12. 動物の死・人間の死Ⅱ〜看護師として、動物医療を通じて考えた
猫の寿命は延びている
人間の寿命が延びるように、人間とともに暮らす動物の寿命も延び続けています。理由は、ペットフードの改良、室内飼いの増加、動物医療の進歩など。それこそ、今では猫の20歳超えは当たり前になりました。
猫の年齢を人間の年齢に換算するには「24+(年齢−2)×4」で計算します。2年で24歳と大人になり、その後は4歳ずつ年をとる計算になります。
以前は1年に7歳、といわれていましたが、大人になって以降は、加齢の速度が緩くなるのですね。それでも、3ヶ月で人間の1年分の年をとるわけですから、1日1日大事にしなくては。
ちなみに、2015年生まれのもふこは9歳。人間なら52歳。あと2年、11歳で還暦になります。そろそろシニアの域なので、いろいろ気をつけながら、長生きしてほしいと願っています。
私が一人暮らしになって以降飼った猫は、ミルク(1988~2001年)、ぐう吉(2001~2019年)、もふこ(2019年~)の3匹です。
すでに見送ったミルク、ぐう吉は、いずれも加齢とともに腎機能が落ち、腎不全で亡くなっています。特にぐう吉は6歳から腎臓が悪く、18歳でこの世を去るまでの12年間、可能な限りの治療を行いました。
ぐう吉のこの経過は、noteマガジン<猫のぐぅ吉と腎不全>に詳述しているので、よろしければご覧ください。
私は人間相手の看護師として働きながら、飼い猫を通して動物医療の恩恵を受けています。動物医療と人間の医療の最も大きな違いは、動物医療は公的な保険がないという点。民間の保険はあっても、診療自体は全て自由診療です。
そのため、飼い主の経済力が動物の寿命に関わるという面は、否定できません。多くの動物が動物医療を受けられる現状は、長いスパンで見れば、経済的にゆとりのある人が増えているとも言えるでしょう。
ここでは、動物医療を通して、私が考えたことを、書いていきたいと思います。
猫の寿命は腎臓が決める
猫と暮らしてきたかなりの期間、私は猫の慢性腎不全と関わってきました。看護学生時代、解剖学・生理学を学んだ時、その精緻な構造と機能に感動したのが、この腎臓という臓器。血管の塊で、多くの血液を通し、濾過して老廃物をより分けていく仕組みは、とても分かりやすく、以後の学習につながる授業になったのです。
腎臓の構造と機能は、基本的に、猫も人間も変わりません。そして、私の周囲を見ても、腎不全で亡くなる猫はたくさんいます。がんや感染症などで亡くならなければ、やがて腎不全で亡くなる。そんな印象です。
実際、猫の慢性腎不全の発症率は、8歳前後で約8%、10歳前後で約10%、12歳前後で約24%、15歳前後で約30~40%という報告も見かけます。
猫の寿命は最終的に、腎臓が決める。思えば最初に飼ったどんも、初めて一人暮らしで飼ったミルクも、そして次にもらい受けたぐう吉も、みな腎不全で亡くなりました。
ミルクは実家の庭に住み着いた猫を私がもらい受けたので、正確な年齢はわかりません。多分、2001年に亡くなった時には、20歳前後。まずまずの長寿だったと言えるでしょう。
ミルクはとても元気で、健診もしていませんでした。15歳を超えた頃、たまたま歯が悪くなって動物病院に行き、腎不全とわかった時には、かなり進行していたのです。
人間でも使う活性炭の薬を出してもらい、具合を見ながら病院で補液をしてもらいました。だんだん食べる量が減り、やせが進み、腎不全とわかってから亡くなるまで、約3年の経過でした。
ちなみに、活性炭の薬は、人間の腎不全でも使われています。老廃物を腎臓で処理できなくなった分、活性炭を口から飲んで吸着させる、というイメージ。人間の場合、カプセルを1回4錠、1日3回飲んでいる人も見たことがあります。
カプセルはいかにも飲みにくそうで、飲んでもらうのも申し訳ないほどでした。腎不全では吐き気が出る人が少なくありません。それでも、みんながんばって飲んでいたのは、老廃物を吸着するという、その薬効が分かりやすかったこともあったのでしょうか。ミルクに薬を飲ませながら、そんな患者さんたちのことも、思い浮かべたものです。
その後もらい受けた保護猫のぐう吉は、初めに書いたように、6歳から腎不全を発症。この頃になると、いろいろと治療法も確立していて、腎不全用のフード、皮下補液などで進行はかなり抑えられました。
なぜ猫は腎不全になるのか
猫はなぜ腎不全になるのか。動物病院のサイトには、飼い主向けの説明がいろいろ出ていて、とても勉強になります。
