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「京都は春①」(大成海)~【連載/逆光の乱反射 vol.28】

『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。

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 鴨川の川べりには黄色い花が咲き、多くの人たちが散歩をしたり、水面に足を浸したりして楽しんでいた。まっことうららかな京都の春である。

冬の東京のしばれる日々を抜け、現在は関西で公開活動を展開中の『逆光』チーム御一行。もともと京都は『ワンダーウォール』舞台の地、須藤蓮と渡辺あやが出会ったはじまりの地であるがゆえ、ホームに戻ったような感覚だろうと思っていたが、Instagramを見ると想像以上に満喫している様子。

ということで東京に行った帰りに立ち寄ってみると、その日はたまたま六曜社珈琲店で「昭和喫茶へ行こう」なるイベントを行う日で、そこで思いがけず「『逆光』京都チーム」の面々と対面することができた。

みんな若い……のはともかく、この光景は何だ?

違和感を覚えたのは、イベントを前にした六曜社でのミーティングの時だった。須藤を中心に5~6人のスタッフが顔を寄せる。指示を出す須藤。スタッフが彼に質問し、一緒に対応策を話し合う。

その時、たまたま舞台挨拶からの流れでみーここと木越明も京都に残っていたが、彼女も物販の釣り銭を用意したりとテキパキ働いている。こちらも横に座るスタッフから質問を受け、あたふたしながらも準備を進めている。

思えば広島では須藤たちが中心となって配給活動を行っていたといっても、実際の現場はオトナが仕切っていた。そこには多くの場合、渡辺あやがいたし、広島地区の宣伝を担った兼永みのりの力があった。須藤たちヤングチームは出会いのキッカケを作った後は、オトナがコーディネートした舞台の上で踊っていたというのが正直なところだった。

しかし京都には渡辺も兼永もいない。彼らは文字通り自分たちだけでネットワークを広げ、お店と交渉し、イベントを計画し、来客者たちを迎えなければならなかった。広島では自由奔放な末っ子キャラとしてふんわり漂っていた木越がお金の計算をしている場面(苦手そう!)などその最たるもので、活動の自主性・主体性が明らかに濃くなっていたわけである。手伝いましょうか、みーこさん!

つまり京都では(おじさん視点でいうと)若者から若者へ、ヤングパワー中心で活動が行われていた。もちろんそこに「オヤジたらし」須藤の蜘蛛の糸にかかった年長者はからんでくるが、基本は若者の、若者による、若者に向けられた乱反射。個人的にはそれがとても健全で理想的な状況のように見えたのである。

そんな中、1人の若者から声をかけられた。

彼の名は大成海(おおなり・かい)。大正解みたいだが大正解みたいな名前である。故郷は広島で、実は母親が広島蔦屋書店での『逆光』イベントに関係していたという奇遇の人だが、普段から文章を書いているという。

現在大学4年生。「就職どうするの?」と尋ねると、今は出版社(ミシマ社!)などでバイトをしていて、できればそこに就職したいけど、できなくてもそのまま京都に残ってしばらく今の生活を続けるつもりだと答える。

「フリーター」なんて言葉もあまり聞かなくなった昨今、きちんと悩んで、きちんと夢を見て、きちんと悶々として(結構のんきに)答えを出そうとしている姿に好感を抱いた。そしてその在り様は京都という街の影響を思い切り受けているような気がした。

なんだろう、この街の黙々と我が道を往く姿勢は。多くの観光客に笑顔を作りつつも、この街の人たちは遠い未来と過去を見て、自分の道を歩いている気がする。そこに対する静かな誇りが電波のように街中を覆っている。

ということで、乱反射の京都編は彼に託すことにした。大成海による『逆光』京都レポート、3回に分けて掲載しよう。

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『逆光』という映画に出会ったのは、21年のことであった。その夏、広島は尾道で映画が封切られ、東京へゆく前に京都でちょっと寄り道をするかのように、出町座にて2週間の京都先行上映が行われた。ぼくはこの2週間の上映期間の最終日に『逆光』を観た。その日のことは今でもよく記憶している。

夏が終わりを迎える頃、喫茶ゴゴのテーブル席に座り、これから観る『逆光』の監督・須藤蓮のインタビュー記事を読み耽っていた。ぼくも好きな映画監督、ウォン・カーウァイやトラン・アン・ユンの名前が須藤蓮の口から出ているのを見つけ、高揚した。そして記事に夢中になりすぎたせいで、急いでゴゴを飛び出し、出町座へ走ること5分、上映開始ギリギリで、息を切らし、汗をかきながら出町座へ入った。

こんにちは。ぼくの名前は大成海(おおなり・かい)。3月より、『逆光』京都上映のプロモーションスタッフとして、監督の須藤蓮にくっついて京都の中を駆け回っている。仕事といえば仕事だし、遊びといえば遊びともいえるこの活動、「プロモーションスタッフ」と名乗った方が聞こえが良さそうなので、そう名乗っている。

