富良野・植田コーチ退団へ「この先も必ずご縁がある」
富良野ブルーリッジは26日、植田貫乙コーチ(30)が退団することを発表した。また、退団に先立って、長年連れ添った愛車"アウディ"も売却していたことも非公式に明かしている。
植田コーチは球団公式SNSを通じ、「碧い戦士たち(ブルーリッジ)と過ごして改めて、挑戦する美学を学びました。富良野は離れますがこの先も野球を続けるので、必ずご縁があると思います。ひと回り成長した姿でまた会いましょう!」とコメント。親しい関係者の話をまとめると、今後は関東圏の独立リーグの運営に携わるとみられる。
高知県・明徳義塾高校出身。大学からは軟式野球に転身し、その後は企業チームでプレーするなどキャリアを重ね、昨シーズンよりブルーリッジに加入。コーチ業はもちろんのこと、選手の私生活のサポートから球団業務に広報活動、さらには地域通貨の運用まで幅広すぎる活躍を魅せた。一方で、地域おこし協力隊員として中富良野町の地域づくりにも大きく貢献するなど、球団内外で残してきた功績は極めて大きい。
これまでは選手の挑戦を後押ししてきたが、ここからは現状維持よりも自身の挑戦の機会を求め、退団に至った模様だ。
植田コーチは選手と年齢が近く、穏やかな人当たりの良さから特に若手に寄り添った指導で知られた。昨年は基山美月、山本翔唯、正木蓮をはじめとした若い世代をプライベートからサポートし、彼らの飛躍を支えた。また、試合前のフリーバッティングでは打撃投手として全試合登板を記録。バッティングピッチャーの範疇を明らかに凌駕したファストボールで、選手のバットをへし折るなど、献身的なサポートとは裏腹に選手たちの懐を容赦なく泣かせてきた。
地域通貨業務やマネジメントでお世話になりまくっていたという選手会長の悠太内野手(23)は「植田さんなくして2021シーズンは語れない。川上から川下まで仕事をしてくれたおかげで選手たちはシーズンを戦い抜けた。能力を考えれば、いろいろな意味で最もNPBに近い人だと思う。僕自身はトップリーグを目指さないので、普通に東京でご飯に連れっていってほしい。」とエールを送った。
ブルーリッジの色を「碧」にするべく、日々丁寧に塗り重ねてきてくれた植田コーチ。築き上げてくれた下地をもとに、さらに濃く美しい色に仕上げていくためにも碧い戦士たちの挑戦はこれからもとまらないはずだ。
植田氏のさらなる飛躍を願ってやまない。
時々新聞・万華の湯のサウナ前支店/Yuta Yamamoto
⭐︎植田貫乙(うえだ かんき)⭐︎
1991年7月10日生まれ。30歳。
・中富良野地域おこし協力隊
・西アフリカ起源の太鼓"ジャンベ"を操るプロミュージシャン。
・ファンの人から選手と間違えられる。
・ランメニューに突然参加する。
・ワクチン接種後にもかかわらずバッティングピッチャーをする。後にしっかり具合が悪くなる。
・ドキドキする封筒が家に届く。
・球団SNSを管理するもSNSにはトラウマあり。
・平日は眼鏡をかける。