高血圧、糖尿病などによる動脈硬化によって引き起こされ得るのは、人間と同じ。また、猫は遺伝性の病気も多く、多発性腎嚢胞、アミロイドーシスによる腎不全も知られています。
しかし、こうしたいわば病因が明らかな腎不全以外にも、猫には腎不全を起こしやすい種としての性質があるよう。そしてそれは、猫という動物の来歴に深く関わっています。
今飼われている猫の祖先はリビアヤマネコと考えられ、砂漠地帯に生息しています。そのため、リビアヤマネコは渇水に強く、少ない水分で生きられる。これは、生存に有利な性質である一方、腎臓には常に負担がかかってしまうのです。
ミルクを最後まで診てもらった動物病院には、その後の猫もお願いしています。
一番ありがたかったのは、ミルクの死に際して、かけていただいた言葉でした。
「猫の腎不全は、年をとると避けられません。こんなに腎臓が悪くなるまで長生きしたということなんですよ」。
ちょっと大げさかも知れませんが、これを聞いた時、自分の死についてのイメージが、根本から変わるような気がしました。
確かに、腎不全は、猫にとっては自然な老化に限りなく近く、猫である限り免れるのはむずかしいものです。事故や突発的な病気で命を落とさないのであれば、行き着く先は腎不全なのですよね。
腎不全で亡くなるまで生きられたというのは、それこそ、まさに寿命を全うしたと言えるのかも知れません。
なぜ猫は食べなくなるのか
ちなみに、腎不全の指標になる血液検査データは、人間と猫では、大きく変わりません。最初にデータを見た時は、その事実に驚きました。
さらに、症状の進行も、人間とほぼ同じ。初めは症状が出ず、老廃物が体内にたまり出すと、吐き気や食欲低下などの尿毒症症状が出る……。それは、内科で働いていた頃多く見かけていた、腎不全の患者さんそのままでした。
ミルクもぐう吉も、腎不全が進むと、食が細くなりました。これは病態から見てやむを得ません。
ただ、ぐう吉は一度腎不全が悪くなった後、持ち直したエピソードがあり、その際、なかなか食欲が戻らず、心配させられたものです。
かかりつけの獣医さんの話や、他にも調べた情報をまとめると、猫は一度食べたくないと思うと、長期間食べなくなる。これはよくある話のようなのです。
現時点で私は、猫は肉食獣で、長時間獲物が捕れないこともあり得るため、飢餓状態に極めて強い、という説明が腑に落ち、そのように理解しています。
確かに、野生動物を見ても、肉食獣は皆やせ、草食獣は太っています。肉食獣はひとたび異変があれば、狩りができなくなる場合もあるでしょう。
しかし、飢餓状態になっても、獲物が来れば、俊敏に狩りをするのが肉食獣の生きる道。お腹が空くと動けないようでは、肉食獣として生きていけません。
どんなに家猫が長くなっても行動に野性味があるのが、猫の特徴と感じます。ひっかく、噛む、押さえつけて蹴る………。小さくても、やっていることは虎やライオンと変わらないのですよね。
飢餓状態に強いだけに、一度食べたくないと思うと、食べなくなってしまうのでしょう。そして、突然食べ出すのもまた、猫なのです。
どうしても食べない時の対処法
とは言え、長期間食べられないと猫は肝不全を起こし、命の危険があります。丸々2日食べなければ要注意。そのくらい用心した方がいいというのが、私の考えです。
では、食べない時どうするか。私は、ぐう吉が吐いてしまわない限り、フードを口に押し込んで食べさせる、強制給餌をしてきました。
ぐう吉は、すぐに食べなくなるので、1日の目標摂取量を決め、未達の分は強制給餌。このやり方でうまくいき、最後まで体重は維持していました。
次にもらい受けたもふこは、腎臓はまだ正常ですが、とにかく食が細くて。強制給餌をするほどではありませんが、毎日食べている量を計測し、気をつけています。
特にわが家に来てしばらくは、緊張のため食事をとらず、何度か動物病院で皮下補液もしました。常にいるのはクローゼットの奥。おびえて身を隠していたのです。
まだなじめない状況では、強制給餌も避けたいですよね。かといって、食べない時間は長くなるばかり。やむなく獣医さんに相談したところ、意外な薬が処方になりました。
それは、抗うつ剤のレメロン。もちろん、人間の抗うつ剤ですが、猫の食欲を増す薬としても使われています。これをもふこに飲ませたところ、2~3時間後にはクローゼットの奥から元気に登場。ばくばくと食べ出したのです。
脳内物質は調整できる!
