メリット
「シャンプーないよー? 」
私の恋人はそういう男だった。私の恋人だった男はそういう種類の人間だった。
「エクレア食べたいな」
僕の恋人はそういう女だった。僕の恋人だった女はそういう種類の人間だった。
だから、
シャンプーが切れかかった時
ケーキ屋のショーケースにエクレアを見かけた時
私は
僕は
もう一度あなたのことを思う。それから、それくらいのものは買って帰ればよかったと思う。
あの日、私が
あの日、僕が
シャンプーを補充する仕事をしていれば
エクレアを一緒に食べられたら
だけど、
シャンプーを買うのは私だけの仕事じゃないし、頼まれもしなかった。
あの日、エクレアを買わなかった理由は僕にはない。
「シャンプー、無かったから入れといたよ」
私の夫はそういう男だ。私の今の恋人は、そういう人間だ。
僕はあの若い日々、二人で髪の毛の先から同じ匂いをさせていたあの日々の、あの匂いが忘れられない。シャンプーが切れかかるたびに、新しい種類のシャンプーを買ってくるのに、いつまでもあの匂いにたどり着けない。それは、シャンプーの匂いでは無かったのではないかとさえ思う。それは柔軟剤や香水や、皿を洗った洗剤の香りや、玄関に飾っていたラベンダーの香りが混ざり合って僕たちを包み込み、君と一緒に感じた時にだけ嗅ぐことのできる、そういうタイプの香りだったのかもしれない。
「エクレア、安売りしてたから三つ買ってきちゃった」
私の恋人はそういう人間だ。
「一個、多いじゃない」
「君が二個食べたらいいよ」
「簡単に言うけど、大変なのだよ?」
「体型の話?」
「でりかしい」
「一個は明日の朝に半分ずつ食べよ、いい紅茶も見つけたんだ」
私の恋人はそういう人間だ。玄関には紫色のラベンダーではなくて、もらったばかりの花束が所狭しと並んでいる。
ずず、ずず。僕の家のシャンプーはなかなか補充されない。
僕は、また君を思い出してスポンジに洗剤をつける。確か、洗剤をつける前にスポンジを熱湯で殺菌しないと君は怒った。それで洗っても意味ないよ、と。あれは怒っていたのだろうか、楽しんでいたのだろうか。
僕の恋人はそういう女だった。僕の恋人だった女はそういう種類の人間だった。
私の恋人はそういう男だ。私の恋人はそういう種類の、素敵で大切な夫だ。