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東日本大震災。 今思い出す、あの町のこと。

 東日本大震災から9年です。あの日から「もう」なのか、「まだ」なのか。その実感は人それぞれですが、被災地にゆかりのない人にとって、あの日が「遠くなりつつある」ことは、悲しいけれど事実です。

 縁あって、岩手県沿岸のある町の復興支援プロジェクトに関わりました。2012年3月から2013年春まで、現地へ行ったり来たりする日々を送りました。

 東京駅から新幹線に乗り盛岡駅へ。そこから在来線に乗り換え、最寄りの主要駅まで。さらにバスを乗り継ぎ、ようやくその町に辿り着くのですが、乗り継ぎがうまくいったとしても、片道約7時間の道のりでした。バスしかなかった経路では今、三陸鉄道が再び運行しています。

 町の人たちのために、自分に何ができるのか。その答えを探しながら、あの1年余りの間、必死に働きました。
 役に立ちたいと願いつづけて得たチャンスだったので、編集者としての経験不足と力不足を痛感しつつも、そのことで落ち込んだり弱音を吐いたりすることは自分に許さないと決めて、目の前の仕事だけに集中するようにしたのです。


 あの震災では、東北以外にも災害が起きた地域はありました。たとえば、地面の液状化などのかたちで。その被害も小さくないのに、東北のことばかり言うなと、復興支援に打ち込む私へのやっかみもあってか、知り合いの編集者に言われたことがあります。

 確かに、災害にあったことには、大きいも小さいもありません。大切な日常を奪われ、不安な思いをしている点で変わりはないからです。ですが、あの町の高台に立ち、津波でさらわれた町の姿を見るたび、いやまったく違う。申し訳ないがこの被害は比べようがないと思いました。

 災害でなくしたのは、自分の家だけではない。親戚の家も、友達の家も、馴染みの店も、かつて目に映っていたもの、何もかもがなくなった……。
 さらに今度は、子どもの頃に通った通学路や、友達と待ち合わせして別れた街角が、復興の区画整備により、消えようとしている……。
 あの景色が見たい、あの人に会いたい。変わらずあると思っていた、あの優しい時間に戻りたい。でもすべて去ってしまった。もう帰って来ない……。
 復興していくのは、自分の町であって、見知らぬ別の場所のよう。ぬぐいようのない喪失感。それでも、振り返るな。前に進めと励まされる違和感。苛立ち……。

 あらゆる感情が押し寄せてきて、絶望とはこういう心境かと思いました。それでも希望の種は、どこかから運ばれて、人の心のなかに芽吹くようです。

 「大切な人たちの亡骸が見つかった場所には、どうしても近づけなかったのだけど、ある日、その場所に小さな花が咲いているのを見つけました。
 近づいて、花を見て、可愛らしいと思いました。そして、 『私、生きよう』と思ったんですよ」。

 と、あるおばあさんが、涙ながら取材に応えてくれたのを思い出します。そして、こうも言っていました。

 「やがて、そこは、野花や雑草で埋め尽くされました。その風景を見ていると、あの日のことが少し遠ざかるのです。忘れられるんですよ」。

 町の人たちが復興の拠り所にしていた三陸鉄道。昨年の台風被害からの再々開。にも関わらず、今月20日のイベントは例の件で中止されるのですね。重ね重ね、痛ましい……。

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