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10. 臨床を離れたら、きっとわからなくなることⅢ〜臭くても顔に出さない、看護の基本

ヘンな医師の名言

私が1984(昭和59)年に入学した東京厚生年金看護専門学校(現在はJCHO東京新宿メディカルセンター附属看護専門学校)には、実習病院である東京厚生年金病院から、臨床医が疾患についての科目を教えに来ていました。

その授業の中で、ある医師が授業中に言った一言を、私は今も大切にしています。

それは、「医者も看護婦も、臭い時に臭いと顔に出しては絶対にいけない。鼻をつまむなど許されない」との言葉。授業の態度も内容もかなりヘンな男性医師でしたが、その一言だけは、妙に納得できたのです。

彼は外科系の診療科の部長。その語り口はデリカシーを欠き、記憶のままに書き起こすのはためらわれます。

概要としては、彼が執刀した手術で、いったんは取り切ったがんが、再発。大きくなったがんが壊死して悪臭を放ち、対処が非常に大変だった、という内容でした。

がんには、細胞を栄養する独自の血管がない。だから、ある程度大きくなると壊死してしまう。壊死とはすなわち腐敗で、だから強烈な悪臭なのだ。

………この話は、ものすごくリアルであり、改めてがんという病気の怖さを知りました。

ただ、ここまで特異な事例でなくとも、臭いの問題は日常的にありました。日々の排泄介助に際しても、この言葉は生きたのです。

卒業後勤務した内科病棟では、寝たきりの患者さんが多く、オムツ交換は通常業務になっていました。一方で、「死ぬまで下の世話は受けたくない」という感覚は、多くの患者さんにあるのですよね。

心ならずも世話をされる患者さんの心情を思うと、相手の尊厳を傷つけず、さりげなく下の世話をする。それがプロとしての看護師なんだと、駆け出しなりに自負を抱きました。

排泄物とうんこ

意外かもしれませんが、排泄物の臭いというのは、日常的に扱っていると、意外に慣れるものです。今も昔も、仕事中、便の臭いにたじろぐことはまずありません。

ところが、一度仕事を離れると、意外に気になるのですよ。ある時、そのことを発見する珍事件がありました。

看護師として働き始めてしばらくした頃のことです。当時乗っていたオートバイのシートに、うんこを置かれる嫌がらせに遭いました。

当時はどこにいくにもオートバイ。今ほど駐車違反もうるさくなかったのです。新宿かどこか、繁華街に行き、路地裏に停めていたところ、やられてしまいました。

それは遠目にもわかるほど、けっこうな太さのうんこ。犬でも猫でもありません。絶対に、間違いなく、人間のうんこでした。

ものすごく理不尽なことをされた時、やった人間が悪いのに、されたこちらが恥ずかしくなる。そんな経験ってありませんか。この時の私が、まさしくそうでした。

とにもかくにも、なんとかうんこをシートから退け、とりあえずきれいに拭き取りました。その過程で、私はその臭気に「これは絶対に人間のうんこだ」と確信しつつ、ひどく参ってしまったのです。

この時私は、自分が排泄物に動じないのは、看護師として働いている時のみなのだと、理解したのでした。仕事中に扱うのは排泄物。仕事を離れて突然目にするのはあくまでもうんこなのです。

それにしても、時は夕刻。人通りは少ない路地裏でしたが、外はまだ明るく、いったいどうやってオートバイのシートにうんこが乗っていたのか。今もわかりません。

750ccのオートバイのシートは大きいとはいえ、あそこに乗ってうんこができるとは思えません。どこかでしてきたうんこを、わざわざ乗せたのか。

今もその謎は解けません。

本当に試される時が来た

最初に配属された内科病棟には、皮膚科の入院を受けるベッドも数床あり、皮膚がんの他重症のアトピー性皮膚炎などの患者さんを受け入れていました。

ある時、陰部全体に広がる皮膚がんの男性が入院。医師とともに患部を見るため、覆っていた紙オムツを外したところ、これまでに経験のない臭いが広がりました。

<ああこれが、あの時授業で聞いた臭いだ>。私は瞬間的に理解し、以後は動じずに対応することができました。診察をしていた皮膚科の医師も同様に、落ち着いて症状を聞き、あの臭いさえしなければ、至って普通の診察に見えたでしょう。

診察中は生理食塩水で陰部全体を洗浄し、感染兆候があったため、抗生物質の入った軟膏を塗って処置は終了。滲出液が多いため、紙オムツで再び覆い、この処置を毎日医師と行うことになりました。

この時点で、がんは陰部から鼠蹊部に及び、赤く爛れた皮膚にボツボツした隆起が目立ちました。これだけでも非常に痛々しい外観でしたが、さらに、陰茎が完全に崩れ、尿道口だけが広がっている状態だったのです。

このままだと尿道口から常に尿が出ている状態です。相談を受けた泌尿器科の医師は、尿道口から膀胱に管を入れて留置。皮膚の清潔は維持できるようになりました。

とにかく、あの時点で、あそこまで進行した皮膚がんは初めてだったのは間違いありません。救いは尿カテーテルが留置できたこと。常時尿が漏れる状態だったら、苦痛はさらに強かったでしょう。

