オキナワンロックドリフターvol.116

今回は、日本語文章表現法の授業にて提出した「琉神マブヤー」の論文を転載いたします。
今となっては切なくもあり、紆余曲折あれど、劇団FEC代表の山城智樹さんが演じられたシーサーの精・与那原ケンが2022年4月~7月に放送されたクロスオーバー番組『オキナワンヒーローズ』にて帰って来て感慨深い気持ちになったりと様々な想いが去来しますが、当時はマブヤーに対する熱い思いで必死で書き、見事に優がとれました。

ちなみに、この論文のために三名の教授に多大な迷惑をかけました。ありがとう、そしてごめんなさい。教授。なお、この論文は2009年1月に提出したものです。

「琉神マブヤー」における正義と悪の矛盾、そして愛

1. はじめに

2008年、新しく誕生したご当地ヒーロー「琉神マブヤー」が沖縄県内にて好評を博し、ブームになった。メディア展開をしているご当地ヒーローの先達である秋田県産ご当地ヒーロー「超神ネイガー」(1)のマーケティング(2)を踏襲しながらも、番組内容は往年の「仮面ライダー」シリーズを髣髴させるものだ。15分の放送時間の中で、戦うことに悩むヒーロー、悪の側の存在理由、依頼心の強いヒーローを叱咤激励する協力者、ヒーローの敗北と強化訓練といった要素が織り込まれている。

また、「琉神マブヤー」全13話を通して見ると、沖縄独自の方言であるウチナーグチや沖縄古来の文化の再評価、そして、現在も抱える沖縄の基地問題とそれから問われる善悪の定義、そして平和と正義についてなど現在の沖縄が抱える問題の提起や沖縄の独自の文化の啓蒙もされているのが他のご当地ヒーロー作品にはない独自の個性が見られる。そして、「琉神マブヤー」の世界観に「ウルトラセブン」のエピソード数話と内容もしくは台詞が酷似した箇所があることも往年の特撮ヒーローファンの心をくすぐる要因ではないかと思える。

今回の論文では「琉神マブヤー」内で描かれる正義と悪の相克と矛盾、愛と平和の描写を金城哲夫の沖縄と本土の共存と親睦の願い、その願いの挫折について織り込みつつ論じ、記そうと思う。

  1. 「琉神マブヤー」が何故作られたか

きっかけは沖縄の総合観光土産物産問屋「南西産業」の代表、畠中敏成(以下、畠中)が、新しい土産物の一環としてご当地ヒーローの企画を出したことからである。当初はすでにグッズ化されている東映の戦隊ヒーロー(4)のパロディ「美(ちゅ)ら海戦隊ウチナーンジャー」を企画したものの、版権等の問題で頓挫した。そこで、古谷野は2005年に登場し、各メディア媒体で人気を博している秋田県産ヒーロー「超神ネイガー」を企画したスポーツジム経営者の海老名保のもとを訪れ、製作のノウハウを学び、誕生したのが「琉神マブヤー」である。2008年2月に製作チーム「マブヤープロジェクト」(5)を発足、同年5月15日に「琉神マブヤー」公式サイト開設、6月12日に「琉神マブヤー」製作発表記者会見を那覇空港で行う。10月4日から12月27日までテレビ番組「琉神マブヤー」が放送される。2009年現在は、沖縄県内各所の観光イベントや大型小売店、遊園地などに登場し、アクションショーや握手会などを展開している。また「マブヤーと踊ろう」という5分間の幼児向け情操教育番組が琉球放送テレビにて2月に放送予定である。

「琉神マブヤー」のコンセプトについて古谷野はこう語った。

「この番組で僕が伝えたかったのは、基本的に言葉=方言=文化ということ。それをウチナーンチュ(沖縄人)に再認識して欲しかったから。また最近のお母さんの中にはその方言そのものもわからないかも知れないので、そのときにおじいさん、おばあさんに聞くなど、家族間での沖縄文化の一端を語り合うコミュニケーションの場ができればいいと思っている」

