倫理とは「自分の理想像」になるための制約だ
世の中に「倫理」や「道徳」、「当たり前」という言葉があふれている。
しかし、「倫理」「道徳」「当たり前」をこれだ!と説明しているものはこの世に存在するのだろうか。
商売的にそういう名目で売り出されている言葉はあるかもしれないが、この世界中に住む人間全員が共感できる「倫理」などは存在しないと思う。
ではなぜそのような言葉が生まれ、今でも存在し続けているのかという理由を考えたとき思ったのは
「自分の理想像」になるための制約なのではないかということだ。
人間はこうあるべき
これは裏を返せば「こうでありたい」と思う気持ちの表れである。
だからこそ自分の思う「倫理」に反する人には、自分の理想像を否定するものとして憤りを感じるのではないだろうか。
「この人は常識がない」と憤る前に「これは私の理想像の押し付けではないのだろうか」と考えることで少し争いが減るような気がした。
そんな2022年3月1日
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