理解を超えた経過

主治医によれば、原発(最初にがんができた部位)はおそらく陰茎だそう。これまでの経過を考え、しみじみ嘆いていました。

「決して進行が早いタイプのがんではないと思うんだよね。いったい、どれだけ放置していたんだろう。下手をすると10年以上。最初は亀頭部に何かぽつっとできた程度だろうから、すぐにわからないだろうけど、陰茎が崩れて尿道口だけになっても、放っておいたわけでしょう。いつも尿で濡れていたから、あんなにただれて、もう、因幡の白兎状態で……。これから全身の評価をするけど、肺には陰影があるから、肺転移はありそうなんですよ。なんでもう少し早く病院に来なかったのか。あの状態になったから、もう見せたくなくなったのかなあ」

結局男性は、入院から約半年で亡くなりました。入院時点で両肺と肝臓に転移があり、根治は望めません。抗がん剤の治療も男性は希望せず、最後は衰弱が進み、消えるように亡くなりました。

男性は当時60代後半で、妻との二人暮らしでした。自営業で、家でデスクワークをしていたそうですが、その仕事も昨年でやめたそうです。

妻は病状を聞いて驚きながらも、覚悟した様子。医師の話が終わるのを待って、淡々とこう言いました。

「状態はわかりました。とにかく若い頃から何も言わない人なので。そこまでの状態とは、全く気づきませんでした」

一緒に暮らしていても、行動は別という夫婦も世の中にはたくさんいます。それでも、一緒に暮らしていれば、互いに隠せないこともあるのではないでしょうか。

男性の病状を考えると、妻が全く気づいていなかったというのは、すぐには信じられない気持ちでした。

何しろ、入院してきた時、男性は紙オムツ。常時出てくる尿と滲出液のため、紙オムツは常に濡れている状態でした。

使用後の紙オムツは、どこに捨てていたのか?かなりの臭気は、妻に気づかれなかったのか?次から次に謎が浮かんだのです。

とはいえ、これらはあとから言っても仕方がありません。さらに、徐々に悪くなる病状では、本人、家族が悔やむようなことを聞く意味もないでしょう。結局これらの謎は、最後まで聞けずじまいでした。

自分の身体が臭うこと

その後、緩和ケア病棟で働いた時には、何度かがんが壊死する、独特の臭いを経験しました。直腸がんの肛門部への再発、未治療の乳がんが上半身全体に皮膚転移を起こした例など。一緒に働いた仲間は、誰ひとり臭いと感じているような表情は見せません。

ある若い看護師が、直腸がんの患者さんについて、こんなふうに言っていました。

「こう言ったら申し訳ないんですが、生きながら身体の一部が腐っていくような。そんな臭いですよね。自分でも臭いって、わかるんでしょうか。本当にお気の毒です」

最近になって、この言葉の重さを改めて噛み締めています。

今は精神科で働き、妄想や億劫感、独特のこだわりなど、さまざまな理由で身綺麗にできない人とも関わっています。排泄物や、壊死した細胞の臭いとは別の、体臭、ゴミの臭いなど、特に暑い時期には、非常に辛い臭いだったりします。

これは、排泄や細胞の壊死よりは、はるかにその人自身の努力で回避できる臭気に思えてしまい、「臭いから綺麗にしましょう」と躊躇なく注意してきました。

けれども、「臭い」との指摘は、人を蔑視する際よく使われる言葉でもあります。自分の身体が臭うと言われるのは、ものすごく傷つくことなのではないでしょうか。

身綺麗にできない理由は、その人の中に、きっとあるのです。その点をもっときちんと理解しようとしなくては。臭いをめぐるあれこれを思い出しつつ、そんな反省をしています。

嗅覚のリアル

訪問看護の時も、訪問した家には特有の臭いがあり、特に強く感じたのは、皮脂とカビの臭いでした。最初は気になったものの、だんだん慣れて、気にならなくなりました。

友人の家に行って、この臭いがしたら、かなりめげそう。そんな臭いがしても、看護師として働いていれば、さらりと受け流せてしまうものです。

人間のものの感じ方は、置かれた状況によって、本当に変化する。そのことを、訪問看護の仕事を通して、改めて発見しました。

そして、病棟で働き始めると、そこには汗や排泄物、食べ物の臭いが混在する、特有の臭いがあります。その場に慣れるというのは、そこの臭いが気にならなくなること。そんな側面もあるように思います。

臭いは目に映るもののように撮影できず、耳に聞こえる音のように録音もできません。臭いは、出来事とともに記憶するのみ。臭いはまさに今ここにあるリアルだとも言えます。

つまり、臨床のリアルのかなり重要な部分を、嗅覚のリアルは負っている。前回の投稿で、私が若い女性が亡くなるまでの経過で、臭いに関する記述をしているのも、記憶と嗅覚の結びつきが表れています。

臭いを通じてこそわかる臨床の感覚は、とても貴重。嗅覚のリアルを、これからも大切に働くつもりです。


8月15日夕方、私もアカウントをフォローしているTwitterの人気猫<歌舞伎町のたにゃちゃん>が、虹の橋を渡ったことを知りました。
年齢は不詳ですが、腎不全の発覚から1年未満の急な最後でした。飼い主さんの悲痛なtweetを見ては、なんとか持ち直してほしいと願っていましたが.......。叶いませんでした。
Twitterにはたにゃの元気だったときの写真がたくさん投稿されています。よろしければ、見てあげてください。たにゃ:https://x.com/kabukinoraneko
たにゃちゃんの調子が悪いと知ってから、治療費へのカンパと思い、本を買いました。デスクに飾って、たにゃちゃんを偲んでいます。
人間の医療者として、猫の一生から学んだことは数知れません。次回以降、そのことをまとめて書いていこうと思います。


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