そのため、「琉神マブヤー」の科白は全編ウチナーグチである。(しかし、youtubeなどで見た本土のファンからウチナーグチがわかりにくいとクレームがきたのか公式サイトには「用語解説」として番組内でよく使われるウチナーグチの解説コーナーが開設されている)

また番組内容も沖縄の文化が色濃く反映されている。沖縄文化にあまり関心を持たないお調子物の青年、カナイが、ある事故をきっかけに古代の沖縄の戦士の魂を体に取り込んでしまい、その戦士である「琉神マブヤー」に変身し、悪と戦う。マブヤーが戦う悪の組織の名前は「マジムン(物の怪)」だ。マジムンの構成員もハブデービル(ハブ)、オニヒトデービル(オニヒトデ)、マングーチュ(マングース)、クーバー(クモ)と沖縄ならではの生物がモチーフである。彼らが奪うのは9つのマブイストーンという沖縄の文化の代表格9つを石にしたもので、それらが奪われると沖縄らしさが失われ、沖縄が荒廃してしまう設定なのだ。

9つのマブイストーンはそれぞれ何を象徴しているか挙げてみよう。

・ウチナーグチ (沖縄方言を司る )

・石敢當 (交通安全、災害防止の魔よけの石の神通力を司る )

・テーゲー (よい意味での暢気さ、いい加減を司る )

・エイサー(6) (伝統芸能エイサーを司る )

・チャーガンジュー (長寿と健康を司る )

・いちゃりばチョーデー (人類みな兄弟の精神を司る )

・トートーメー (トートーメーは先祖代々の位牌。先祖を敬う心を司る )

・命どぅ宝 (命を尊ぶ心を司る )

・カチャーシー(7) (カチャーシーを司る)

以上の9つが「琉神マブヤー」の世界観にて伝承すべき沖縄の文化(=マブイストーン)の象徴とされている。

その9つの沖縄文化の象徴をマジムンが奪い、それをマブヤーが奪還するストーリー展開が「琉神マブヤー」の1話から8話までを占める。しかし、戦うごとにマブヤーは失われつつある沖縄文化を思い知らされ、マジムンと戦うことに疑問を覚えるようになる。第7話 「チャーガンジューのマブイストーンがデージなってる」( 2008年11月15日 放送)では、マブイストーンを奪われ、健康への関心と食への感謝を失い、バーベキューの肉や野菜を餓鬼の如く貪る仲間達を見て呆然とするカナイ青年=マブヤーが彼の協力者であるシーサーの化身・ケンに「ウチナーンチュがチャーガンジューでなくなったのはマブイストーンを失ったからだけかな」と弱音を吐く。いつもはそんなカナイを叱咤するか励ますケンも「沖縄が沖縄である限り、ウチナーンチュはチャーガンジューさー」と答えにならない回答しか出来ない。また、第8話 「イチャリバチョーデーのマブイストーンがデージなってる」( 2008年11月22日 放送)では、マブイストーンを奪われた途端に他者への親切心を忘れ、それどころか自分本位になるウチナーンチュの姿を見てカナイは悩み、ケンも考え込む。

さらに、カナイ=マブヤーの戦う意味を喪失させてしまう存在も現れる。それはニライという青年である。

3.善と悪の基準とその歪み

ニライの登場は前述した第8話からである。長身で見た目は気さくな好青年のニライに、カナイの親代わりである陶芸家の岩次郎とその娘のクレアは好意的だ。しかし、カナイはそんなニライに訝しげな感情を持ち、握手すら拒む。

さらに、第9話 ( 2008年11月29日放送)では、二人は意見がぶつかり、対立する。沖縄から米軍基地をなくそうとデモ行進を行う若者とそれを応援するおばぁのシーンから始まるシリアスなこの回は視聴者に大きな課題を投げかけている。

