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#エッセイ 湯治

オーストラリアから帰ってきた。
私は南極に2026年に到達予定のため、昨年、南極観測隊OBの方々に話を聞いて回った。その際に日本の南極観測隊は、日本のずっと下。日本から直線を引き、オーストラリアを通って南極に行くんだそうだ。そんな話を伺って、準備段階として、私は先月はオーストラリアへ行った。(一般的な南極観光ルートはアルゼンチン・チリルートらしい。)

コロナぶりの海外で、はしゃいで、当初は滞在3ヶ月を目論んで航空券を9月ー11月にて購入したが、落ち着いて考えてみれば、久しぶりの海外のため、今回は視察の、またその前段階に過ぎない。
つまり、視察の視察だ。

そのことを行く前に友人に伝えたら、旅費もないのに3ヶ月もどうするんだと叱咤激励をもらい(いや、only叱咤か?)冷静に考えれば、そやなーと、行く2週間前に滞在を1ヶ月間に飛行機を変更した。

この選択は正解も正解で、蓋を開けてみればオーストラリアについて2日で次々と南極関連や質問事項など私が知りたいと思っていたことを解決する人間が、どんどん偶然に現れ、9月1日にオーストラリアにたどり着いた私は、9月2日にはすべての疑問が解決していた。
2日間にして帰国可である。

その後、別次元に行ったかのような生活に入り、(濃すぎるのでまた別の回にまわす。帰国後に、すべてを一気に家族に説明したところ、あまりにパンチがありすぎて、みんな具合悪くなっていた。)
月日は目まぐるしく過ぎて3週間で3ヶ月分の体験をした。
朝にHello~と初めての人に会い、語ってバイバイし、昼にはHello~とまた別の人に出会う。バイバイして夕方にはまた別の人、夜にはまた別の人と、

1日で平均7名の新しい人々と会い続け23日余りを過ごした。
……少しやり過ぎである。私が気が付かないとでも思ったか。
これは明らかにパンクに近い。コミュ力お化けの名を振りかざして歩く、さすがの私もだ。


そんなこんなで、この23日間は私は運命の暴風の中におり、降り続ける嵐と対峙し、時に笑い、時に足をくじいて泣き、時に抱き合い、時に日本を語り、時にみんなと世界を俯瞰し、時に蚊の集中砲火を受け(見た目はマラリアにかかったかのよう。)JALの日本食に感動しながら帰国した。

8日目くらいで階段で脚をくじき、23日目にはほぼ良くなっていたが、飛行機の中で、窓側だったので、隣の席のおじさまを超えてトイレに行かねばならず、しかしおじさまは仕事の疲れで熟睡しておられ、かといって8時間トイレを我慢するわけにもいかず、思い切っておじさまの足を乗り越えようとなんとかジャンプして通路に出ようとしたところ、治りきっていなかった右足をもう一度くじいた。自分の足の短さの誤算である。自らを過信するなかれ。お陰で大きくバランスを崩し、通路に転がり、私が守りたかったおじさまの睡眠も中断され多くの人が驚いていた。みなさま、すまない。私は2度目、同じ場所のくじきにて足を抱えながら声を噛み殺しつつ唸り、すこしうずくまり、下から上への頭の動力を活かして瞬時に立ち上がった。
恐ろしそうに私を見つめる、みんなの顔が見えた。

湯治。湯治である。
私が言いたかったのは湯治。
多くのみんなの心配そう?だと思われる顔を見て、私は飛行機のトイレで自分が湯治に行く必要があると確信した。

湯治場に行き、人間観察をする必要がある。
いや、湯治場に行き、足首を癒すんだった。
帰りの飛行機の窓からは、次の旅先が見えた。



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偶然のさわでぃー🐐地域冒険家
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