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14. 敢えて倫理的葛藤を引き受けるⅡ〜患者の意思決定が、医学的見地からは受け入れ難い時

患者の意思決定が、医学的に正しいとは限らない

長くこの仕事をしていると、うまくいった経験よりもうまくいかなかった経験の方が、はるかに強く記憶に刻まれています。

これは、どの職業でも似た傾向があると思うのですが、看護師の場合、それが命に関わる内容だったりするのですよね。

改めて読み返せば、この連載で書いている経験も、多くが奥歯を噛み締めるような、良い結果が出なかった例が多いように思えます。

<患者の意思決定>についても同様で、悔いの残る事例がいくつもあります。

時代の流れは患者の意思決定重視。しかし、残念ながら、患者さんの選んだ選択肢が、医学的に正しいとは限りません。

患者さんが自らの意思決定に従って行動した結果、命を縮めたとしか思えない例もありました。私たちの関わりはあれでよかったのか……。割り切れない気持ちが消えません。

以下、象徴的な2人の患者さんのことをお話しします。

初めて「患者の自己決定」に疑問を抱いたトミナガさんの選択

私がまだ内科病棟で働いていた20代の後半、ある日の夜勤でトミナガさんという40代の男性が急患で運ばれてきました。40℃を超える高熱で、黄疸がひどく、見るからにただならぬ病状です。

すぐに入院が決まり、検査をした結果、嫌な予感は当たりました。かなりの確率で、胆管がんによる胆道閉塞とそれによる胆管炎が疑われたのです。

治療としては、まず抗生剤による感染症の治療。また、黄疸を軽減しないと、命に関わるため、お腹から胆道にチューブを通し、胆汁を体外に出す処置も行われました。

ところが、とりあえず緊急の治療が落ち着いたところで、トミナガさんの妻が来院。担当医が病状と今行われている治療について説明したところ、驚くような言葉が出てきたのです。

「本人とも話したのですが、私たちは体に穴を開けて管を入れたり、手術をしたりするような、乱暴な治療はあってはならないと思っています。人間には、自ら直る力があります。それを活かす治療を希望します。病院ではそうした考えは許されないでしょう。だから、今すぐ退院させたいと思います」

見た目は本当に穏やかそうな女性。語り口も冷静でした。それだけに意思は固く、医師がどんなに治療の必要性を説明しても、全く気持ちは動きません。

トミナガさんにも確認したところ、妻と同じ意見だとのこと。今すぐ胆道に入っているチューブを抜き、点滴を中止して、退院したいと希望しました。

最後は内科部長も出てきて、現状で治療をやめて帰宅したら命の保証は出来ないとも説明。しかし、ふたりの意思は変わらず、最終的には自己退院(医師が許可を出さない、患者の判断による退院)となったのです。

その後トミナガさんがどうなったのかはわかりません。病状から考えれば、数日で亡くなっても不思議はない。そんな病状だったのです。

退院されてしまった担当医は放心状態。夜勤の残務が終わらない私も同様で、なんとも言えない無力感を共有していました。

「あれも<患者の自己決定>って思うしかないんですかね、宮子さん」

自分と同年代の医師の嘆きに、私は当時なんと答えたのか………。恐らくなにを言えばいいか、わからなかったような気がします。

後日、トミナガさんは自宅で亡くなったようで、治療経過について、担当医に警察からの問合せが入りました。

標準治療は素晴らしい、と痛感したモリヤマさんの選択

もうひとつの例は、ほとんど未治療のまま初期から末期までを過ごしてしまった、モリヤマさんという60代の女性。確立した標準医療を行う病院では、まずお目にかからない経過でした。

入院してきた時の、モリヤマさんの姿は忘れられません。上半身全体に鎧のような皮膚転移があり、両胸は崩れて壊死。両腕はリンパ浮腫のため動きが悪く、ほとんど固まっている状態でした。

緩和ケア病棟に入る前は、温熱療法を中心に行う個人病院に入院していたというモリヤマさん。連絡がつかなくなったため、心配したきょうだいが現地へ行き、寝たきりになっているモリヤマさんを見つけました。

「医者もいる病院だと聞いていたので、安心していました。まさか、こんな姿になるまで放っておかれるなんて。なんでも、病院で働いて、治療費の足しにする生活をしていたというんです。そんな勤労奉仕みたいな医療制度ってあるんですか?おかしいですよね。もっと早くに気づいていれば……。でも、決めたことは絶対曲げない妹なので。本当に、こんな状態でお願いするのは、たまらない気持ちです」

姉の言葉を聞いて、私は愕然としました。さらに聞くと、モリヤマさんのがんは、自己検診で見つかり、かなり早期だったそうです。

ところが、モリヤマさんはかなり極端なナチュラリスト。抗がん剤を含め、化学的なものを体内に入れることを強く拒否し、温熱療法を選んだそうです。

緩和ケア病棟に来たのも、「治療をされないで済むから」というのが理由。がんそのものの治療はせず、苦痛を除去するのが緩和ケアではありますが、これを聞いた時は、かなり複雑な気持ちでした。