劇中、デモ行進を行っている若者達がマブイストーンを奪われたことで、平和を尊ぶ心を失い、カナイに何故戦争がいけないことか問いかける。「人としてダメだろ」とカナイは力説する。すると、どこからともなくニライが登場し、「戦争はなるべくないほうがいい。けれど、時には必要な場合もある。愛する人を守るためだ」と挑発する。カナイはそれにムキになって反論するも「沖縄に悪の軍団が攻めてきたら君も戦うだろう?」とニライに言われて何も言えなくなる。さらに、マブイストーンを奪還しようとマジムンの副官であるオニヒトデービルが現れ、彼はマブヤーの正体を見透かしているかのように攻撃をするマブヤーを煽る。さらに彼はマブヤー=カナイの争いはよくないという思想を揺り動かし、嘲る。マブヤーはその挑発に乗り、憤りのままに、技を放ち、オニヒトデービルを撃退するも、その行為はカナイにとって正義と平和を思う気持ちに矛盾する自分の行動の醜さを突きつけられる結果となった。

しかも、第10話( 2008年12月6日) 放送では、マブヤーはオニヒトデービルに惨敗し、それどころか、オニヒトデービルが放った技の流れ弾に当たり、クレアが瀕死の重傷を負ってしまう。

そして、打ちひしがれるマブヤーの目の前でオニヒトデービルは変身を解き、ニライ青年の姿になって「俺はお前の兄だ」と告白する。その瞬間、マブヤーとオニヒトデービルは単純な善と悪ではなく、状況が違えば立場が逆転するコインの表と裏の関係であることが明確になる。

その後、マブヤーは特訓をし、愛と正義と平和について彼なりの答えを見出すのだがそれは別の章で論じようと思う。

さて。なぜ、ニライ=オニヒトデービルは人でありながらマジムンの味方として、マブヤーに攻撃を仕掛けてきたのか。

そして、何故にマジムンはウチナーンチュの大切なものを奪おうと企んだのか。

4.ノンマルトの怨念と復讐

「琉神マブヤー」の第12話( 2008年12月20日 放送)の中にその真意がわかる。劇中、ニライとカナイの生い立ちが明確にされる。森に置き去りにされた幼い兄弟がいた。その兄弟は後のニライとカナイである。カナイは陶芸家の岩次郎に拾われ、ニライはマジムンの長であるハブデービルに拾われて育てられ、オニヒトデービルになった。ニライはカナイに人間が行った自然破壊と、それにより住処を奪われた生物達の怒りがハブデービルを生み出したと語る。

その台詞を引用してみよう。

「大切なものを奪うのはいつも人間さ。ハーベールー(蝶々)たちは野原を奪われ、ジンジン(蛍)たちは川を奪われ。でーじわじわじーして(すごく憤って)生まれたのがハブデービル親方さ。親方は考えたわけよ。人間からも大切なものを奪おうやっさーって」

ニライのその語りは、私に「ウルトラセブン」第42話「ノンマルトの使者」(1968年7月21日放送 脚本・金城哲夫(3) 監督・満田かずほ)と上原正三(9)がウルトラセブン用に執筆した没作品「300年間の復讐」(10)を想起させた。

金城の「ノンマルトの使者」の内容は、かつて地上には先住民「ノンマルト」が住んでいた。彼らは人間に住処を追われ、海底に居場所を求めた。しかし、人間が無神経にも彼らの住処である海底開発をしたので「ノンマルト」は怒り、海底基地を破壊し、怪獣をけしかけた。が、ノンマルトの事情に気づかない人間は「ノンマルト」が侵略者だと勘違いし、彼らを殲滅してしまう。そんな後味の悪いものだ。

また、上原の「300年間の復讐」は人畜無害だったのに見た目の異端さから人間に敵として追われ、愛するものを奪われた宇宙人、トーク星人の復讐を軸に書かれている。

金城は「ノンマルト」を、上原は「トーク星人」を島津藩に侵攻されて日本の一部にされた琉球とその民、第二次世界大戦では日本で唯一地上戦があり、多くの県民が犠牲になり、また「ウルトラセブン」放送時の1969年当時、アメリカの統治下にされていた沖縄とウチナーンチュたちと投影させて書いたとされている。しかし、「琉神マブヤー」のスタッフたちは加害者としてのウチナーンチュと被害者である山や海の生き物達という新たなる「ノンマルトあるいはトーク星人VS人間」の構図を描いた。

