二十日「美の最果てをスクロール」感想
「文芸くらはい」はシロート読者・春Qが文芸作品を読んでアレコレと感想を書く企画です。感想を書いていい作品は絶賛募集中。詳細はこちら。
最近「食べるにぼし」にハマッています。おいしい。からだにいい。
◇「美の最果てをスクロール」あらすじ
第三次世界大戦を経て、人工培養人肉が一般化した社会。人工培養肉の第一人者であるキャリィ博士は現在116歳。「私」(マリィ)は彼女に仕える家政婦だ。そして100年前、二人は共通の友人・フィマとともに学生生活を送っていた。三人は仲が良かったけれど「私」は二人との間に溝を感じている。キャリィはフィマのことが好きで、二人は幼馴染だった。
当時、高校一年生だった「私」とフィマの脳内を占めていたのは、ダイエットのことだった。キャリィは二人の瘦せ願望についてよく苦言を呈していたが、二人の気持ちは変わらない。とうとう相次いで拒食症になってしまい、治療のために入院するまでとなった。
なんとか退院できたその二年後、キャリィの父が開発したk-meetを発端として第三次世界大戦が勃発する。ダイエット用の肉、k-meetは大量の摂食障害者を生んだ。同時期に自然災害が重なり、食料不足による混乱が起こった。そして戦後「人間は肉であり、美というものは、けっして人間にあてはめてはならない」という教訓が生まれた。
「私」はこれらの経過から、キャリィがダイエットに苦しむフィマを救済するため=「肉」に対して寛容な社会を実現するためにk-meetを開発したのではないかと推測した。そのことをフィマに打ち明けた結果、彼女は自死の道を選んだ。
「私」が遺書を改ざんしたため、キャリィは死の動機を知らない。遺書を誤読したキャリィはフィマが体重を苦にして死んだと考えた。結果、彼女の「肉」に存在意義を与えるため、フィマを人工培養人肉として流通させるに至った。「私」はキャリィを愛しており、フィマを消し去ることに成功したが、キャリィは依然としてフィマを強く愛している。
こちらの作品は、にのまえふみ様主催「伊藤計劃・長谷敏司トリビュート」参加作品だそうです。主催様のポストはこちら。
つまり、有志が特定作家へのトリビュート(尊敬のしるし)として作品発表する企画らしい。「伊藤計劃トリビュート」の同人版って感じかな?
春Qは、伊藤計劃作品は「屍者の帝国」を読みました。でもあれは円城塔との共作だから、読んだうちに入るかは少々アヤシイ。
だから「虐殺器官」や「ハーモニー」をちゃんと読んでから感想書いたほうがいいのか~!?と思ったんですけど。。。趣旨がズレちゃうので止しました。むしろこの作品をきちっと読み切ってから起源へと至るのが粋ってものじゃないかしらね・・・!?
というわけで、いったん構成をまとめてみました。
2万字弱。読み応えのある内容でした。話の切り替わりで過去と現在を行き来する時には「私」(フィマ)が地の文でスクロールという言葉を用います。
ちょっと強引にも感じるけど、短編としてわかりやすくはある。このお話は基本的に現在と百年前と九十八年前を行き来して語られます。現在のマリィはキャリィともども百十六歳という高齢。若々しさを保っている理由が本文で語られることはないけれど、SFだし、たぶん肉体の一部を機械化しているとかそういう設定なんだろう。とすると「スクロール」という言い回しも妥当な感じがする。
文章は写実的で、少しシニカルなところがある。衝撃的な事実を表現する際には体言止めをふんだんに使う。一人称の小説だけど、自分で自分を俯瞰しているのでケンカのシーンも読みやすかった。
春Qは人と人が言い争う場面があまり好きではない。特に小説だと自分に意見があるわけじゃないから、乗り切れない部分があるんですよ。あと相手を一方的に裁いたり、双方の意見がぐしゃぐしゃになっていたりする例もよく見る。
でもここは作者と登場人物、さらに読者の距離感が適切で、双方の意見もよくわかる良いケンカだなあと思いました。うん、ていうか精神科病棟で起こったことは百合とかSFとか無関係に全部いいですよね。ただ読者としては摂食障害という現実にある苦しみを良いとか思うことについて後ろめたさが物凄くある。思春期に「鏡の中の少女」を読んだからかもしれません。だから青春ぽい題材でこういう文章書いてくれたらワーッ!女子のすれちがいアガるーッ!とか無邪気に大喜びしてたと思う。ポリティカルコレクトネスはおろかな読者の心をかくも蝕んでいるのです。救ってください。
