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20. 管理職を経験したからわかったことⅤ〜つらくなくなった病棟カンファレンスの衝撃
昇格の経緯
私は長年、管理職になるよりも、ずっとヒラでいて、患者さんのケアをする方がいいと考えていました。にも関わらず、結局同期の誰よりも早く管理職になる上で、忘れられない経験があります。
それは、当時すでに看護師長になっていた先輩とのやりとり。彼女は「ずっとヒラでいたい」という私の言葉に、こんな問いかけをしてきました。
「それも生き方だと思うけど、誰か、納得できないような人が上に行った時、それでいいと思えるかしら?まあ、あなたなら飄々としているかもしれないけど。そんな人が自分の上司になったら、けっこう大変よ」
この先輩の言葉には、ハッとさせられました。なぜかというと、ちょうどその少し前、当時時々読んでいた中野翠さんのコラムに、こんな内容の文章をみつけ、かなり当たっていると感じていたからです。
<女性の多くは、自分が上に立ちたいという積極的な出世は望まないが、あの人の下にはつきたくないという、消極的な出世は望んでいる>。
細かい表現は忘れましたが、間違いなく、こんな要旨でした。
ハッとする、というのは、ある種の共感であり、肯定です。
私自身、<自分が上がりたいわけではないけれども、あの人が上がるのは、おかしいと思う>経験は、なきにしもあらず……。
それからしばらくして、主任看護師への昇格について打診があり、私は迷わず引き受けました。1987年、当時私は35歳。先輩とのやりとりによって、気持ちの備えができていたのだと思います。
3年間の主任時代は、非常に管理的な上司のもとで、しんどい日々を送りました。とはいえ、組織に異動はつきもの。しばらくして上司が代わり、部下の自主性に任せるスタイルのその人とは、とてもいい感じで仕事ができました。
ところがその人が別の病院にヘッドハンティングされてしまい、また元の人が戻るかもしれない。そんな事態になってしまいました。
<前の上司の下で主任をやるか、自分が昇格して看護師長になるか>。その選択を迫られ、私は後者を選んだのです。
以上の経緯は、決して気持ちの良い話ではありません。以前なら書かなかったのですが、前の職場を辞めて16年が経とうとしている今、もう時効だよな。そんな気持ちで書きました。
人との相性というのは、もうどうにもなりません。向こうは向こうで、合わない部下と働くのは、大変だったと思います。そこはもう、痛み分けということで……。
キョーフの病棟カンファレンス
主任時代、最もつらかったのは、あまりにも長すぎる病棟カンファレンスでした。月に1回、勤務後に行われ、この日は17時30分から始められるよう、日勤者が多くついたものです。
目的は、看護師長からの伝達と、病棟業務についての話し合いですが、とにかく看護師長からの話が長く、最長3時間超え……。21時近くに終了となった時には、主任看護師以下全員が放心状態で、無言で帰路につきました。
上司がカムバックするかもしれない、と聞いて私がまず思い返したのは、あの終わらぬ病棟カンファレンス。カンファレンスの準備として、さらに2〜3時間、上司の話を聞く役割もありましたから、それはそれは耐え難い苦痛でした。
そんな経験から、私が看護師長になる際、固く固く心に誓ったのは、病棟カンファレンスを1時間以内に終わらせること。伝達事項は必ずペーパーにまとめ、15分程度で終わるよう準備しました。
また、かつては夜勤明けでも休みでも出なければならなかった暗黙の規則も廃止。病棟カンファレンスはほぼ1時間以内で終了できるようになったため、病棟カンファレンスの重圧は、ほぼ解消したと思います。
ただ、この経験を通して私は、思いがけない学びを得ました。それは、主任時代あんなにつらかった病棟カンファレンスが、看護師長になると、ちっともつらくなかった。よほど気をつけていないと、1時間の枠を忘れそうにさえなったのです。