沖縄は自然の宝庫として名高い。沖縄県は1972年の沖縄の施政権がアメリカから日本に返還されてから、観光を主力の産業としてリゾートホテルや都市開発を進めてきた。しかし、その結果、リゾート開発の際に流れた土砂や廃油で海は汚れ、珊瑚礁は著しく減少し、沖縄の最北端で未開発の自然が残されているやんばる地区も開発により、森の生態系が脅かされつつある。

そして、ハブ、オニヒトデ、マングースとこれらマジムンたちのモチーフになっている生物達を調べてみると、彼らも人間、いやウチナーンチュたちの都合で悪しきもの扱いされた生き物であるとわかる。

例えばハブに噛まれると細胞組織を破壊する猛毒により、筋肉を失う、または死に至る危険を孕むことで忌み嫌われているが、ハブは動物食で特にネズミを好んで食し、ネズミに悩まされる農家に重宝され、『完本 毒蛇』(小林照幸薯 文春文庫)では、ハブについて、「毒さえなければ、ハブほど役に立つ動物はいない」という台詞があるほどだ。

また、マングースは人間の都合で沖縄に放たれた生物だ。ハブ退治のために1910年に沖縄、奄美大島などに放たれたマングースは生息数を増加させたものの、ハブは食べずに、絶滅危惧種であるヤンバルクイナやノグチゲラ、天然記念物のアマミノクロウサギを食べ、沖縄や奄美大島の生態系を狂わせた。そして2002年1月、環境省は重い腰を上げ、希少野生生物の保護のためにマングースの駆除を始めている。

オニヒトデの大量発生とそれによるサンゴの死滅のきっかけは観光産業の弊害からである。サンゴを捕食して疎まれるオニヒトデだがそのオニヒトデをホラガイが捕食することで生態系が崩れることはなかった。しかし、土産物の貝細工用として、または観賞生物用としてホラガイを乱獲したために生態系が崩れ、天敵がいなくなったことでオニヒトデは大量発生しているのである。

マジムンたちもまた、ウチナーンチュ、いや、人間たちの被害者なのかもしれない。

「ノンマルトの使者」の劇中、事故で他界した海を愛する少年の亡霊、シンイチというキャラクターが登場する。彼はノンマルトの民に共感し、人間が海底開発することに抗議し、またそれを食い止めようとウルトラ警備隊のアンヌ隊員に抗議した。

オニヒトデービル=ニライはシンイチ同様に「ノンマルト」、「トーク星人」である自然の生き物側のスポークスマンなのだ。彼の言葉とマブヤーへの攻撃攻撃は、観光という利益追従の果てに自然というものを壊したウチナーンチュへの怒りと問いかけである。そして、お前らの都合で翻弄された俺達を悪者扱いするなという生物達の叫びでもあるのだ。

5.憎しみの連鎖をどう止めるか

さて、話は戻り、オニヒトデービルとの戦いで傷ついたマブヤーがどうやって自分の中の正義と悪の矛盾と戦い、それに答えを出したかをこの章で記そうと思う。

第11話( 2008年12月13日 放送ではオニヒトデービルに負け、満身創痍になったマブヤーは、冷静さを欠いた状態でオニヒトデービルと再戦しようとする。しかし、シーサーの化身・ケンに「今のお前では勝てない」と叱咤される。

打ちひしがれるマブヤーをケンは森の精のもとに連れて行き、彼のもとで修行させた。しかし、マブヤーは憤りをぶつけるだけしか出来ない。そんなマブヤーに森の精はこう問いかける。

「お前は力さえあれば誰にでも勝てると思うのか?」

頷くマブヤーに森の精はこう問いかける。

「ならお前は赤ちゃんに勝てるか?」

その言葉にマブヤーは答えられない。

さらに、森の精が放ったマブヤーもどきとマブヤーが戦う際に森の精はマブヤーにこう問いかけるのだ。

「どうするカナイ?撃たれたら撃ち返す、撃ち返したらまた撃ち返される。これはいつ終わる?」

これは何を意味しているのだろうか。この意味についてソーシャルネットワークサイト”mixi”(http://mixi.jp)の「琉神マブヤー」コミュニティ(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32013805&comm_id=3425725&page=all)にてこんな意見が出された。それを引用させていただく。

