「コント 試着室」

元夫の容体が思わしくない。
治療から緩和ケアに移行することになった。

(私たちが別れた理由やそれまでの過程はあまりにも長い話で、これといって誰かを楽しませる内容でもない。もういまさら私の心の整理にもならないので省くことにする。)

家族は今、いろいろと取り乱している。

そんな中、私と息子その1、ふたりで
(喪服……)
と言い合った。息子その2は別に暮らしているが、多分彼も同じだ。

そういうものは本当は何も心配のないときにきちんと揃えておくべきだと知っている。
心配になってからも買わないといけないとずっと思っていた。
しかし、ついつい先延ばしにしていた。
もうなるべく早く買わないといけない。
看護師をしている息子その1は、父親に会いに行って、
「あの様子では、聞いていた『年を越せるかどうか』よりも早い時期を覚悟したほうがいいかも……。」
と言った。


その翌日、私はひとりでA○KIに向かい、もう今日はここにあるものから選んで買って帰るのだと決めて店に入った。

行くまでに考えていたこと。
・ジャケットとスカートではなくて、ワンピースにジャケットかボレロのアンサンブル
・今の私には9号サイズは入ってもパツパツで動き回れないから11号か13号
・ワンピースの丈は短くないもの
・あまりにも安物では多分また買わないといけなくなるだろうけど、年に1回着るかどうかのものに私はいくらまでなら出せるのだろう……

店に入ってレディースのブラックフォーマルコーナーに行くと一番手前が『お買い得品』と思われるものが並んでいる一角。
お買い得といってもそれを着ている人を見たとして安い品物だと見分けがつくかといえば、少なくとも私にはわからない。
たくさん入ってくる品物の中で、時間が経ってサイズの取り揃えが少なくなってきたものが寄せ集められたコーナーという感じかなと思う。
その中で、これはいいかなと思うものを1着見つけてからフォーマルコーナーをぐるりとひとまわりしていると、店員さんに
「どうぞ合わせてみてください。」
と試着を勧められたので、最初にみつけたものを手に取った。サイズは11号。

店員さんがハンガーから外してくれたワンピースを試着。
サイズはちょうどよかったと思う。綺麗なデザインで気に入った。お値段もまさしくお買い得でお店にある中では一番安い価格帯。
しかし問題があった。背中のファスナーをひとりで上げられないのだ。腕が回らない。
もう五十肩の痛みはなくなっているけれど、可動域が狭い。下から届くところまで上げ、そのあと必死に身体をよじって上から手を伸ばしても、ファスナーのつまむところに手が届かない。
誰かに上げてもらえば着られるはず。しかし、喪服を着るときというのは急だったりで、家に誰もいなくてひとりで準備しないといけないこともあるだろう。
試着室のカーテンから首だけを出して、
「いいんですけど自分でファスナーを上げられません。」
と店員さんに言った。きっとそういう中年は私だけではないのだろう。慣れた感じで、
「後ろ開きはそうですよね。前開きのもので探してみましょうか。」
と笑わずに言ってくれた。

そのあと店員さんは似ているデザインを3着並べて吊して見せてくれた。私がひととおり見たときにこんな感じかなと思っていたものだった。出してくれたのは全部最初に着たものと同じ11号。

2つめは、
「デザインが一番スリムなタイプですけど、ワンサイズ上もありますから。」
と言われた前開きのワンピースにボレロのアンサンブル。確かに見ただけで横幅がほかのものより狭い。ウエストに別素材の切り替えが一周入っていてよりスリムに見える。
脚を入れて胸の下あたりまでファスナーを閉めたところで、(あ、これじゃ上がらん)となった。その理由は自分の肉ではなくてブラのせいだった。
元々心配していたのはお腹回りについた肉だったのに、問題はそこではなく胸。それもブラ。前ファスナーがそれより上に上がらない。
巨乳ではないがそれなりの胸の私のその日のブラは、自分の手持ちの中で一番盛っている激厚。ノーブラになって夢と希望のふたつの凸で喪服を持ち上げて試着する勇気はなかった。ファスナーがつかえた位置から考えてワンサイズ上げても今日のブラでは無理ではないだろうかと思えたので、店員さんには
「胸がつかえて閉まりません。」
とだけ言って2着目も諦めた。

喪服を買いに来た理由が理由なだけに笑いたい気分ではない。しかし1着目も2着目も、ひとりで自分にツッコミを入れて試着室で笑った。泣き笑いみたいな状態だった。

次に着たのはシンプルなAライン。3着目にして初めてきちんと着られたもの。これが程よく上半身にフィットしてスカート部分は広がり過ぎず狭すぎず、着丈袖丈もジャストだった。店員さんも
「お客様の身長にジャストですね。補正もいりません。ラインが綺麗ですよ。」
と言ってくれた。

4着目は一番ゆったりしていたけれど、着た感じがなんだかピンとこない。中年の私よりもさらに年上の方向けのデザインかもしれなかった。
(いやー、実際に孫もいるけどさー、これはほんとに “ばあちゃん” だよなー)
と思ったので、試着室のカーテンは開けずに「さっきのほうが綺麗ですね。」と言いながら脱いだ。

買うことに決めた3着目の品物は、最初に気に入った後ろファスナーのものより1万円高額だったけれど、もう今日はここで買うと決めていたので、

「もしも今、腕が回ってあのワンピースが着られていたとしても、きっとこの先後ろファスナーに手が届かなくなるはずだ。母だって、腕が上がらないから帯結びが辛くて好きな着物を着なくなったじゃないか。」

と、正解かどうかわからない理由で自分を納得させた。

もうひとつ、去年の夏、喪服を買っておかないといけないと思ったときにすぐ買っていたら多分9号を選んでいたから、今だとビチビチか入らなくなっているはずだ。去年は病気で一番痩せていたのだ。だから今11号で買ったのは正しかったはずだ。

同僚が、私が喪服をと言い始めた頃から自分もちゃんとしたのを買いたいと言っていて、実際にデパートに見にいったりしていたので、このひとりコントのような顛末を帰りのバスの中からLINEで報告した。

私 「買った喪服が小さくならないように、気をつけて生活します😅」

同僚 「もうラーメンの汁は飲み干したらダメよ😆」

私 「はい。飲むのはうどんの汁までにしておきます😆😆」

スマホを見ながらまた泣き笑いで肩を震わせながら家に辿り着いた。
ちょっと疲れる買い物だった。


息子から、
「メンズのほうはいくらぐらいだった?」
と聞かれたが、
「ゴメン、よくみてなかった。」
と答えた。笑いながらの試着だったのに、私にはそれを見る気持ちの余裕がなかった。
彼も、
・安くても高くても必ず買わないといけない
・なるべく急いで買わないといけない
・自分で行かないとサイズが合わせられない
とわかっているから、文句は言わずに
「了解~」
とだけ返ってきた。

着るのはできれば少しでも先であってほしい。しかしあまり先になって自分の身体が収まらなくなっても困る。勝手だなあと思う。