野分とマリアージュ

結婚式が行われた。コロナ禍にも関わらず新郎新婦の友人たちは正装をして集まり、各々の懐かしさに眉を下げ、見知らぬ友人の友人に少しの緊張感と少しの感動があった。麻布の南の端、渋谷川のほとりのあたりにある式場は緑が茂っていて入り口はすぐには見つからなかった。国道416号線を折れ、細い道を進んでいったところに式場は、あって、恥ずかしそうに草木の間に身を潜めていた。おしゃれな蔦を身にまとい小綺麗にしてはいるものの、古風な作りが少しの不気味さを漂わせていた。ここにくる前に調べてみたが、私が羨んでやまない平成時代を全て見てきたというのだ。

 近くの幼稚舎の帰りと思わしき、私よりも高そうな服を着た子供がバスから降りて、キョロキョロとあたりを見回していた。式の集合時間よりもずいぶん早くに着いてしまった私は近くのコンビニでビールを購入し飲んでいたので、その子供の近くにいてはまずい、と思いちょうどいい塀に隠れて彼を見ていた。その時の私は高揚していたので、そのほうが却って怪しいことに気がつかなかったのだ。新郎新婦が出会ってからの友人だった私はその両方の友人として招待され、何しろ自分の友人の結婚式に出るなんてことは初めてのことだったのだ。ビールを飲み干し、一服したいと思ったので胸元の内ポケットからスマホを取り出して、喫煙できる場所を探した。すると塀の向こうで彼はそこら中にいる大人に何かを尋ねて回っているようだった。

「…は…ですか?」

どこかの場所を探しているようだった。まだ小さいのにしっかりとした敬語を使う子供だった。靴はピカピカに磨き上げられていた。

「……は、どこですか?」

周りの大人たちは冷たい視線で、彼らは冷たい視線とは思っていないかもしれないが子供にとって見ればあまりに冷たすぎる視線で彼のクエスチョンを無視し、それぞれの目的地(もちろんそんなものがあるとすればの話だ)へと向かっていった。私が無事喫煙所を見つけ出し、式場に戻った頃、私と同様に招待された友人たちが続々と集まり出しており、私は身を潜めて今度はアルコールの入っていないドリンクを、(アルコールの含まれている飲み物は一杯も出なかった。嘘みたいな本当の話だ。)飲み干し、あたりを目の動きだけでキョロキョロと探りながら、知り合いがほとんどいないことに気がついた。学生時代の友人でもないし彼ら新郎新婦の職場も知らない。

式は恙無く終了し、二人は誓いのキスをかわし、ドラマで見たような披露宴が執り行われた。笑い、泣き、そして未来を確かめる時間だった。誰もが新郎新婦を褒め称え、時には煽り、時にはからかった。光り輝いた時間はあっという間にすぎ、私も舞い上がっていたのかもしれない。その歪さに誰も気づかなかった。

さっき何かを尋ねていた子供が新郎新婦が入刀したケーキを貪る姿が写った。なぜ気づかなかったのだろう、なぜ、誰も何も言わないんだろう。鼓動が早くなるのを感じた。彼の姿など意に介さずにケーキの写真を撮るものもいた。中には訝しそうに見ている招待客もいたが、単に他人の食べかけのケーキを写真に撮ることが気に食わなかっただけかもしれない。

そして、解散となった。私は新郎新婦に一言、おめでとうと微笑みかけて会場を後にし、今朝の喫煙所に戻った。コロナ禍では二次会も大々的には行われない。どこかで、どれかのグループが飲んでいることはあったのかもしれない。そうして酒を酌み交わしながら、それぞれの近況をもまた知ることが一つの価値であるかのように。

四角い無機質な喫煙所には黄色いテープが貼られていて何やら人だかりができていたので、諦めて私は家に帰った。電車で帰る間、スマートフォンを触っていると、国民的アイドルが結婚したというニュースが流れてきていた。あるいは祝福し、あるいは嘆く声がネットに溢れていた。Yahoo!ニュースを介して、日本中で結婚披露宴が行われているようだった。

1日に疲れて一駅も行かない間に眠りに落ちた。自分の降りるべき駅の停車音楽ではたと目を覚まし改札をくぐり、乗り換え、ようやく家に帰ってきた。長い旅路であった。スーツの汚れを落としハンガーにかけ、靴を磨いた。シャワーを浴び、汚れた鏡を拭いていると、おしゃぶりでつけたような跡が大量に着いていることがわかった。ケラケラと、子供が笑うような声が聞こえた。恐る恐る振り返ると鍵を閉めたはずの浴室の扉が空いていて、(もちろん玄関にも鍵をかけたはずだった)今朝の高級そうな服に身を包んだ子供が立っていた。大声で不気味にケラケラ笑って止まらず、驚きは徐々に恐怖へ変わっていった。彼はゆっくりとこちらへ歩いてきて私のいる浴室へと入った。笑い声は反響して無限に私に襲いかかってくる。ケラケラとけたたましくやまない、私は恐怖に駆られて彼の口を押さえた。

家の中は思い出したかのようにしん、として自分の手の中で子供が腕をバタバタさせているばかりだった。ハッとして手を離すと彼は一歩後ずさって気をつけの姿勢になった。

「すみません、結婚式場はどこですか?」

今日結婚した国民的アイドルの声ではっきりと、子供は言った。じっとこちらを見つめながら、すっかり声変わりした大人の声で、キャスターのように落ち着き払って、話した。

「式場は、どこですか?」

結婚式場は、どこにあったんだろう?私にはもう、昼間にいった会場の場所なんてとうにわからなくなってしまっているのだった。


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