのと、僕の態度が傲慢になってたっていうか……昨日別れてホテルのエレベーターに乗ったとき「さっきの会議で出た案、どうだったんでしょうね?」って蓮くんに言ったんです。そしたら「どうしてそう思った?」って聞き返されて言葉が全然出てこなくて……部屋でもう一度話すことにしたんです。昨夜はいろんな大人たちが配給のアイデアを出してくれて。それは今の自分にはマネできない発想力と行動力で、それに対して「僕は何もできてない!」という焦りがあって。勝手に粗探しをしたというか嫉妬したというか。それを蓮くんに指摘されたんです。「それって大人を信じてないってことじゃない? リスペクトが足りないと思う」って……。


「大人へのリスペクトが足りない」と𠮟る24歳、それを受けて涙を流す20歳。「青春」という言葉がふさわしいこの青臭さ、一途さの中に『逆光』という作品が内包している熱量の一端が表れている気がして、やけに心に引っかかった。

永長優樹にとって須藤は通っていた学習塾の先輩にあたる人物だ。

初めて会ったのは高3のとき。須藤は大学生になった卒塾生のひとりとして呼ばれ、教壇に立って話をした。そのとき永長は受験勉強に対して「こんなことをして何の意味があるんだろう?」と疑問を感じていた。その質問を須藤にぶつけると「受験勉強に意味なんて何もないよ。でもなにかひとつのことを頑張ることには意味があると思う」という答えが返ってきた。

「受験勉強には意味がない」――そのセリフを聞いたときには反射的に腹が立ったが、「やっぱそうか」と安堵している自分がいた。ずっと心に溜まっていた違和感が少しずつほぐれていった。

「そういうことを言う人がいるんだったら、大学に行ってみる価値はあるかもな」

そこから逆に勉強に熱が入り、現役で合格した。そして大学に入学後、改めて先輩にコンタクトをとった。


永長は高校時代“空白の3年間”をすごしていた。

中学までサッカーに懸けていた永長は、サッカー有名校に入れなかったことで自身のアイデンティティを見失った。一応サッカー部に籍は置いているものの、そこは弱小校なので1年生から10番を付けていてもどこか虚しい。一方、一歳下の久保建英はFC東京でトップデビューし、かつてのチームメイトたちもプロ契約を結んだり全国大会に出場したりと華々しい活躍を見せていた。

どんどんまわりに抜かれていく自分に焦りを感じ、だったら学歴で見返すしか道はないと心を決めた。しかしそれが自己満足の抵抗であることも心のどこかでわかっていた。だから勉強に身は入らないけど、かといってどうしていいかもわからない……そんなときに出会ったのが須藤蓮だった。「受験勉強に意味はない」という言葉だった。

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大学入学後、永長は須藤のオッカケであり、ストーカーであり、舎弟のような存在になった。『ワンダーウォール』のモデルとなった京都・吉田寮も勝手に訪ね、そこに泊まった。その原動力となったのは「蓮くんの見ている世界を見てみたい」という気持ちだった。自分が探しているものの答えを4歳年上の彼が持っていると思い込んでいた。

そして今年、「映画の公開に合わせてクラファンやろうと思うんだけど手伝ってくんない?」と声がかかった。尾道・広島試写のタイミングで「おまえも広島に来いよ」と言われた。「よっしゃ!」と心が跳ね上がった。そして初めて尾道の町に降り立ち、これまでまわりにいなかったような人たちと出会い、広島で自分の居場所のなさに戸惑い、焦り、追い込まれて虚勢を張り、それを見とがめられて涙を流した――このときが映画公開4ヶ月前の3月末。

それから5ヶ月後、広島県内での『逆光』の上映が幕を閉じようとする夏のおわり、永長は尾道にいた。2021年7~8月のほぼ2ヶ月弱を永長は尾道ですごした。それほど長く東京を離れるのも、実家を離れて暮らすのも彼にとって初めての経験だった。(つづく)

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