「ガンジーの『非暴力・不服従』ではないですが、『打たれたら打ち返す』っていうのは、911同時多発テロのアメリカの姿勢を暗に示唆してるカンジがしました。/911では確かに多くの尊い命が奪われましたが、アメリカの報復戦争(アフガンとか)ではもっと多くの無実な命が奪われました。/そういう点では『世界の警察』を自称するアメリカも『絶対善』ではないと思いました。」

アメリカとアフガンだけではない。チェチェン共和国とロシア共和国の争いの構図とも重なる。(11)また、最近ではイスラエルとパレスチナのイスラム原理主義団体「ハマス」との関係もしかり。(12)テレビをつけて流れる紛争のニュースは国や国、または人と人の互いの利害や怨嗟のぶつけあいの末なのである。

それについて「琉神マブヤー」はどのような結論を出したか。それは無抵抗である。

技を放つマブヤーモドキに対して、マブヤーは戦うことをやめ、丸腰のままで祈り、マブヤーモドキの攻撃を受け入れた。片方が争い、憎むことをやめるまで憎しみの連鎖が止まることはない。それを実践したのだ。

マタイによる福音書にもキリストの教えの一つとしてこう書かれてある。

「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」

マブヤーが見つけた「戦うこと」、そして「正義」の回答としてのこの行為は尺の都合や話数との兼ね合いによる強引な展開と言ってしまえば身も蓋もない。しかし、憎むことをやめて相手を受け入れることが出来る人間はこの世界に何人いるのだろうか。

6.憎みません。許しましょう

「琉神マブヤー」第12話と最終回( 2008年12月27日 放送でもマブヤー=カナイは戦うことをやめ、マジムンの攻撃にもただ防御するだけだった。人への憎しみと憤りをぶつけるハブデービルとオニヒトデービルはマブヤーのそんな姿勢にうろたえるしかなかった。マブヤーは憎しみで凝り固まったオニヒトデービル=ニライを諭し、そして初めてニライのことを「にぃにぃ(兄さん)」と呼んで受け入れた。さらにマブヤーは最終話にて「お前達は勝手だ。この島はいったー(お前ら)だけの島なのか」と吼えながら攻撃するハブデービルに対してこう言った。

「お前達も大切だ。俺は全力でマブイストーンを守ってきた。でも、お前達が奪ったりしなければその大切さに気づかないままだった。だからそれを教えてくれてありがとう。にふぇー(ありがとう)」と。

憎むことは簡単だ。しかし、憎みや怒りではなく、慈しみの心をマブヤーはマジムンたちに向け、彼らに感謝したのだ。

結局、マブヤーはマジムンたちを倒すことなく、ハブデービルはいたたまれなくなって逃げるという展開で「琉神マブヤー」は放送を終えた。血を流すことなく戦いに一応の決着をつけたのだ。

また、マブヤーは必殺技こそ持っているものの武器を使うことは作品を通して一度もなかった。「マブヤープロジェクト」として武器を使ったほうがマーケティングに玩具メーカー(13)が参入でき、さらなる増益が見込めるにも関わらず何故マブヤーに武器を使わせなかったのか。

そして、第12話でカナイに兄と呼ばれて戦意を喪失したニライに腹を立てたハブデービルはニライを殺さず、ヒジュルーゾーンという極寒の地に追放するだけだった。その行為は従来の「仮面ライダー」シリーズや「スーパー戦隊」シリーズの悪の軍団が行った制裁(さらなる凶悪な怪人に改造、処刑、見せしめとして家族や恋人を殺害)に比べて中途半端なものである。どうしてなのか。

その答えが「沖縄ベンチャースタジオ」17号 (2008年 沖縄県産業振興公社発行 )に掲載された「南西産業」の代表、畠中へのインタビューの中にある。

「いわゆる本土型の勧善懲悪ではなく沖縄型にしてほしいと最初から注文していた。敵が爆発して吹っ飛んでしまうものは沖縄にはそぐわない。最後は悪も含めて幸せになれば……。そういう雰囲気にして欲しかったんです。(中略)沖縄みたいに小さなところで完全に敵を否定してしまうと住めなくなってしまう」

