みなさん、お久しぶりです。映画『逆光』のもろもろに関する連作ドキュメント「逆光の乱反射」から早一年。久方ぶりの続報です。
『逆光』と同じく監督&主演・須藤蓮×脚本・渡辺あやコンビの2作目『ABYSS アビス』が公開になったことはみなさんご存じのことかと思います。
9月15日、渋谷シネクイント、小山シネマロブレで封切りになった本作。「映画を鑑賞するだけでなく“映画体験”を生み出す」という彼らの意志を証明するように、渋谷PARCOの屋上でマルチカルチャー・イベント「MOVIE GO ROUND(通称:ムーゴラ)」を開催したり、須藤蓮の幅広いネットワークを使って公開時に成田悠輔(経済学者)、筒井真理子(女優)、深田晃司(映画監督)、カツセマサヒコ(作家)、玄理(女優)らとのアフタートークを企画したり、今回もさまざまな試みが行われている。
その流れの中、広島サロンシネマ(10月14日よりシネマ尾道)で公開。広島県は前作『逆光』の撮影の舞台となったことで須藤が広島市内のスタッフのマンションや尾道市内のゲストハウスなどに住み込み、草の根的な配給活動を展開したというのはこのnoteで書いた通りだ。
さて、その公開初日である10月6日(土)夜の回の上映後、須藤と渡辺が参加してのトークイベントが行われた。話し相手は広島在住のイラストレーター・カミガキヒロフミと私から成る2人組文化系ユニット「ホントーBOYS」。私たちが以前やっていたラジオ番組『ホントーBOYSの文化系クリエイター会議』(HFM、2022年末に終了)に2人がゲスト出演いただいたことがある縁で今回大役を仰せつかった。
映画『逆光』広島公開時 ということで、今回ひさしぶりの「逆光の乱反射」は、そのトークイベントの模様をお届けする。トークは上映後に行われたためネタバレばりばりなので、読まれる方はそのあたりご注意いただきたい。アテンション!
トークは穏やかな雰囲気ではじまった。まずは広島初日を迎えた須藤の挨拶から。
もう東京での2週間の上映は終わってるんですけど、改めてもう一回初日を迎えたような気分です。やっぱり前作『逆光』の舞台が広島県(尾道)で、宣伝のときに広島に2~3ヶ月滞在してましたから。そのとき関わってくださった方々に自分の新しい作品を観てもらえる緊張感やプレッシャーは格別です。 いま振り返れば、『逆光』をやってるときはガムシャラに走り回ってて、周囲で何が起こっているか見る余裕がなかったんです。でも昨日渡辺あやさんが広島での出来事をインスタグラムにまとめてくださってて。そのエネルギーの量を見ると「自分はとてつもないことをしてたんだな!」と感じられて、改めて「今の自分が当時の自分に負けてはいけない」という気持ちを持ちました。それくらい2年前の公開は自分にとって特別な体験でした。(須藤)
ここで会場に来た方々に尋ねてみる。前作『逆光』を観た方とそうでない方、どれくらいか? すると6:4で、『ABYSS』で初めてこのコンビの作品に触れた方も意外と多く、2人からは喜びの声があがる。
観客と一緒に初見で作品を鑑賞したカミガキは開口一番、「気持ちのいい、イヤな感じのラスト」がツボにハマったと発言。渡辺にこのラストは想定して書いたのかと質問する。
あんまりどう思わせようとは考えてなくて……私が考えたのは、この物語の中の2人がどこに着地したら腑に落ちるかってことだけなんです。脚本を書いてるときはこの2人に幸せになってほしいと思うけど、とはいえ自分の中でそれにリアリティが持てるかどうかが重要で。この2人の未来を自分的に正直に想像したとき、「たぶん、ここまでだな」というか。この2人の若者が短期間で成長して新しい道を切り拓くラストはどうしても想像できなかったんです。(渡辺)
カミガキからは劇中のキャラクターのリアリティについても言及があった。特にうなったのは主人公・ケイのバイト先の先輩であるタクマ先輩(松本 亮)。
タクマは僕が以前アルバイトしていたクラブの先輩をそのまんま書いてます(笑)。脚本は渡辺あやさんと共同で書かせていただいたんですけど、脳みそで考えたものだと一切読んでいただけないんです。なので「自分が肉体で得た体験でしか物語を書かない」というルールで書くと、ああいうキャラクターが出てくるんです (須藤)
本作のストーリーは須藤の過去の実体験があちこちに反映されている。脚本はそれをベースに渡辺がサポートするという方法で作成された。この共同脚本の執筆は具体的にどのような形で進められたのだろう?