この変化は衝撃でしたが、理由はすぐに思い当たりました。看護師長になると、自分が嫌になれば、いつでも病棟カンファレンスを打ち切ることができる。つまり、長さを決める権限が自分にあれば、長い会議もつらくないというわけです。
それが証拠に、看護師長を集めて開かれる看護師長会議は、長くなるとつらかったですね。こちらは、私に終わらせる権限はありません。その権限があるのは、看護部長だけ。
……ということは、看護部長になれば、看護師長会議もつらく無くなるのかなあ。かなりの確率で、そうじゃないかと思います。
いずれにせよ、あれだけつらかった会議がつらくなくなる変化は、私に大きな示唆を与えました。管理職は、本当に気をつけていないと、暴君になる。残念ながら、私もまた、そのリスクから逃れられないと思ったのです。
無駄と無理をなくす
管理者になると、ヒラの時とは見え方、感じ方が変わってくる。そのこと自体は、当然でもあり、そこを拒絶するのはおかしなことに思えました。だったら初めから、引き受けなければいいのですから。
こうした変化を認めた上で、それでも<このようではありたくない><このようでありたい>という管理者のあり方というものがある。これも大事なことです。
その1つが、病棟カンファレンスの短縮であったわけですが、これに象徴される私の目標は、<可能な限り無駄と無理をなくす>。これに尽きました。
前にも書いたように、私が看護師長になった時の看護部長とは、とても気が合ったのですが、彼女の口癖は、「(部下の)時間泥棒になってはいけない」。これには本当にぐっときましたね。
当時病院はいわゆるサービス残業が当たり前の風土があり、別の病院から着任した看護部長は、大きな問題を感じていました。私も、管理職となり、働いた分だけ超過勤務の申請をさせてあげられないことが非常に苦しく、その気持ちを随分聞いてもらいました。
ただ、当時は病院が身売り先を探している状態。今以上人件費を出すのは難しく、看護部長としては、超過勤務そのものを減らす方向に持っていきたかったようです。
まあこの辺りは、私自身、労働倫理に照らしてきちんと労務管理ができたかといえば、全く至らぬ状況だったわけで、今も思い出すと苦しくなります。
その上で今改めて思うのは、サービス残業というただ働きを当たり前としてしまうと、組織の側に、業務の効率を上げようという機運が高まらないという事実です。
そして、真面目な看護師は、「患者さんのため」と言われれば、無理に無理を重ねてしまう。これこそまさに、「時間泥棒」であり、やりがい搾取そのものというほかありません。
2つの禁句
繰り返しますが、私自身も「時間泥棒」の加害者。偉そうなことは言えません。
当時は、まず自分が加害者であることを誤魔化さずに自覚する。その上で、2つの言葉を自らの禁句に定めました。
1つは、部下を「子」と呼ぶこと。ダメな例文としては、「うちの若い子たちは」。要は子ども扱いはダメだということです。類似の表現として、ベテラン看護師を「おねえさんたち」と言う管理職がいて、これも私にとっては避けたい表現でした。
そのこころは、部下は働きに来ている労働者であり、1人の大人。それ相応の敬意を持って扱われるべきあり、「子」と呼ぶのは礼を失しています。
特に日本は家父長的な価値観が未だ社会の端々に残り、女性をいつまでも子供扱いする傾向を感じます。長年女性が多数派を占めている看護職の世界は、こうした傾向からも、自由ではありません。
また、当時の職場特有の問題がありました。もともと看護職は、専門職として継続学習を求められる職種。このこと自体は私自身も受け入れ、60代になっても学習は欠かしません。
当時の職場は、特にその傾向が強く、実際、教育体制が整った病院でした。そのような環境で育ててもらったのは、とても幸運だったと感謝しています。
一方で、教育熱心な職場であればこそ、看護職員を労働者としてよりも、教育の対象として見てしまう。そのような傾向が、サービス残業に拍車をかけていたことは否定できません。
そして、付属の看護専門学校を持ち、卒業生が多く就職してくる状況では、こうした組織風土は強化されます。他の病院を知らなければ、それが当たり前。私自身、今の病院に移流まで、前の職場のやり方が当たり前だと思っていました。
