失恋保険
今日も、か。
頭の中で、何度も諦めた光景を夢に見ながら
ひっそりと心の中でつぶやいた。
でも、今日は帰りたかった。
本当を言うと、毎日帰りたいけれど
今日はなぜかソワソワして、帰りたい気持ちしかなかった。
こんなに帰りたいと、定時過ぎる前からソワソワとして
いたたまれない時なんて、
何年ぶりだろう。
この仕事をしていると、定時なんて名ばかりで
定時の代わりに、終電時間を明け渡される始末だった。
帰りたいような帰りたくないようなソワソワに
心が棲み憑かれて、なんだか泣きそうだった。
でも泣きそうな理由は、こんなことが発端ではない。
3日まえ、長く付き合った彼と別れた。
同棲までして、結婚はいつになってもいいや、という気楽な仲だったはずなのに。
使う暇とアテのないお金を、
結婚資金、と彼に秘密で
心半ば浮かれて貯めたのに。
そのお金を、引っ越しと
家具家電に費やすことになった。
家に帰れば、まだ彼はいる。
来月中に出ようという彼を
毎日仕事に忙殺され
用意の時間が取れないわたしは
その次の月にまで伸ばしてもらった。
円満な理由で別れたはずなのに。
なのに、
なんでわたしは、電車の隅に座って
泣いているのだろう。
片道1時間もかかるこの道をたどる度に
なぜ、心がちぎれていくのか、
何も考えなくても、涙が出そうになる自分が、
分からなかった。
その日、初めてこの仕事をしていてよかった、と皮肉にも思った。
画面を見て、作業をする。
誰かと面と向かって作業をすることはほぼない。
ひたすら、画面をみて作業をしていく。
人を人としてみてもらえない、仕事だと
嫌になってた矢先に、
この仕事でよかったと思うなんて。
その間でも、いつでも、
泣きだしたかった。
わんわん、泣いて
全部流して、また明日から頑張るのだ。
頑張らねばならないのだ。
仕事をしていないと、きっとずっと泣いている。
彼が出勤した後に残された家でわんわん泣いた。
もう目の前で泣かないと、決めたから。
おとたいシャンプーをしたばっかりの
ふわふわ毛玉のきみが近づいて、
何やら様子がおかしい、と
わたしの手に顔をこすり上げる。
それにはよく甘えたかわいい声付きだ。
それを見ると余計に涙が止まらなくなった。
もうどこにも行きたくないよ。
消えてしまいたいよ。
でも、きみを残してはいけないよ。
どうしようもなく、すぎる時間に
どうすることもできないわたしは
ただ、涙を止めるために、
ゆっくり深呼吸をするしか方法がなかった。
それでも、時間になるとわたしは
何事もなかったかのようなフリをして
会社に向かうのだ。
失恋休暇があったらいいのに。
会社の人にバレるのははずかしいけれど、
3年も付き合った彼だ。
そのくらいは許してほしい。
ぷつんと切れそうな心を奮い立たせて、
明日もあたしは何事もなかったかのように
少しダイヤの変わった電車に乗り、
1時間もあてもなくぼうっとして、
ちょっぴりだけ泣いて、
笑顔で仕事をするのだろう。
来週には、新しい家を見に行かなければならない。
いつでもスタートは突然だ。
乗り換え口で泣きそうになりながら、
いつも使う路線ではない、
定期外の路線へ乗り換えるために
わたしは、電車へ向かっていった。