悪を倒すだけではしこりが残る。それならば悪を受け入れ、その立場の良いところを見つけ共存していく。また、悪の存在も完全に悪ではない。どこかに彼らなりのやさしさと思想があるのだから。

畠中は「琉神マブヤー」から派生する関連商品売り上げの向上より「憎みません。許しましょう、受け入れましょう」という正義の形を表現することを選び、それを「琉神マブヤー」の放送を通して子ども達に伝えたのである。

現在、沖縄発ご当地ヒーロー「琉神マブヤー」の存在は無料投稿動画サイト”youtube”(http://www.youtube.com/)を通して他県にも知られ、県外のファンを増やしている。また、「琉神マブヤー」公式ブログも放送終了後もアクセス数を増やしている。新しい勧善懲悪の形が沖縄から全国に浸透していく日もそう遠くはないのかもしれない。

最後に、「琉神マブヤー」を調べていくにつれ、従来のヒーローとは一線を画す沖縄発のヒーローのコンセプトに関心を覚えると共に、9つのマブイストーンに見る沖縄の文化と沖縄が抱える諸問題、本土ではなく、沖縄県内だからこそ表現できる加害者としてのウチナーンチュへの問題提起、そして沖縄なりの正義についての価値観を知ることができた。

もし、「琉神マブヤー」の続編ができるのなら次は何を題材とし、何を問題提起とし、何を伝えていくのだろうか。沖縄という小さな島から生まれた新たなヒーローの今後に期待したい。

  1. 超神ネイガーは秋田県活性化のためオリジナル・ヒーローを造ろうと、スポーツジムF2-zone(エフツー・ゾーン、にかほ市)の経営者・海老名保を中心とする「ネイガー・プロジェクト」が創造し、2005年6月にデビューさせたヒーロー・キャラクター。

また、ネイガーは日本海沿岸に広く伝わる来訪神「ナモミハギ」の伝承をモチーフとした、秋田発のオリジナル・ヒーローである。ナモミハギは大晦日や小正月に山から里へ下りてきて、人々の怠惰を諌め、来たる年に祝福を与えていく歳神(としがみ)様で、全国でも秋田県男鹿市の「ナマハゲ」は有名で、荒々しい振る舞いと大きな音で邪気を祓う。 (http://homepage1.nifty.com/nexus/neiger/)より

  1. 秋田県内各所の観光イベントや大型小売店、遊園地などに登場し、アクションショーや握手会などを行い、それを発端に秋田放送ではラジオドラマ(2006年5月)が放送された。NHK秋田が制作した、プロジェクトを追ったドキュメンタリー番組は東北6県での放送を経て全国放送された。ABS秋田放送テレビで、2007年10月6日から半年間、毎週土曜日9:25~9:30にレギュラーミニ番組「ローソンプレゼンツ 超神ネイガーVSホジナシ怪人 〜海を、山を、秋田を守れ!〜」として放送。それ以降、テレビ、ラジオにおけるさまざまなCMやキャンペーンで起用される。

関連グッズについては、クッキーやフィギュア付きストラップなどのお土産品、絵本、イチジクの甘露煮「くわねいがー」などの秋田の特産品とのコラボ、ネイガーブランドの日本酒、地ビール「旨(んめ)ネイガー」やサイダー「豪石!(ごうしゃく)サイダー」などの清涼飲料、Tシャツ、ジャージなどの衣料品等々、日を追うにつれて充実してきている。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E7%A5%9E%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC)より

