なにかと”消費”に走りやすい世の中に。 ”生産”しよう。(第一次産業の話ではありません)

これは日記である。

という前置きをおかないと書き出せないあたり、自意識とやらが邪魔しているのであろう。このGWを振り返ると私の予定は、女友達とのランチ、別の女友達とのビール工場の見学、旧友との焼き肉屋からのバッティングセンター。(バッティングセンターで自らの貧打を痛感してメルカリで3000円の金属バットを物色している話はまた今度書こう)

こうして振り返ると「割と動いたな」と思うが何かが足りない。

それはなにか。そう生産である。

記述したものはすべてこれは消費だからだ。生産をしていない。
「いや会話も生産だ!」と言われたら、はいそうですね、とあっさり認めるけれど、自分の中での”生産”とは自らの感情を吐き出すこと、形にすることである。

私の趣味はTwitterやnoteでお気に入りの言葉をスクショして、それを通勤時間や休日の昼下がりに読み返し、自分の想いを自分のノートに書き写すことなのだが(これは昔から名言がすきだったことと、忘れん坊だからこそ、何度も見返すことで実生活に生かす、という意味がある)、ある日見つけたさえりさんの言葉が今でも心に残っている。

まさに。生産しないと自分の気持ちが晴れない。もやもやした気持ちが晴れない。まさにそうだ。心に余裕がないときこそ、一度立ち止まって、”生産”を意識する。

さすがさえりさん。この術はずっと使っていきます。




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