そんなぼくが今回、『逆光の乱反射』を書かせていただくことになった。はじめましての方ばかりだと思うので、とりあえず自己紹介をしようと思う。やはり、「お前は誰だ」と思われながら読まれるより、「あなたは大成の文章なのね」と思って読んでいただいた方が、ぼくの『逆光の乱反射』も少しリラックスしていられるらしい。

ぼくは京都の大学に通う21歳。現在は残りの単位習得に追われながら、学生最後の1年を謳歌している真っ最中。コロナ禍をきっかけに、虫のように本と映画を貪るようになった。僕が最も愛おしいと思う映画を挙げるとすれば、それは『地下鉄のザジ』。

たまに絵を描いてみたり、コラージュなんかを作ってみたり、ギターで弾き語ってみたり、レコード屋さんや家具屋さんへ遊びに行ったついでにお酒を飲んで家に帰ってはまた酒を飲む。出版社と書店と宿泊施設でアルバイトをして、そんな日常を文章で表現する。このようにフラフラと京都での学生生活を堪能している。

さて、ぼくが『逆光』のプロモーションスタッフをしようと思ったわけであるが、そこには運命的な理由がある。

ぼくは広島に生まれ、広島で育った。そして、ぼくの母親は広島蔦屋書店でデザインなどの仕事をしている。『逆光』は広島の尾道を舞台に撮られた映画であるということもあり、監督・須藤蓮が広島蔦屋書店でイベントを行ったり、広島蔦屋書店がオリジナルで『逆光ZINE』を作ったりした。その『逆光ZINE』のデザインや、店内に展示されるパネルを手掛けたのは何を隠そう、ぼくの母親である。

ちなみに、ぼくは出版社で日々パネルを作る仕事をしており、そのスキルが予め備わっていたこともあり、京都で使っている『逆光』パネルは全てぼくが担当した。つまり、『逆光』のパネルは全て大成親子が作成したというわけだ。運命的というのはまさにこのことだ。

ということで、『逆光』が広島で公開される前から、「『逆光』が……、須藤蓮くんが……、」という話を母親から聞かされ、ぼくは出町座の先行上映に行った。作品はもちろんのこと、ぼくはその「映画の届け方」に大きく惹かれた。「東京から地方へ」という通常の配給方法をとらず、上映している地域に滞在し、街の人に合いながら自分の手で映画を届けるという方法だ。

もちろん、いかに効率よく配給を進めてより多くの客を集める映画も、映画産業が永続的に続いていくためには必要不可欠である。しかし、その映画産業の中心から少し離れたところにある自主映画は、それぞれが手間と時間をかけて独特な届け方をした方が、映画産業は元気になると思っている。

実際、先行上映で『逆光』を観ただけでは、「映像が綺麗で、古着や三島、たばこなど、ぼくの趣味趣向に突き刺さる要素が詰まっていて好きな映画」で終わっていただろう。しかし、『逆光』のスタッフとして働き、須藤蓮の背中を見続け、新しいスキルを身に付け、いろんな人に出会ったことで、『逆光』が「人生を変えるきっかけになるであろう映画」となった。本当に人生が変わるのかは、まだわからないけれど……。

2022年1月、『逆光』の東京上映が終わり、映画『逆光』と須藤蓮が京都に来ることを知った。動かずにはいられなかった。Instagramのメッセージで、『逆光』への長いラブレター――例えば、自分が映画に狂っていることや、初めて出町座で観た作品は『ワンダーウォール』だったこと、広島が大好きなので『逆光』に共感すること、そして是非とも京都上映のお手伝いをさせてほしいということ――を送った。

その数日後、京都の下見にやってきた監督の須藤蓮さん、脚本の渡辺あやさん、配給の永長優樹さん、そして京都で映画監督をしている同大学、同学年の寺尾都麦さんとお会いして、喫茶店でお話をした。

「京都で何をしようか?」「どんなイベントだったら行きたい?」と聞かれても何も思い浮かばない。それはそうだ。勉強不足だったため、『逆光』に関する情報も十分ではないし、全員が初対面の方であり、しかも俳優兼映画監督、そして大脚本家までいらっしゃる。一端の大大学生がこのような場面に遭遇すると、緊張して口数が極端に減るのもごく自然なことだ。「あの時はなんであんなに静かだったの?」と須藤蓮に聞かれるほどガチガチに緊張しており、ぼく自身もその自覚はある。他の4名がコーヒーとココアの狭間で迷いながら、どっちにしようかと盛り上がっている最中、ぼくは盛り上がりきれず、一度決めたホットコーヒーから離れる余地がなかった。それくらい緊張していた。

こうして、ぼくは『逆光』チームの一員となった。が、まさか毎日須藤蓮と会って活動を共にしたり、多くの京都の大人たちや若者と繋がることになったり、ましてや『逆光の乱反射』をぼくが書くことになるなんて、思いもしなかった。それがぼくと『逆光』の出会いだ。 (つづく)


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