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夏川大空「あそこまであるこう」感想

「文芸くらはい」はシロート読者・春Qが文芸作品を読んでアレコレと感想を書く企画です。感想を書いていい作品は絶賛募集中。詳細はこちら


 南半球では今が冬なんですなァ・・・。

◇「あそこまで歩こう」あらすじ

 空には人口太陽が輝き、冬が十年以上続く社会。ひとびとは能力に応じて居住区を区別されていた。「私」は冷たく寒いアイスクール在住だ。警備員のアルバイトをしていたが、経済的に重要とされるスプリングピンクの企業『アカネ』への就職を目指し、プログラミングを学び始める。
 アカネ主催のゲームコンペに参加するも、結果は落選。しかし「私」は手ごたえを感じていた。アカネの入ったテナントビル『若菜』には、エケベリアの鉢が飾られていた。それをまねるように「私」はホームセンターで小さなエケベリアを購入し、「若菜」と名付ける。

 プログラミング共同学習オンラインサークル『銀色』に参加し、モミザという女性と知り合った。スプリングピンク在住の彼女と親しくなり、オフ会に行くことを決める。

 オフ会参加者たちを見て、「私」は別れた同性の恋人のことを思い出した。ともにアイスクール在住だったが、彼女は「私」と違い、異性に何もかもを譲ってしまうひとだった。
 トランプやボードゲームに興じるうちに、スプリングピンクにも春が来ていないとわかった。「私」はそれでもスプリングピンクのアパートへ転居することにした。起業についても真剣に考え出した。

 転居の日は、六時間の道のりを徒歩で向かった。寒いのに芽を出す若菜を思い、「私」はまるでもう春が来ているみたいだと思った。


 主人公が前向きな性格で良かったです。30代半ばで恋人ナシのフリーターですが、スプリングピンク在住者に嫉妬を燃やすことなく、「あったかいからそこに行きたい」という目的意識を強く持っている。現状に対する怒りもあるけれど、そこはロックミュージックを聴くことで発散しているようだ。

 春Qは激しい音楽を聴くひとほど大人しいイメージがあります。その例に漏れず、「私」は温和でマイペース。てんねんな言動で意図せず笑いをとってしまう場面も。

 モミザさんとはそれから少しずつSNSで絡むことが多くなった
『ゆる募 夕食メニュー』
『回らない寿司!』私は答えた、モミザさんもはしゃぐ
『寿司食いたい!回らないの』
『スーパーで売っているよ~』
なぜだか大笑いされた。じゃあちらし寿司?また笑われた。

夏川大空「あそこまであるこう」

 回らない寿司=板前さんがその場で握ってくれるような高級寿司のことかと思いきやスーパーのパック寿司のことだった・・・というギャグ。これはあえてふざけているのではなく、モミザさんとの生活レベルの差がすれちがいコントを生んだのでした。

 よく考えると高級寿司の知識なしでパック寿司のことを「回らない寿司」と言うことってないわけですが、セリフ回しでぽんぽん書かれると自然に読めます。春Qは小説の地の文には読点や一字下げがほしい派なのだけど、この箇所に関してはノリの良さとうまく噛み合っていたと思います。

 そのいっぽうで、扱う内容に対して文体がラフすぎるようにも感じました。これは文体が悪いという意味ではなく、ただただ相性が悪いんだと思います。明るい主人公と感覚的な表現でジェンダー問題を扱う、それ自体は良い試みとしても、問題について深く洞察するパートはやはり必要です。

 で、春Qはその形式の成功例をたまたま一個知っているのでシェアしておきますね。ばばーん✨小説家になろう連載の「女だから、とパーティを追放されたので伝説の魔女と最強タッグを組みました」!

