フェミニズム最後の聖戦が始まっている。淫夢との類似。
いろいろ頑張って書くと面倒なので、適当に感想を連ねることにした。
ところで、一人一派で勢力を拡大してきたフェミニズムはここへ来て何がフェミニズムなのか、どういう人をフェミニストと呼ぶべきかという本質論争に入ったように思われる。
私はこれを淫夢衰退理論と同様に思っているのだが、最近は勢力を回復しつつある淫夢も流石に廃れた時期があった。
というのもある時期いろんなコンテンツに突撃して、やりますねぇ!とか淫夢語録っぽい発言などを捉えてはこれも淫夢に含める(とする)という感じで、あれもこれも淫夢という時代があった。
そうすると自然と勢力は拡大したかのように見えて却って薄まってしまったのだった。
これによって広がれば広がるほど、どんどん淫夢本体とは無関係に語録等が広まることによって一時期本当に廃れていたのである。
私はこれを勝手に淫夢衰退理論と呼んでいた。
そして今この現象がフェミニズムでも起きているように思う。
つまり女性に利するか男をしばく思想の総体をとりあえず一旦フェミニズムということにしておき、頭数を増やし勢力を拡大したのだが、結局何がフェミニズムなのかわからなくなってしまったのが今である。
そして、フェミニズムとは何なのかという再定義が今まさに行われていて、そこでは男児母はフェミニストから排除され、当然男のフェミニストなどという存在は入れる余地がなく最終的には「フェミニストとは何か、それは独身女性のことである。」という定義されたのをハッシュタグで見た。
もちろんこれは学術的な定義とか正しさとは関係は特にない。
無論この定義では、女性なのにフェミニストに入れてもらえない多くの既婚女性が出現してしまう。だから、聖戦なのである。
ところで、フェミニストが独身女性と定義されたとしてそれで聖戦が終わるのかと言えばそうはいかないだろうとは思ってる。
結局は次は男と性交したことがあるとかないとかの男に媚びた経験があるかないかと言ったような内部分裂を繰り返すのではないかと思う。
それならば、淫夢と同じようにどこかで復活することもあるんじゃないかと思うのだがどうだろう。
結局野獣先輩という圧倒的なアイコンとその周辺のキャラクターによって淫夢というコンテンツが残ったのに対して、圧倒的なアイコンがない。
野獣先輩は広まって薄まった淫夢語録を取り戻すことはできた。擦り寄ってきたコンテンツや語録の濫用を切り捨てたが、一部の強者であるフェミニストにXにうようよいる弱女フェミニストを切り捨てるようなことができるとは思えない。
聖戦でもし、まさにフェミニストとは独身女性のことである派が勝つようなことがあったとしたら、日本の少子化はさらに加速するだろうと思っているところである。