モリヤマさんは数日で亡くなり、会話を交わした記憶はありません。それでも残された印象は強烈で、これまで見てきた、どのがん患者さんより、モリヤマさんの病状は悲惨でした。

治癒は難しかったとしても、やはり標準治療は優れている。今もその感覚は、強く残っています。

医療者としての責任とパターナリズム

患者の意思決定が大きな課題になったのは、医師が専門家として権威を持ち、患者の意思や感情を顧みない医療が行われていたからです。

このような医療は、パターナリズム(家父長主義、父権主義)―強い立場にある者が、弱い立場の者の利益になるという理由から、弱い立場の者の意志に反してその行動に介入したり、干渉したりすること―と呼ばれ、今では批判の対象になっています。

私はこの流れに賛成するものですが、今回お話しした2つの事例のように、患者さんの信念に基づく意思決定が、明らかに本人の命を縮める場合はどうなのでしょう。

「いやいやそれは……」と翻意を促してもいいものなのか。あるいは、あくまでも患者の意思決定として尊重すべきなのか。正直言って、かなり悩みます。

思うに、医療者とそうでない患者さんの間には、医学的な知識の差はどうしても存在します。確かに、今はネットに多くの情報があり、昔に比べれば社会全体の知識は増えたでしょう。

それでも、ネットには曖昧な情報、検証を経ない独善的な情報も多く、必ずしも健全な状態とは言えません。経験も加味した専門家の知識の価値は、決して薄れるものではないと思います。

トミナガさんもモリヤマさんも、反西洋医学という信念は共通していて、治療を拒否した結果、死を早めたのは事実。モリヤマさんについては、完全治癒の可能性もあったと思われ、本当に残念な気持ちになります。

怪しげな治療をしている医師の存在も垣間見え、医療者として非常に憤りを覚えました。

2人の死について、信念を貫いた死とみることも可能でしょう。けれども、人間は不安に際して、適切な決断を下せない弱さもあります。「治療をしなければ死ぬ」という現実を、どこまで理解した上での決断だったのか。

こんなことを問うてしまうのも、余計なお世話なのかと思いつつ、医療者としての責任は、どうしても感じてしまうのです。

「看護職の倫理綱領」における患者の意思決定

ここからは、少し理念的な堅い話になります。

私たち看護職が行動の指針とすべき「看護職の倫理綱領」の第4条には、「看護職は、人々の権利を尊重し、人々が自らの意向や価値観にそった選択ができるよう支援する」とあります。さらにこの条文には以下のような説明が添えられており、患者の選択についての考え方がある程度具体的にわかります。


人々は、知る権利及び自己決定の権利を有している。看護職は、これらの権利を尊重し、十分な情報を提供した上で、保健・医療・福祉、生き方などに対する一人ひとりの価値観や意向を尊重した意思決定を支援する。意思決定支援においては、情報を提供・共有し、その人にとって最善の選択について合意形成するまでのプロセスをともに歩む姿勢で臨む。

保健・医療・福祉においては、十分な情報に基づいて自分自身で選択する場合だけでなく、知らないでいるという選択をする場合や、決定を他者に委ねるという選択をする場合もある。また、自らの意思を適切に表明することが難しい場合には、対象となる人々に合わせて情報提供を行い、理解を得たうえで、本人の意向を汲み取り、その人にとって最善な合意形成となるよう関係者皆で協働する。さらに、看護職は、人々が自身の価値観や意向に沿った保健・医療・福祉を受け、その人の望む生活が実現できるよう、必要に応じて代弁者として機能するなど、人々の権利の擁護者として行動する。そして、個人の判断や選択が、そのとき、その人にとって最良のものとなるよう支援する。


この条文によれば、私たち看護職が行うのは、「意思決定支援」。「意思決定支援においては、情報を提供・共有し、その人にとって最善の選択について合意形成するまでのプロセスをともに歩む姿勢で臨む」とあり、本人の決定が極端であった場合、適切な情報が提供されているかをともに考える余地はあるように読めます。

また、条文には、「十分な情報に基づいて自分自身で選択する場合だけでなく、知らないでいるという選択をする場合や、決定を他者に委ねるという選択をする場合もある」と書かれていて、何が何でも自分で決めろと患者さんに迫るものでもないのです。

トミナガさんの場合も、モリヤマさんの場合も、私が関わったのは、本当に病状が悪くなってから。もしもっと早い時期に出会っていたら、私ならどう関わったのでしょう。

そんなことを考えながら、改めて、おふたりのことを思い出しています。


10月27日投開票の衆議院議員選挙を前にして、わが家の塀はこんな風。
選挙区は松下玲子さん。比例は共産党を応援しています。
選挙区に立憲野党の候補が複数いる場合、当選可能性を考慮した戦略的投票が必須というのが、私の考え。本来ならば、上位2名の決選投票が理想です。

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