今日から書き出したいって話。

 ぐりです。
 僕は今日、にゃいむに「一緒のブログとかやりたい!」って言われて、それはもう楽しそうでうっきうきでnoteのページを立ち上げました。現在の時刻は18時ちょうど。「ウッキウキで作ったんだろうなあWWWWW」と煽りのDMが来ています。果たしてこのような所業が許されてもよいのでしょうか。お父さんお母さん、今までお世話になってきた方々、散々な別れ方をしてきた元カノの皆さん。本当にすみません、僕は今インターネットで仲良くなった友人とnoteを立ち上げるのにわくわくして、挙句の果てには相手からバカにされるような存在です。割と心地が良い。本質はどこまで行ってもマゾヒストであることに変わりはなかったようです。

 本題に入ります。なぜnoteを立ち上げたのかというと、僕は最近あまりにも普遍的な日常、もしくは人に話したら特定されてしまうような職務のどちらかしかしていないので、改めて文章で書き起こすことで話のネタになるのではないか、と思い立ち即行動に移したわけです。(決して誘われたのが嬉しかったからではない。)(本当に)

 せっかくなので、自分語りの最たるものである自分の経歴と過去をせっかくなら語っていきたいと思います。僕は(ほぼ)関東の最北端の町で生まれ育ち、子供のころにはコンビニなんて言うのは「街に出かける」という感覚の田舎町で生まれ育ちました。周りを見渡してもお茶畑・山・川。おそらく皆さんには想像もつかないような環境で育ってきました。娯楽といえば本当に犬の散歩くらいの物でした。冗談抜きで。
 子供のころの僕というと、毎日祖父の猟犬の散歩をし、途中で逃げ出され山に一人取り残されるとべそべそと半泣きで薄暗い山の中を走って帰り、途中の川で泣いたのを隠すために飛び込んで「川に落ちた」と言い訳をするような少年でした。なぜかあの犬は毎回俺が帰ってくると嬉しそうに出迎えるんです。子供ながらにどこかしらに捨ててやろうといつも思ってました。
 なぜこの猟犬を犬、と表記しているのかというと「猟犬は道具であって家族ではない」という祖父の意向で我々ぐり家の人間は「犬」と呼んでいました。道具だというのにきっちりペット葬まで行っていた祖父には疑念が浮かびますが、祖父なりの照れ隠しだったのでしょう。正直亡くなったことは悲しかったですが、お坊さんが「い~ぬぅ~」と読み上げたときは笑いをこらえるのに必死でした。
 そんな山の中で生まれ育った僕ですが、ある時転機が訪れます。両親の離婚です。母親は兄と弟を連れ、僕が中学1年生のころの宿泊学習で出ている時に家を飛び出したのです。正直謎でした。というか子供ながらに「捨てられたんだなあ」という感覚を強く抱いたのを今でも覚えています。それをきっかけに僕の人生はどんどんと悪い方向に向かっていきました。いわゆる反抗期というものの訪れです。反抗期の僕は本当にひどい少年でした。実家の玄関にウシガエルを5匹放したり、父親の趣味であったメダカの水槽に釣ってきたヤマメを放したり。「そんなもんか」と思われるかもしれませんがそれくらいしか反抗、というより嫌がらせをすることがなかったのです。
 ただ、ある時僕はもっとひどい愚行に走りました。友人の兄が持っていた原付を友人と勝手に乗り出し、中学校に登校し、先生に止められた僕たちは反抗する意思を持っていたため先生の車に原付を突っ込ませたのです。今思えばあれが僕の交通事故人生の始まりでした。(交通事故人生については後日書きます。)
 それがきっかけで、教育委員会のお偉いさん経由でうちの母親に連絡が行きました。その後近所のおばさん経由で僕が生まれ育った実家を出るように計画を母親は進め始めたそうです。ですが多感な年齢の僕は、今更裏切られた母親にも、毎晩欠かさず「死ね」とメールを送り続けた兄とも会うつもりなんてありませんでした。

 ですが、やはり僕も子供でした。母親のことを考え始めたらそっちに住みたいな、と意識が柔和し出したのです。今でも当時の自分の判断が正しかったとも悪かったとも思えませんが、今でもとりあえずは生きているので判断としてはよかったのかな、なんて思える日もあります。
 その後紆余曲折があり、僕は母親たちと同じ家で住むことに決め引越しを行いました。今まででは想像もできないような街中です。正直怖かった。今まで山と川と畑しかない生活を送っていた僕は、魔獣が巣食う都会(多摩の1/500くらいの)には正直馴染める気もしていませんでしたし、実際に最初は全く馴染めませんでした。中学3年生という多感な時期に転向し、同じ県内に引っ越したはずなのに、なぜか東京の言葉で話す同級生たちには困惑を隠せませんでした。そして、訛りが強く、日焼けしていて山で遊んでいた野性味あふれる筋肉質な少年は「ヤンキーが転校してきた。」と敬遠して話かけてくらすれませんでした。正直あの時が一番人生の中できつかった。
 そして精神的にも疲弊し、都会の遊びを知らない僕は家にあったパソコンにのめりこみました。そこで、数々のインターネットの異物たちと出会い、インターネット年齢が高くなりこじらせ中学生になっていくのです。

 と、今回の話はこれくらいにしておきます。次の更新はにゃいむになるか、引き続き僕の自分語りになるかはわかりませんが、ぜひ次回の更新を楽しみにしていただけたら嬉しいなと思います。
 ちなみに、ツイッターのリンク外から来ていただいた方がいらっしゃいましたら、Twitter@cho_guriguriのフォローをお願いいたします。
 このような駄文を最後までお読みいただきありがとうございました。

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