「監督以前⑤」(須藤蓮③)~【連載/逆光の乱反射vol.20】
『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。
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そんな人生最悪の時期に出会ったのが『ワンダーウォール』だった。
今でも憶えている。オーディションのときのあの光景。目の前にはその後、僕に大きな影響を与えることになる人たちがズラリと顔を揃えていた。監督の前田悠希、制作統括の寺岡環、そして脚本家・渡辺あや……彼らが並ぶ絵面がもう完璧だった。彼らと対峙して一瞬で僕は舞い上がっていた。ずっと探していた人、信頼できる大人たちがここにいる。そのことを肌で感じて興奮していた。
その中でも、あやさんの目は今でも忘れられない。あやさんの目は本当に澄んでいた。大の大人がこんなピュアな目をするんだということに惹き込まれた。当時の僕はこの人が渡辺あやであることも知らず、渡辺あやがどんな功績を残してきたかも知らない。それでも「この人だ!」というのは直感的に思ったし、「いつかこの人と仕事をしたい」と強く思った。
そもそもオーディション前から『ワンダーウォール』という作品に対する予感はビリビリ感じていた。初めて脚本を呼んで面白いと思った。企画書には「あなたがいま生きづらいと思うことを書いてください」というアンケートが付いていて、僕は想いの丈を書き殴った。
ずっと探していた人たちに会えた高揚感からか、オーディションでは自然な芝居ができた。たぶんスタッフとはほとんど言葉を交わしていないはず。出会えたことが嬉しくて、ずっとニコニコしていたと思う。
こんな素人、合格はムリだろうと思いながらも、結果はずっと気になっていた。「あのオーディションどうでした?」。マネージャーには嫌がられるくらい何度も聞いた。そして2週間後、合格通知が届いた。しかも絶対この役がいいと思っていたキューピー役! 作品に出られるならチョイ役でも何でもいいと思っていたが、本当はキューピー役がやりたかった。初めてのセリフのある役だ。僕は合格の電話を居酒屋で受けて、大げさではなく飛び上がった。ウョーッシ! 人生でこんなに嬉しかったのは慶応に合格したとき以来のことだ。
現場は本当に素晴らしかった。人生一の出来事だと言ってもいい。僕にとって天国だった。
それは初めて自分のすべてをぶつけることのできる場所だった。僕は作品のモデルとなった近衛寮に行き、滋賀に作られたセットに泊まり込んだ。出番がなくても現場にいて、誰かを捕まえては話をした。これまで僕は有名大学、司法試験といった資本主義至上の世界、そして地元のヤンキーや渋谷のクラブといった暴力至上の世界、2つの世界しか知らず、そのどちらにも適応できなかった。しかし『ワンダーウォール』の現場は初めて自分が自分でいられる場所だった。そのことが嬉しくて仕方なかった。
一体どうして僕はこの現場にそこまで惹かれたのか? 僕の俳優としての人生は偏差値や収入、社会的地位……そういうものに対する疑問からはじまっている。ここにいる人たちはその答えを知っている人だった。だから僕は現場で彼らに質問を投げかけ続けた。
その中でも渡辺あやという存在は別格だった。現場の誰もがあやさんのことを尊敬していた。大人にこれだけ尊敬される人というのは一体どういう人なのか、あやさんに対する興味は尽きなかった。それなのに高飛車なところはなく、傲慢なことを言えば自分とどこかメンタリティが似ているようにも感じられた。僕はおそるおそるあやさんに話しかけた。初めて話しかけるときは恐怖と緊張で声が震えた。
今でも忘れられない言葉がある。僕は出会って早々、あやさんに自分のやりたいことをまくしたてた。今の資本主義至上の社会に対して疑問を感じていること。作品を通して世の中を変えたいこと。あやさんは「俳優をやめろ」と僕に言った。「それをやるのは俳優ではムリだ」と。その言葉の意味を知るのは、しばらく経ってからのことになる。
不思議なことに僕は『ワンダーウォール』の現場で役者からはまったく影響を受けなかった。あの作品は中崎敏、三村和敬、岡山天音、若葉竜也……と気鋭の若手俳優が一緒だったが、僕は同世代の彼らからは刺激を感じなかった。もちろん彼らは大事な仲間だし、尊敬している。だがどこか自分とは違う種族だと思っているところがある。僕が求めているのは人生の師匠であり、僕が目指す先に立っているのはあやさんのような人なのだ。
『いだてん』『よこがお』……その後も僕は俳優として素晴らしい作品に出演させてもらうが、やはり俳優という職業で満ち足りることはできなかった。演技で社会に旗を立てることはできない。僕は芝居だけで自分のアイデンティティを燃やし尽くすことはどうしてもできなかった。
僕は作るもののすべてに関わりたい。打ち合わせから入りたいし、壇上で作品について話したい。観てくれた人がいれば議論をしたい。僕は作品全体を背負い、作品全体を使って自分のエネルギーを放出したいのだ。
だから僕は映画監督になったのだと思う。
25年間の人生で今ほど自分らしくいられているときはない。『逆光』では『ワンダーウォール』以来燃焼しきれなかったエネルギーを初めて燃やし尽くせた気がする。
遠回りや迷い道もあったが、僕の人生は着実に前に進んでいる。映画監督はきっと一生続けると思う。今、それだけは確かに言えることだ。(この項、おわり)
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