いっぽうでこの作品で扱われている人肉食については、そんなに後ろめたく感じなかったです。だって「人工培養人肉」って書いてあるし。生きた人間を捕まえて飼育して食い物にする。。。みたいな設定だったら、「そんなひどいことやめろ😫」と思うけど、prototype_は死んだ後に食用肉として培養されたわけです。
それって差し木みたいなことで誰も傷ついていないのでは?と思う。そしてこの文章には必ずこういう但し書きがつきます。※読者として後ろめたく感じるかどうかの話です。現実には死体損壊罪という罪があるし、また遺族の気持ちを考えると倫理的でないことは明らか。
裏を返せば、だからこの話には人肉食の非道を訴えるフィマの家族が登場しない。・・・正しさ云々はともかくもう歴史的事実としてこの世界には人肉食が存在するし、許されている。だけど実のところその世界観を構築したのは、あまりにも強い百合感情だった。作者はそういうロマンを書こうとしているんだな、と思いました。
◇狂っている?わかっている
ここでもう一度、構成を見てみます。
さて、このお話は三つの謎で構成されています。
第一の謎の答えが、冒頭から病院での長い過去回想をまじえてゆっくりと明かされていくのに対し、第二、第三の謎は答え合わせ含めて後半にドドッと来るんですよね。
特にマリィの動機については「なんでだろう?」と思うより先に答えが提示されるので、もうちょっと浸らせてくれ~!と思いました。
たぶんこれが全十二回のドラマだったら、第十一回のラストで読者目線の探偵役が「なんで遺書を破った?」って問いただしてマリィがミステリアスな微笑を浮かべるみたいな、そういう引っ張り方をすると思うんですよ。
だってマリィは主人公じゃないですか。それで主人公の恋愛感情ってイチバンおいしいところだと春Qは思うのです。幼馴染二人の間に割り込めなくて百年間も二番目扱いで悶々としていたのに、キャリィのフィマへの想いが世界を揺るがすレベルだからって霞んでしまって・・・。恋愛脳の春Qはシンプルにくやしい!!
ただ、このお話はミステリーでも恋愛ものでもない、SFジャンルだから。「三つの謎」に関しても春Qが勝手に言っているだけですからね。・・・でもSFならSFで第三次世界大戦についてガッツリ読みたい気がする。
というのも痩せる肉「k_meet」の出現が第三次世界大戦の発端になった理屈がよくわからないのですね。干ばつ等の自然災害が食料自給率を著しく低下させて、戦争が起こった。そこで矢面に立たされた「k_meet」ですが、カロリーゼロでも高タンパクで、要は豆腐みたいなものですよね? しかもノウハウが全世界に公開されている。食料不足の時世ではむしろ救世主扱いされそう・・・と思うのは、春Qの読解力が低いからか・・・?
そのあたりの背景がしっくりこないので、春Qはこの作品を特殊な世界設定の百合小説として読んだ。となると2万字弱の百合小説で複雑な三角関係を描き切るのって厳しいよな・・・という感想になる。
それで、春Qがこの作品の中でイチバン面白いと思ったのは、病院に入った時の悲喜こもごもです。ブラジャーを没収されてしまい「自分に乳首がある、という羞恥心に耐えられない」と感じたところや、勉強を教えに来たキャリィが「医者は休めっていうけれど、結局後からしんどい思いをするのは嫌でしょう」と言うあたりは、すごく実感があって良かったと思う。でも、、百合っていうよりは尊い友情って受け止め方をした。
これはねえ、春Qの百合感が既成の恋愛観に毒されてるからなんだけど、特別に意識している含み・・・なんか遠くを見ている横顔に見とれてしまうとか、話しかけられるだけで胸がどきどきするとか、そういう描写がないと脳が百合って認識しないんですね。
マクドナルドや病院での三人は仲よしだけど、百合じゃなかった。「痩せなきゃダメ」という世間の同調圧力と、それとは矛盾する「痩せすぎは不健康だ」という社会からの働きかけの間ですりつぶされそうになりながら、三人の友情でなんとか持ちこたえる。それって、百合になるのがかえってもったいないほどの、すっごいすっごいアツい友情ではないですか!?
うん。(急に落ち着く)
だからギトギトにこじれた三角関係を構築している百年後の様子が、どうもしっくりこなかった、というわけです。この三人が濃厚な百合になる過程を見たかったのもあるが。
しかし「伊藤計劃って百合書くんだ!?」という知見を得た春Qはラッキーでした。調べてみたら「ハーモニー」が百合なのかな。この作品を念頭に置きつつ、ぜひ読んでみようと思います。
次回の更新は9/13の予定です。
見出し画像デザイン:MEME
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