火星人と花の色【4】


 火星人は潔癖なんだ。だから、酔い潰れたりしない。彼らは、日が暮れて空が青くなり始めた頃に家を出る。地球人と違って彼らは太陽が好きじゃないからね。そして庭で銀河を見ながら、高級なカクテルを飲む。彼らの家には、カクテルを作るための銀のシェイカーやら、メジャーカップやら、バー・スプーンやらがしっかり揃っていて、上質なカクテルグラスもあるんだ。彼らはコリンズグラスも、タンブラーも、ロックグラスも高級なものを揃えている。だから彼らは毎日必ずしも星を見ながら甘ったるいカクテルばかり飲んでいるわけじゃないんだ。雨の日にはハイボールもつくるし、夏の暑い日には瓶ビールだって空ける。いろんなコップを持っているということは、いろんなお酒を飲めるということなんだ。

「火星には、雨も降るし、夏も来る」と彼女が言った。僕は頷いて彼女の肩にあるほくろにキスをしてみた。彼女はほくろにキスをすると必ず、嬉しいわ、と喜ぶ。
「ああ。明るい月が出るし、ビールを飲んで恋もする」

 火星人たちはカクテルが一番好きだ。上手に飲むことを好むんだ。彼らは星を見ながら、美味しいお酒を飲むために生きているし、生きるために美味しいお酒を作る。シェイクが上手なんだ、地球のバーテンダーなんかよりずっと。シェイカーの外側が冷たくなって、火星人たちの細い指に霜がつく。彼らはそのタイミングを逃さない。一番美味しいカクテルの飲み方を彼らは知っている。

「大事なのは、タイミングなのね」と彼女は僕の方を生真面目に見つめて尋ねた。そうだよ、タイミングなんだ、と僕は答えた。
「火星にバーはあるの? 」彼女は悲しそうに尋ねた。
 火星にバーはない。自分か恋人のため、家族のためにお酒を作るだけだ。潔癖だらけの火星人たちにとって、居酒屋やバーなんて汚いからね。家は一番清美な場所なんだ。恋人と自分がいて、二人で夜遅くまでお酒を飲んで、ライオンの話なんかをする。そうして、朝になる前に眠るんだ。それが彼らにとっての理想であり、その理想はほとんど叶えられている。地球と違って、理想は叶えるためにあるんだ。理想の酒の飲み方を目ざして眠るだけだ。
 そこまで話して僕は大きく息を吸って、目を強くつぶり、開けた。
「素敵なことみたいに聞こえるけど」
「うん、素敵みたいな話だ。でも、ここから八千万キロも遠くの話だ」
「ここって、地球のこと?」
「ああ」
 彼女の目は、僕を通り抜けどこか遠い星々のうちの一つを向いているようだった。

 私たちがいるここが地球だなんて誰が言ったの? 
 火星から八千万キロも離れているなんて誰が言ったの?

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