そしてもう1つの禁句は、「患者さんのために頑張れ」。これには2つの理由があります
最初の理由は、部下が余裕を持って働き、自然にそうした気持ちになれるよう、環境を整えることが私の仕事だから。多くの看護師は、元からそのような気持ちを持っていて、それが実現できずに苦しんでいます。
「患者さんのために頑張れ」と叱咤するのは、管理者の甘えであり、敗北。そのような気持ちになれないならば、自分の力不足を受け入れなければなりません。
次の理由は、大人は説教では変わらないから。いい大人が説教で変わると思うのは、幻想です。相手を大人として見るなら、きちんと問いと答えをやりとりしながら、ともに変わっていけるような言葉を発したいと思いました。
管理者としての自分を評価する
管理者としての7年間を振り返って、いろいろ思ったことを書いてきました。最後に、管理職としての自己評価を、まとめて終わりたいと思います。
私は管理者として、問題がある部下と働く機会が多くありました。それは、急性期中心の病院において、いわゆる「できる看護師」は、外科や内科など、大きな病棟へ配属される傾向があるからです。
そのような環境において、精神科病棟と緩和ケア病棟という、ニッチな病棟を担当していれば、これはやむを得ないこと。部下の多くは、ちょっと変わったところ、扱いづらいところがありながら、それぞれにユニークな人たちでした。
こうした部署を任されるのは、私にとって、願ってもないことだったと言えます。なぜなら私自身が結構なへそ曲がり。素直で前向きすぎる人は割と苦手なのです。
これは私の管理者としての限界でもあったのですが、私は、部下に対して、苦手なことをがんばるよりも、得意なことをやってくれればそれでいい。そう考えるタイプでした。
他人に対しては、諦めがいいのです。だから、私の下だから働けた人がいる代わりに、私の下だから伸びなかった人もいると思います。
管理者の多くは、諦めが良くて人を伸ばさないか、諦めずに人を潰すか。どちらかの傾向に偏るのではないでしょうか。相手によって使い分けられればサイコーなのですが、そうはうまくいきません。
だったら、自分がどちらの傾向にある人間か。それを理解して、管理職として働くのが、害がないのではないかと思います。
ヒラの看護師として働く今も、こうした自分の傾向はきちんと理解し、看護に、人生に生かしていると感じます。
以上、プロローグを含め、21回にわたって、「看護師を長く続けてわかること」を書いてきました。
人生に次があるかは確信が持てませんが、もしもう一度生まれてくるようなことがあれば、また看護師でいいや、と思います。そして、途中で辞めるとしても、お声がかかればきっと管理職になるでしょう。
note連載「看護師を長く続けてわかること」は、ここで一旦終了します。ご愛読ありがとうございました。機会があれば、書籍にするかもしれません。その際はまた、何らかの形でお知らせいたしますね。
また、今後noteを活用しての著述活動には、力を入れていきたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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人権が冷笑される世界を、私は決して受け入れません。トランプにかしずくIT長者は本当に醜悪。イーロン・マスクは論外として、ザッカーバーグのクソ野郎ぶりも、目を覆うばかりです。
そこで、Facebookとは今後距離を置くことにしました。主なプラットフォームはBlueskyに移行していきます。ただ、プラットフォームの変更は、かなり大変なので、Facebookをお使いの方とのつながりを維持するため、当面使用を続けます。
具体的には、今後FacebookとBlueskyの両方に投稿します。可能であれば、是非Blueskyにも遊びに来てください。アカウントは「ねこのしもべM」。プロフィールで実名を出しています。 https://bsky.app/profile/nekonoshimobe-m.bsky.social