3.金城哲夫は1938年生まれの脚本家である。料亭の息子として裕福に生まれ、玉川大学卒業後に恩師のつてで「円谷プロダクション」に入社し、『ウルトラQ』『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』など、黎明期の円谷プロが送り出した特撮作品の企画立案と脚本を手掛けた。しかし、その後企画した作品が低迷し、また円谷プロの経営が悪化したことで、大幅なリストラが敢行され、金城は円谷プロを退社して沖縄に帰郷する。その後沖縄県内にてラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍したが、ラジオ番組での失言、少年期を本土で過ごしたことと自分の理想の挫折によるアイデンティティクライシス、沖縄海洋博の失敗とそれによる沖縄県民からの非難といった不運が重なり酒に溺れる。1976年2月22日に泥酔して自宅の階段から落ち、意識不明の重体になる。そのまま病院に搬送されたものの治療の甲斐なく2月26日に脳挫傷で死去。享年37歳。

  1. 1975年4月に開始された5人チームの特撮ヒーロー番組『秘密戦隊ゴレンジャー』から続く、長期シリーズである。第二作目の「ジャッカー電撃隊」の視聴率低迷によるシリーズ中断はあったものの、『バトルフィーバーJ』(1979年制作)以降から現在まで休止期間がない。2009年現在33作目が放送予定。

5.「琉神マブヤー」のキャラクターにロイヤリティー契約した企業数十社を初めとするプロジェクト。テレビ番組制作会社にはその後のDVD発売権を、音楽会社にはCD販売を委譲する代わりに制作費を安くしてもらうという相互扶助ビジネスが特色。そしてヒーローショー、TV放映の製作のブレーンとして古谷野裕一をはじめ、作家でエッセイストの仲村清司、映画監督の中川陽一、沖縄の劇団「笑劇過激団」の代表である玉城満、「超神ネイガー」の発案者である海老名保と沖縄と本土のスタッフがバランスよく関わっているのも特色だ。

  1. エイサーは、沖縄県でお盆の時期に踊られる伝統芸能。この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。

近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、毎年8月に沖縄市で開催される全島エイサー祭りを筆頭に各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベントとなっている。

  1. カチャーシーとは、かき混ぜるという意味を持つ、沖縄民謡の演奏に際して興が乗るにつれ、聴衆が(場合によっては演奏者の一部も)、両手を頭上に掲げて左右に振り、足も踏み鳴らす踊り。

  2. 金城哲夫の代表作といえるこの作品は今でこそファンの間で評価が高いが当時は異色作として賛否両論だった

  3. 上原正三は1937年生まれ。中央大学文学部を卒業し一時帰郷後、同郷の金城哲夫を頼って再上京、円谷プロに入社。「ウルトラセブン」では市川森一とともに多くの脚本を手がけた。1969年、金城が円谷プロを退社し、沖縄に帰郷するのと同時に、上原も退社し、フリーの脚本家となる。1971年に「帰ってきたウルトラマン」のメインライターとして活躍したのを皮切りに子ども番組の企画を担当。特撮やアニメ作品の脚本を多く手掛けている。ウルトラマンシリーズでの上原の作品は異文化同士の共生、またその理想と現実に悩む作品が多い金城哲夫とは対照的に、被差別者のルサンチマンが色濃い作品が多い。また、戦う女性ヒロインの活躍を描く傾向が多いのも特徴である。

10 .「ウルトラセブン」用に上原正三が手がけた脚本。内容はヒロインであるアンヌがウルトラ警備隊の野戦訓練中に悪天候のため本隊とはぐれてしまい、林の中に迷い込む。アンヌは館を見つけた。そこで彼女は宇宙人と出会う。宇宙人は300年前に地球人の手によって妹シシーを殺されたトーク星人で、復讐のために武器を作り続けていたのだった。そして、アンヌは殺された妹シシーと瓜二つだったのだ。

アンヌの行方を捜すウルトラ警備隊とトーク星人は戦闘に入る。アンヌは戦いを止めようとするもののトーク星人は倒され、その死体からは悪鬼が登場した。一転して形勢の逆転したウルトラ警備隊に悪鬼が迫る。戦闘の無意味さを悪鬼に必死に呼びかけるアンヌ。その姿に亡き妹シシーの面影を垣間見た悪鬼。やがて悪鬼は戦意を失ってセブンに敗れるのだった。しかし、あまりに重い内容に脚本は没となり、1993年にNHKドラマ「私が愛したウルトラセブン」にてその内容の一部が映像化された。