 漫画版もあります。
 何が言いたいかというと、ライトに書くなら思いっきりわかりやすい世界観と軽いノリでエンタメ化してしまったほうが読者は助かる・・・ということです。でもね、これは読みやすい小説が好きなバカ春Qの妄言だから・・・! 聞き流してください。

◇どういう話なのか

 やっぱり前提となる世界観の説明がもう少し欲しかったです。あらすじは書かれた情報を総合して書いたけれど、わからないことが多いので。

 居住区を書いただけで不採用続きの求人サイトからのメールをゴミ箱に捨てる。冷たく寒いアイスクールに住むということは能力に問題があるのではないか。なぜならテストは公平に行われたから。

夏川大空「あそこまであるこう」

 このあたりを読んで、人間が能力ごとに選別され、居住区を定められているのだと春Qは思いました。

 でも、物語の終わりで「私」は普通に転居している。

いくつか調べて、よさそうなアパートを見つけたので、建築関係の知り合いに見てもらい三月からのアパートをアカネの近くに決めたこと。警備のバイト先は、それならばあっちの仕事を回すね。あとまだこっち来られるよね?とそれだけ。

夏川大空「あそこまであるこう」

 ただこのテストは定期的に行われるわけではなく、十年前にあってそれきりみたい。「永遠の冬に閉じ込められ」たといっても区分けがなされただけで、強制力はないのかもしれない。なんかでも、そのへんの設定はガッツリ説明したほうが、物語の強度が上がって良いのではないか?

 あえて説明を減らして読者に世界観や背景を察させようとする意図は感じる。そのやり方が上手く働いている箇所もある。

「現役じゃなくてここにいる人は、みんなエンジニアになりたいの?」
うん!メンバーの一人が勢いよく返事をした
「やめておいたほうがいいと思うなぁ。いやね、女の子もいるよ?でも俺の上司がさ。あんな簡単な書類仕事頼んだのにできないのかって、エンジニアで雇った娘を事務補助あつかい」
「え?書類仕事はプロのほうがいいんじゃじゃないですか?」
私書類は苦手だなぁ。パソコンに命令しているほうが楽だ。
「ん~女の子の扱いわかんないみたいで、結局リーダー男になったりするし。残業も任せるの気を使うし、そもそも俺も残業したくないんだけどね。
 いちばん悪いのはね、翡翠さん、なんだと思う?
 そういうことが『差』を産むんだ。
 女の子も男に気を使って抜かないように抜かないように。
 だって抜いたら嫌われるから」
また元彼女みたいなこと言っているよ、またこの話をするの、ねぇ。

夏川大空「あそこまであるこう」

 たとえばこの場面で翡翠さん(私)は暗い問題に触れるんだけれど、そこに対して深掘りはなされない。「女の子が会社でエンジニアとして働くのは難しい」⇒「じゃあ独立したらいいよね」という方向に話が変わる。

 1万字弱の小説で男女差別を巡る問題を書き切るのは難しい。だから、ちょっと触れて本筋に戻るのは正解だったと思うんですが、いっぽうで(じゃあこの話の本筋ってなんなのだろう?)とも思う。

「私」はサトシに「それはテメーの会社がおかしいんだろ。ひとの職業選択に口つっこむな」とかは言わないわけです。もちろん「私」はチンピラじゃない、素直な性格のひとなのでそれは当たり前なんですけど、じゃあ「私」は女性を巡る現状に対してどんな考え・意見を持っているのか? そこのところをフワッとした気持ちだけで終わらせて、独立という次のステップに話を進めるのは、ちょっと尚早な気がした。

 また、もしも『敢えて』書かずに、主人公が間違った社会に迎合していく(=女性を愛する女性がいつの間にか男性中心の構造に寄る)さまを描こうとしているのだとしたら、もう少しヒントを出して欲しいと思いました。主人公が間違ったほうに進んでいるなら、何か不吉さを匂わせてほしい。紅茶の入ったコップを肘で倒すとか、遠くで雷が鳴ってるとか、別になんでもいいので・・・。

