13.全ての自分を肯定する
あなたは本当に無能なのか?
だれもがそれぞれの才能・能力をもっている。
ということはこれまでに散々言ってきたのだが。
仮に、自分でその才能・能力があるとわかったとして、「そんな能力は役にたたない」「どこにつかえるのか?」と思ってしまっていないだろうか。
例えば、私の能力について書いてみよう。
子供の時のことを思い出してかいてみることにする。
私は、古い家の電灯の接触の悪いスイッチをうまくいれることができた。
私は、美味しくないものを、美味しくないと言わず、作り手の気分を害さず、うまく残したり、トイレで吐くことができた。
私は、1人で遊ぶことができた。
私は頭の中では、空間的なイメージができた。
私は人の痛みにあまり影響を受けない。
私は人と離れて1人で過ごせる。
私は協調性があるフリができる。
私は人の話を聞き流すことが得意だ。
私は見た目が優しそうだ。
こんなところだろうか。
これを読んでくださっているあなたも子供の頃に得意だったものを思い出してみてほしい。
大人になったあなたが子供の頃のあなたをみてあげてほしい。
そうしたときに例えば
「言語化は弱かったけど、イメージ力はあったな」
だとか
「団体行動が苦手だから、1人で過ごす方が良かったな」
だとか、
「人の話を聞けなかったな」
だとか、
「人の痛みがわからないのに、わかっているフリをしようとしていた。」
だとか。
いちいち「できなかったこと」や「苦手だったこと」を引き合いにださないでほしいのだ。
純粋に、子供の頃の自分の才能・能力を見てほしい。
あなたが、いちいち「できなかったこと」や「苦手だったこと」が浮かんでしまったり、口からでてきてしまうのは、そうした言葉を聞いてきたり、謙遜することをよしとした価値観の植え付けだったりする。
その思考は、親や周りの大人たちから移管されてしまっているのだ。
が。
それは必要なんだろうか?
私は要らないと思っている。
だから、その思考をリリースすることにしている。
自分から始めるためには、自分の発信からが大事だと思っている。
話は戻るが。
私があげた才能・能力は、役に立たないのだろうか?
あなたの思い出した、子供の頃のあなたの才能・能力についても考えてみてほしい。
私は子供の頃の自分をみて思ったのは、「生き延びる、逃げ切る能力は元々高いな」と思った。
それと「人に左右されない」ことも能力が高い。
ほかには、「感覚的なものが強い。」
とも思った。
これは、役にたたないのだろうか?
私は生きづらい環境のなかで、才能をうまくこうした能力にしてゆけていると思った。
とにかく、「逃げ切る能力の高さ」はすごいと思う。
「逃げる仕事なんてないじゃないか」
とおもうかもしれないけど。
仕事してたって、困難なことは起こるわけで。
それをなんとかすり抜けられるといいわけですよ。
仕事でウツとかにならないでこれたのは、すぐにホイッと会社を辞めることができたからだと思う。
才能・能力とは、直接的に仕事になるような話ではなく。
沢山の才能・能力が、あらゆる場に発揮されるのだ。
人に褒められないような能力をせめてはいけない。
私は人の痛みを感じることが苦手というか、よくわからないのだけど。
それも「ダメ」としないで見てゆくことが大切だと思う。
全ての自分を肯定しよう。
つづく