ハッピー・ホリデイズ・ダンス
赤と緑に飽きて、夜の世界に見入ろうと、忙しく楽しむ街や、忙しく喜ぶ恋人同士を眺めようと、やってきたバーにはいつものように金魚のパクと、バーテンダーの卵のタカヤナギが話していた。暇そうだね。と僕が話しかけると、暇じゃないよ、今はパクと恋の話をしてたんだと、タカヤナギは答えた。金魚と鯉の話とは乙なものだね、パク氏はなんて? 錦鯉になりたいようってかい? いやいやその鯉じゃなくってさ、恋の話さ。ああ、それじゃあ、僕が君の恋人とやったのはわざとか成り行きかって話か、相変わらずしつこいね、あれは仕方なかったんだよ。ああ、その故意でもないよ、恋だよ恋、ラブ。と、タカヤナギはわざと「ブ」を唇を噛んで、「ヴ」と発音した。そうかそうか、その恋か。それにしてもクリスマスってのはどうしてみんなこうも「ジングルベル」ばっかり流れてるんだ? 「ジンゴーベッル」とタカヤナギは発音し直して、それは誰かが流しているんじゃなくて、天の上の方からひとりでに流れてくるからだよ、と優しい声でパクに言うでも僕に言うでもなく呟いた。雪と一緒にやってくる「ジンゴーベッル」は金魚たちも喜んで踊ってくれるんだ。
と、タカヤナギがうっとりとパクを眺めているところに一組の男女がやってきてそれぞれ違う種類のビールを頼んだ。彼らは緑と赤をあしらったコートやらマフラーやらを体から引き離して、タカヤナギからおしぼりを受け取り、男は顔を拭き女は口元をこっそりと拭った。赤のグロスがおしぼりの端に恥ずかしそうに移り、ビールの泡は都会に降る雪のように刻一刻と溶けて行った。テレビにはプロ野球選手のランキングをつける番組をやっていて、タカヤナギはそれを消してクリスマス・ソングを集めたサウンドトラックを流した。「ジンゴーベッル」。
そうしてクリスマスの夜は更けて行き、パクは眠たそうな目でぱたぱたと踊っていた。もう眠たいのかい?
「いいえ、眠たいのじゃないのです。もともと目が重たくって、こうして踊っているとひとりでに瞼が下がってきてしまうのです。建てつけの悪いシャッターみたいに」
「そう。じゃあ、もう少し飲んで行ってもいいかい? 」
「もちろんですよ。ゆっくりしてくださらないとわたくしも寂しいですもの。こんな雪の夜はタカヤナギさんとお二人ではとても寒くてこえられないのですわ」
「だけど、パクとタカヤナギは愛し合っているのでしょう? 」
「まあ、そんなこと。タカヤナギさんはわたくしのパパみたいのものですの。タカヤナギさんは優しくてわたくしを愛してくれていらっしゃいますけれど、わたくし、彼に恋人だなんて思ったこと一度もございませんのよ? 」
「では、僕と踊ろう」
「もちろんですわ」
パクの尾ひれはひいらりひらりとやわらかく美しく揺れ、水面と深いところとを行ったり来たりしながらその目で僕を見つめたりした。彼女との時間はとても美しくて、その間にこっそり夜はどんどん更けて、やってきた二人の男女もいつの間にか帰って、後にはテーブルの上に二つのグラスだけが残っていた。グラスにもおしぼりにも恥ずかしそうなグロスは頬を赤らめていて、それをタカヤナギは嫌そうな顔で綺麗に拭った。なあ、と僕が声をかけるとタカヤナギはおう、と答え、パクはピクリと口を開けた。大きめの気泡がプカリと浮かんだ。なあ。なんだ。
「メリークリスマス」
「そうだなあ、今年も綺麗なクリスマスだ。客も全然こないしな」
「はは、乾杯しようぜ」
「メリーさんに?」
「誰だよそれ、パクにもなんか好きなのあげてくれ」
「あら、わたくし、お酒はしませんのよ? 」
「じゃあ、何がいい? 」
「そうですね、それじゃわたくし、冷たいお水を足してくださる? 」
「寒いのじゃないのかい? 」
「踊ったら、汗をかいたの」
「金魚も汗を掻くんだね」
「ええ、たまには金魚だって汗をかきますわ」
そうしてクリスマスの夜は終わった。パクはその幸せそうな背中を僕に向けて眠った。タカヤナギは使い終わったナイフやワイングラスを丹念に磨いて、外の看板に繋がっているライトのスイッチを切った。翌朝には緑と赤の世界も白銀に変わっていることだろう、クリスマスのイルミネーションは、クリスマスが終わると急に滑稽な茂みになってしまうのだ。僕は二人を背にして階段を上った。眠気が少しずつやってきたが冷たい外気の中で僕の頭の芯のところがきゅうきゅうと冴えていくのがわかった。とても素晴らしい季節だった。