 ヒントがないとさらっと読み飛ばしてしまうし、作者の意図とは違うメッセージを受け取りかねない。かくいう私も、初読時は『差別的な世の中でも、一歩一歩努力すれば報われるんだ』的な話なのかな?と思った。

 でも、何度か読んでみると、作中では努力神話や自己責任論を否定しているんですよね。非生産的な同性愛者として冷遇される。どんなに努力しても出自や性的指向を理由に弾かれる。それでもなお自分の足で歩いてゆかなければならない・・・そういう厳しい現実を書いた話だと思うのです。

 その社会に対する叫びをより響かせるには、作中の舞台や文章の体裁をもう少し整える必要があるのかな、と感じました。

◇オフィスカジュアルについて

 作中には洋服について言及する箇所がいくつかあります。

私はやっぱりジーンスにTシャツだった、何人かいる銀色の女性メンバーはガラスの扉の向こうで見た春のような柔らかい色のニットやブラウスを着ていて、私はそんな服を持っていないことを少しだけ恥じた。元彼女も、いつも私は男の子みたいな恰好して、男の子と付き合っているみたいって、指輪じゃなく暮らしでもなくて、二人でいるのは楽しいのに、はっきりと何かが足りなくて。ただ長い冬を温めあっていただけだったのにと。

夏川大空「あそこまであるこう」

「私」はレズビアン、元彼女はフェミニンな服を着るし着せたいタイプのひとだったようだ。いわゆるオフィスカジュアルと呼ばれる女性もののファッションは、スカートやブラウスが基本、パンツであってもスニーカーではなくパンプスを合わせ、足首を少し見せる場合が多い。防寒に適した服とはいえないので「私」にとっては豊かさの象徴でもある。

 春Qもパンプスは嫌いです。履かずに済む仕事を選んできたので、「私」の気持ちはそれなりにわかる。でもここまでいくと、ちょっと共感が遠ざかる。

 スーツやワンピースは持っていないけれど、化粧もしていないけれど。
 いつか誰かになにかを渡せるように、あそこまであるこう。まだ長い冬は明けない。冷たい風の中を風邪ひかないようにダウン来てマフラー巻いて。ときどき休んでも朝出ればきっと夜にはつくだろう。
 スニーカーのままで構わない、あそこまで歩いて。
 私があの青い蕾に触れても怒られなくなるまで。

夏川大空「あそこまであるこう」

 主人公は若菜ビルに行った時、エケベリアの蕾に触れようとして警備員に見とがめられました。でも「私」がその蕾に触れられなかったのは、女らしい格好してなかったから、そんな理由じゃないでしょう。「私」が部外者で、警備員が仕事してたからじゃないか。女性に課された不条理を象徴する出来事として挙げるのは少し違う気がする。

 それに、警備員に警備服が支給されるように、その仕事に適した服装があると思う。「私」が今後エンジニアとして独立するとしても取引先と会って話をすることはあるだろう。外向きにパンツスーツの一着くらい持っていてもいいのではないかと感じてしまう。

 仕事用の服に関しては男のほうも苦痛なんじゃないか。夏のネクタイ。背広。それに腕時計だ。業種にもよるが、肩書がつけばつくほど高級な腕時計をつけないとナメられて仕事にならないらしい。

 両性ともにつらい思いをして服を着るなんてバカバカしい。しかしそのバカバカしさで武装しないと仕事なんてやってられないんじゃないか、というのが春Qの実感です。パンプスが拷問器具であることは事実なんだけど、オフィスカジュアルそのものを特別視したり女性の生きづらさと結びつけるのは危険だと思う。

 そしてもしもオフィスカジュアルについて思うところがあるのなら、メインに据えたほうがいいんじゃないでしょうか。それもやるならやるで徹底的に。批判上等、オフィスカジュアルを根絶やしにするつもりで。

 社会をめちゃくちゃにする小説って、かなりの需要がありますからね! 少なくとも今ここに!(笑)


次回の更新は8/9の予定です。
見出し画像デザイン:MEME

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