アンロックされた日
「今年の生け贄に決定しました」
不条理審査委員会が通年で各レイヤーから1名、儀式の生け贄の提供を勧告する。その勧告が私のウェアラブルな心象風景の中に描き出されたのだ。私は虚無した。私の瞳は虚無を突き抜けることにより、漆黒より真っ黒なダークホースとして手触りのある存在として歩み始めた。世界を駆動する一点の何気ない瞬間に思いをはせたりしながら、ついに無限駆動エネルギー限界活動能力の露呈したエリアで居住を開始することとなった。不条理の被曝量がエグい、とても物騒で滑稽な、笑い過ぎて何も笑えなくなった様な場所だ。このエリアについては誰も所有権を主張したがらない。実際のところ所有権利書にはこう書かれてある。
「この虚無の所有者は永久にこの権利を放棄すること」
つまるところ、そういうことなのだ。
ダークホースになってしまった私は図書館などに通い詰め、この地のダークホースたちが新しい睡眠の発案者として、全く意図しない形で名前を連ねていることが分かった。新しい睡眠とは心のポケットに収めることのできる小さなサーカス団で、睡眠時に空気中に漂う不条理を燃料にドリームサーカスを巡業させ続けることを可能にしたポータブルガジェットのひとつ。これによりダークホースは心象風景に出入りできるという特性から、覚醒中も睡眠中も何らギャップのない状態でピエロ活動をすることが可能となった。また、吉兆と呼ばれる全レイヤーで確認する事の出来るノイズをヒントにどのレイヤーに対しても比較的安全に移動することが容易となったのだ。私もそんな彼らの仲間入りを果たすのだなと思うと、あらゆる生活の基礎となるものを無限に求めるようになり、呼吸法までもが変化した。その日から私のことをラマーズと呼ぶものが多い。
一方この世界にはシャイニングと呼ばれる超主観的な死生観が一般的な概念としてインストールされていた。彼らはGOProインビジブルを装着し自身の主観を解放し出入りを自由な状態にした。また24時間居住エリアを自由に使える権利を有する一方、他のレイヤーへ移動すると全てのパーソナルポエジーごと消失した。シャイニングはダークホースを殺害する権利が与えられ、ダークホースは自身を蘇生させる能力を与えられていた。不死身なのである。
ダークホースは死んでも自然に蘇生される。レイヤー上のオブジェクトに含まれている不完全性を故障修復装置が吸収し、装着者のダメージを自動的に、スピリチュアル的な観点から言わせれば超宇宙的に回復させた。ダメージ回復後は最寄りのリスポーン地点からジェリースーツに包まれた状態で吐出される。
ジェリースーツは一定の回数使用することにより消失する。新調する為にはダンジョンに入るしかない。しかし、ダンジョンには入り口がない。そこでダンジョンをアンロックする必要がある。
鍵開師はこの朧げな心象風景の中で唯一まともと言っていい存在だ。しかし彼らを見つける事は、このデタラメな世界において容易な事ではない。実際、鍵開師を見つけるためのカルチャースクールではビニールプールにぶちまけられた無数のビー玉の中から任意の玉をひとつ見つける訓練が行われる。はっきり言って効果があるとは言えないが、何もしないよりもましだと思う自己信仰心の低いものは高い月謝を払う為に副業で仮想チルの売買を始めたりしている。では鍵開師は何処にいるのか?それはマイルドな存在がややこしい話、鍵を握っている。
マイルドな存在とは、プライベートと呼ばれる公と私を隔てるバリアーを何の影響も無く出入り出来る特殊な訓練を受けた者たちだ。つまり、コミュ力を超えた信頼関係を瞬時に構築することが可能な無害無味無臭な存在なのだ。彼らは警戒心の異常に強い鍵開師に何事も無く近づく事が可能だ。基本的に低姿勢で、いつも薄ら笑いで、滅多に発言せず、お茶しか飲まない。ところがそんなマイルドな存在が急に懐をえぐる様な一言を発することがある。その瞬間、ゲームが始まる。私はマイルドな存在を自力で見つけ出すと、ゲームに挑戦した。
彼のゲームは至ってシンプルだったが、同時に深遠なユーモアさも孕んでいて両手を叩いて大いに笑った。その両手を打ち合わせる音がだんだんと規則性を帯び、リズムになり、風となり、空となった。さらに何処からともなく女性が現れ、私の正面に座り込んだ。彼女は全裸だった。私は呆気にとられていると、あたかも自然な流れかのように彼女は大きく股を開いた。彼女のアンダーヘアがそよ風で揺れていることを確認したその瞬間、彼女の陰部から大瀑布が如く大量の水が噴出した、これが海の誕生である。
地平の全てが水平に置き換わり、私はただただ海に浮かんでいた。そこには空と海と自分しかない、質素ながら贅沢なキャスティングに爽快感を覚えたのと同時に、確かな達成感を感じた。私はおもむろにポケットに手を突っ込んだ。そこには鍵が入っていた。彼女は鍵開師だったのだ。
ところがその鍵に何の意味もなくなっていることに気が付いた。私は鍵をでたらめに放り投げると、ワクワクしながら海の中に潜って消えた。