  1. ロシア領北カフカスのチェチェン共和国では1990年代初頭のソビエト連邦崩壊以来、独立を目指す独立派チェチェン人と、独立を阻止しようとするロシア当局側の間で対立と抗争が続いてきた。詳細はwikipediaより「チェチェン共和国」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD)

「ベスラン学校占拠事件」

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)を参照。

12.wikipediaよりガザ地区を参照

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B6%E5%9C%B0%E5%8C%BA)

13.「ウルトラマンシリーズ」を製作した円谷プロダクション作品 や「仮面ライダー」シリーズや「スーパー戦隊」シリーズを制作した東映株式会社とこれら二社の作品群の玩具・雑貨・既製服などを手がける会社「バンダイ」の連携商法が有名。バンダイの商法は「キャラクターマーチャンダイジング」ビジネスと呼ばれている。

最近では玩具会社「タカラトミー」がロングセラー商品・トミカをベースに、「トミカヒーローシリーズ」としてトミカを活躍させる商品展開の一環として制作している特撮番組「トミカヒーロー レスキューフォース」のような例もある。

< 参考資料 >

切通理作著「怪獣使いと少年」1993年7月 筑摩書房刊

上原正三著『金城哲夫 ウルトラマン島唄』1999年10月 筑摩書房刊

又吉栄喜著「海のまどろみ」1998年9月 光文社文庫刊

山田輝子著『ウルトラマンを創った男 金城哲夫の生涯』1997年8月 朝日文庫刊

野村旗守編「沖縄ダークサイド」2006年4月 宝島社文庫刊

石川雅之著「もやしもん」第三巻 2006年5月 講談社刊

池澤夏樹編「オキナワなんでも事典」2003年6月 新潮社刊

DVD『金城哲夫 西へ!』(2005年5月27日発売、ハピネット・ピクチャーズ )

「知ってるつもり!?-金城哲夫-」(日本テレビ 1998年9月13日放送)

NHKドラマ 「私が愛したウルトラセブン」(NHK製作 1993年2月13日、2月20日放送 )

「琉神マブヤー」(琉球放送テレビ 2008年10月4日から同年12月27日放送 全13話)

「沖縄ベンチャースタジオ」17号 (2008年 沖縄県産業振興公社発行 )

< 参考にしたウェブサイト 琉神マブヤー関連 >

” 琉神マブヤー 公式サイト”(http://www.mabuyer.com/index.html)

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%A5%9E%E3%83%9E%E3%83%96%E3%83%A4%E3%83%BC)

“風見鶏の目”(http://kazamidori.net/kaoru/2009/01/mabuyer.html#more)

「向日葵のたね 知念臣吾公式ブログ」 (http://blog.okinawabbtv.com/fec24/)

「HEIAN no kyo 平安信行公式ブログ」(http://star.ap.teacup.com/h-nobu/)

「さきがけ on the web ご当地ヒーロー学」

(http://www.sakigake.jp/p/special/09/hero/hero_04.jsp)

< 参考にしたウェブサイト 金城哲夫関連 >

舞台劇「蘇れ 金城哲夫 ウルトラマン伝説」

(http://www2.odn.ne.jp/~kanimachi/shibai/kintetsu2.html)

川端望著「佐藤健志氏の金城哲夫論について」

(http://www.asahi-net.or.jp/~UG5K-TKI/ob&og/seven1.html)

「陽月秘話 出張所」(ノンマルトの使者)

(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/blog-entry-527.html)

“Rain or Shine (降っても晴れても)”(ウルトラセブン第42話)

(http://hwarin758.exblog.jp/5931729)

<   参考にしたウェブサイト 沖縄の自然環境関連 >

泡瀬干潟ホームページ

(http://www.ne.jp/asahi/awase/save/japanesetop.htm)

オニヒトデってなにもの

(http://www.coremoc.go.jp/onihitode/about.htm)

「マングース、ハブ退治裏目に」

(http://www.asahi-net.or.jp/~jf3t-sgwr/inyushu/mangusu.htm)

(オキナワンロックドリフターvol.117へ続く……)

(文責・コサイミキ)

いいなと思ったら応援しよう!