後半、ケイとルミが都会から田舎に駆け出すシーンがあるじゃないですか。あそこまでは僕が書いた脚本をあやさんに直していただくという形で進めました。僕が3シーンくらい書いてあやさんに送って、セリフなど手直ししてもらうっていう。ただ物語が終盤に入るにつれて僕の手に負えなくなって……。事前の打ち合わせで「後半は田舎に移動して、ラストは抽象的なものを表現する」ってところまでは決めてたので、ここからは僕の仕事じゃないなと思ってお預けしました(笑) (須藤)
須藤くんが書いた脚本には私が絶対書けないタクマ先輩とかアスカ(近藤笑菜)が出てきて、自分が書けないキャラクターだから読んでて面白かったです。とはいえ田舎に向かう後半以降のストーリーは、『このシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの話をどうすれば普通のボーイ・ミーツ・ガールで終わらせない作品にできるか?』ということがテーマになって。私と須藤くんと共有できる最大公約数的なものに着地させなければいけないというのが課題だったんです。私は須藤くんじゃないと描けないものしか書きたくないし、最後の流れも須藤くんが監督じゃなかったらああはしなかった。脚本は彼独自の感受性や表現力を見極めて、彼だったら撮れるんじゃないかってものを提示しましたけど、それは私自身の最大でもあったんですよね (渡辺)
作品の発端は須藤で、それを引き継いで完成形を示したのが渡辺という役割分担なのだろう。その制作の過程で須藤は作品タイトルを変更した。ずっと『ブルーロンド』という題名で進んでいたが、途中で現在の『ABYSS アビス』に変えたのだ。
この物語の発端は「傷つく人ってどうしてこんなに何度も傷つくんだろう?」という素朴な疑問からで。そういうイメージで最初は『ブルーロンド』ってタイトルを付けてたんです。だけど撮影してるうちに撮影があまりに大変すぎて、このタイトルが嫌いになっちゃって(笑)。それに『ブルーロンド』ってタイトルだと結局男女の恋愛物語に留まってしまう気がしたんです。『ABYSS』というのは深海・深淵という意味。脚本についてあやさんと話してるとき「海の目にひきずりこまれる」というイメージを提案されて、“海の目”って大いなるものというか人知を超えた力のようなもので……それでより抽象性の高いこの言葉に変えました (須藤)
前作『逆光』撮影時に須藤は24歳。『ABYSS』はそれから2年が経った2本目の監督作となる。横から見ていた渡辺に須藤の成長はどう映ったのだろう?
本作は『逆光』から相当難易度が上がった作品なので、須藤くんの成長と共にあったと思います。ただ、撮影終了後、最初に編集したものはあまりにも酷かったんです(笑)。そのとき、編集はもう終わってるはずなのに須藤くんが完成版をなかなか見せくれなくて。どうも私が怖いから、これは私に見せられないと思ったんでしょうね(笑)。それでしびれを切らしてプロデューサーに送ってもらったら、これがとんでもない駄作で。それで『逆光』の京都宣伝の最終日に呼び出して、「とんでもない駄作ができてますけど、どうします?」って聞いたんです (渡辺)
そんな生易しい言い方じゃないかったですよ! 「箸にも棒にもかからない凡作」って言われたんです(笑)。そのとき目の前にあったお盆が欠けてたんですけど、「あなたがやってるのは、お盆が欠けてるとわかっていながらこのお盆でお茶を出してるってことだ」とまで言われましたからね。僕は一回そこで首が斬られて、コロコロと落ちたんです(笑)。そこから真の死闘がはじまりましたね (須藤)
でも須藤くんがすごいのは、首を斬るとその首を自分でくっつけて、やばいやばい!って言いながら足りない部分を洗い出して、追撮(追加撮影)を決めて、そのお金も自分で集めてくるところなんです。そこは信頼できるところですよ (渡辺)
歳の離れたスパルタ指導は『逆光』に続き、今作でも健在だったようだ。処女作『逆光』を超えるため、「監督・須藤蓮」も「主演・須藤蓮」もギリギリを目指した。
最後に「生きてたくないよ!」って叫ぶシーンがあるんですけど、監督としてはそれがどれだけ大事なシーンかわかってて、でも自分の求める状態に役者としての自分が追い付かないんです。あそこは撮影のラストシーンだったけど、最終的には14テイク回して。1日じゃ終わらなくて次の日も撮り続けて……。自分が命かけて作ってる映画の一番大事なシーンで自分がままならないっていうのが本当に悔しくて、だからあのときの「生きてたくないよ!」ってセリフは僕の本心なんです(笑)。撮影が終わった後は放心状態でしたね (須藤)
渡辺の口からは創作の秘密のようなものも漏れた。
私には創作に入ったときにだけ開く回路みたいなものがあって、それが世界の秘密を教えてくれるような気がするんです。普段は日常的な世界を生きてるんですけど、その上にもうひとつ大きな層があって、その世界の秘密は創作を通してだけ知ることができるっていう―― (渡辺)
トークイベントは客席からの質問やフォトタイムの時間も設け、すべて終了したのは1時間10分後。作品を観た直後に、それを作った本人からこれだけたっぷりしたティーチインを受けられることなどなかなかないだろう。ただ、こうした時間を持つことで作品に対する思い入れや解釈が増す可能性があるのなら、それをやらない手はない――それが彼らが言うところの“映画体験”のポテンシャルである。
あまりに長い時間大事にしすぎた作品なので、ある時点まで自分の言葉で作品を語ることができなかったんです。それが昨日くらいからやっと語れるようになって。それって賛否両論あるこうした作品を受けとめてくださるスケールのある劇場とお客様がいて初めて紡げるものだと思うんです。今日はそういう場を作ってくださり、多くの方に作品を受け止めていただけて嬉しいです (須藤)
観客との密なダイアローグがあることで、作り手も自作に対する理解を深めることができる。今回の“映画体験”は観客だけでなく、須藤・渡辺の両者にとっても得るものは大きかったようだ。
これから『ABYSS アビス』は関西・名古屋・福岡とさらに日本中を回っていく。