精神科の看護師として、このレメロンの効果は、衝撃的でした。なぜなら、抗うつ剤って、人間にはここまで劇的には効かないんですよ。
もふこへの効果は、本当に分かりやすく、効果があるうちは人間に近づき、フードを食べる。そして、効果が切れると元のもふこに戻り、クローゼットの奥へと消えていくのです。
それでも、何日かレメロンを続けるうち、なんとなく家の環境になじんできたようでした。効いている時間が長くなったように見え、姿を見られる時間が延びてきます。
薬を飲ませる量を減らしたり、投与間隔を空けたりして、少しずつ減量し………。最後には、レメロンなしに、フードを食べ、私たちと一緒に寝るようになって行きました。
この経過でしみじみ思ったのは、人間と猫がかかえるややこしさの違いです。人間のうつは脳内物質の不具合が関与しているとしても、多くの場合、人間関係のトラブルや、暮らしの厳しさなど、さまざまな実存的問題が絡んでいます。
従って、脳内物質の不具合が調整できても、なかなかすっきり良くなりません。薬の効果が実感できず、先の見えない状態が続きがちなのが、とても気の毒です。
翻って猫は、<本来の自分はどうあるべきか>といった、実存的な問いはないように見えます。だから、面白いように、レメロンが効いてくれた。この経験は、薬効について考える、いい機会でした。
ここで思い出したのは、多くの獣医さんが、「猫には死の不安はないのではないか」と言っていたこと。猫を見送る時、この言葉はとても救いになっていました。
この時の反応を見て、多分これは本当だろうな、と思いました。猫はとても複雑で賢い動物。けれども人間のようなややこしさがないからこそ、見ていて救われるのではないでしょうか。
医療の進歩と選択の悩み
以上、これまで私が経験してきた動物医療について、印象に残ったことを書いてきました。
私が人間の医療と比べて最も違う点だと思うのは、手立ての少なさ。一番大きいのは、腎不全に対する血液透析、食べられない場合の中心静脈栄養が行えないのは、とても大きいと思います。
従って、猫はひとたび慢性腎不全になれば、いずれはそれで命を落とす。また、どんな形であれ、口から食べられなくなったら、いずれは栄養不良で命を落とします。ここは、人間との大きな違いです。
もちろん、こうした限界に直面して、選択肢がないのは、飼い主としてたまらない気持ちになります。しかし、人間のように、もっと多くの選択肢があるのも、正直つらいところもあります。
ましてや動物医療の場合、選択をするのは、動物ではなく飼い主。全面的に意思決定を代行し、責任を負う辛さも引き受けなければなりません。ある程度選択肢が限られ、限界があるからこそ、それを引き受けられるのではないでしょうか。
とは言え、動物医療も、長足の進歩を遂げています。猫伝染性腹膜炎のように、以前は助からなかった病気が助かるようになりました。
これはとても喜ばしいこと。一方で、治療を続けるかどうかの選択を迫られ、苦しむ飼い主がいるのも事実です。看護師として、病気を巡る辛さのかなりの部分は、選択する辛さだと感じてきました。今や、動物医療も似た状況になっています。
特に自由診療の動物医療の場合、飼い主の経済力が、どこまで治療するかのゴールになります。私は、この点についての考えはかなり明確で、無理のない範囲でやればいい。これに尽きます。
なぜなら、外で生きる猫に比べれば、家で飼われる猫はそれだけで平均寿命に差があります。快適な室内で飢えることなく暮らせる猫が、少しでも増えるなら。いよいよの時に受けられる医療の違いよりも、日常的に愛情を注ぐことが大切なのではないでしょうか。