「ただいま」はいつも明日
わたしが帰る頃は、いつも明日だ。
家を出た頃、明るかった昼の風景は帰る頃には真っ暗になっている。
時間が時間なので、会社にほぼ直通の地下鉄の入り口はいつもこの時間には閉じられている。
最初の頃、そんなことを知らずに終電を逃しかけたことがある。
その時はまだ、ヒールの靴も履いてたっけ。
ヒールの靴は女らしくなって、足がきれいに見えて好きな頃があった。
今も変わらず好きだけれど、今は特別なことがない限り、フラットシューズやスニーカーで通勤するようにしている。
理由は、終電間際の電車に滑り込むため。
履きなれたヒールもくじけたり、かかとがすりむけたりすることはザラにある。
それに、急いでいると余計に転びそうになる。
1日の最後、疲れ果てて帰る時にそんな惨めな思いなんて、誰もしたくないはず。
だから、わたしはフラットシューズを履いて会社へ行く。
終電に近づくと、わたしが使っている路線は全て各駅停車になる。
会社からまあまあ遠い場所に住んでいるわたしにはちょっとした旅行気分になれる。
そんな気分になれるのも、気持ちに余裕があるときだけだけれど。
そして、家に着く頃には決まって明日になっているのだ。
日付が変わり少し経ったころ、わたしはやっと家につく。
街灯の少ない道を歩き、丁寧に整頓された市営住宅の庭を通ってイヤホンから流れてくる音楽を聴く。
ふんふんと鼻歌を混ぜてご機嫌に歩くことが日課になっている。
もうちょっと、家が近ければいいんだけどな。
そして、やっとの思いで家にたどり着くのだ。少し広いこの部屋にはわたしの特別がいっぱい詰まっている。
この部屋をわたしは、”たからばこ。”と呼んでいる。
そして、その”たからばこ”を開けるとき、わたしはとてもご機嫌なのだ。
カバンに入っている鍵を掴み、かちゃりと音を鳴らす。
そして、待ちくたびれているであろう小さな家族にこういうのだ。
「ただいま」