オキナワンロックドリフターvol.10

午後23時半。コザはゲート通りにタクシーが着いた時、空気の違いに身震いした。 アメリカ兵の乱痴気が醸し出す空気なのかぴりりと張りつめ、少し寒気を覚えた。
財布の入っているショルダーバッグをたすき掛けし、気を引き締めていざゲート通りを満喫だ。
最初に向かったのは元コンディショングリーンのかっちゃんが営むライブハウス『ジャックナスティ』。
0時になるとかっちゃんはハブ酒を煽り、狂乱のパフォーマンスを展開するということなのだが、酔う前のシラフのかっちゃんに会っておこうと思い、一番最初に『ジャックナスティ』を選んだのだ。
かっちゃんとハブを模した怪しげな看板の店を見つると微かにギターの音色が流れている。ライブは始まっているのか?
カウンターには東映のヴァンプ女優みたいなやたら色っぽい女性とかっちゃんがいて、そしてステージの隅では髪の長い男性がギターを爪弾いていた。
女性が無造作にスナック菓子を目の前に出されたのでチャージ料金の1000円とカクテルの代金を出してモスコミュールを注文。
目の前のかっちゃんは、毎晩過激なパフォーマンスを繰り広げていたモンスターみたいなミュージシャンとは思えないくらい温厚で、さながら老いたキジムナーかガジュマルの精のようだった。
にこにこしながら私のことを聞いてこられ、おっとりと相槌を打たれ、拍子抜けし、「え?これがかっちゃんなの?」と困惑するくらいだった。
しばらく私の地元の話をし、サインを頂き、かっちゃんがハブ酒をあおって豹変しないうちに退散した。
「また明日会おうねー」と笑顔で手を振られるかっちゃんに一礼し、夜のゲート通りをうろついた。

そこはスモールサイズとはいえ、人種のサラダボウルだった。
中の町沿いのカラオケバー『グッドタイムス』では粗野なアメリカ兵ががなるようにオフスプリングやチャンバワンバを唄っていて、その喧騒に足がすくみそうになった。
屋台では浅黒い肌のフィリピン人ホステスたちが焼き鳥を食べながらガールズトークに花を咲かせ、まだニキビ顔があどけない白人アメリカ兵が、マライア・キャリーみたいな格好と体つきでしなだれかかる地元の女性を侍らせて得意気な顔をし、ゴヤ市場近くの『よねさかや』ではネットで検索して顔を覚えた沖縄のお笑い芸人の方々が大将とゆんたくをしていた。
光の珠をちりばめたようなネオンサインが眩いゲート通りは不夜城だった。怖じ気づきながらも私はこの珍しくも魅力的な光景を目に焼き付けた。
次は何処に行こうか? ジョージさんの息子さんが営む『セブンスヘブンコザ』はどうだろう?
330号線沿いに向かって足を早めた時、気になる音色が耳を通りすぎた。引き返し、耳を澄ませてその音の源流を探した。 すると、色褪せた黄色い看板が見えた。
『ライブハウス JET』。ターキー、コーチャン、ジミーの三人による燻し銀のベテランバンドの拠点。いくつか巡回した沖縄旅行サイトではそれぞれの管理人さんが必ずお勧めするバンドで、その音は高良レコードの通販で買ったミニアルバムで予習済みだったものの、黒く重いドア越しでもその音は、さながら遠い記憶を揺さぶるような狂おしさがあった。聴こえてくるのはボブ・マーリーの”I shot the sheriff“。しかし、JETの”I shot the sheriff”は、オリジナルの緩やかさとトリッキーさはなく、かといってクラプトンの荒涼感とも違う、JETにしか出せない味がある“I shot the sheriff”だった。 目を閉じれば、体感したことのない70年代の記憶を辿れるようなそんな音。
ローレライの歌声に魅せられた船乗りのようにしばらく立ち尽くしていたからなのか、すれ違うアメリカ兵から奇妙な顔をされてしまった。
我に帰り、私はまた330号線沿いに向かう道へ足を進めた。手持ちぶさたな店員さんの姿が目立つシアトルズカフェを通りすぎると、『セブンスヘブンコザ』の青白いネオンサインが見えた。
アメリカとアジアが混在したゲート通りの店舗とは違い、L.A.かシアトルあたりのバーのような雰囲気のこの店は思いの外殺風景で初めて来た時は面食らった。ライブはまだ始まっていないとスタッフの方に言われてしまい、がっかりして引き返すと、エントランスにかつての紫やマリナーの写真やレコードジャケットが飾られていて、心が切なくなった。
ライブまで時間があるならやっぱり『JET』のライブに行こう。今度はドア越しじゃなく、近い距離で生歌が聴きたい!
私は深呼吸するとやたら重々しい黒いドアを押し、階段を上った。
間接照明すらない暗い店内に灯る明かりはステージのスポットライトだけ、蛍光塗料で描かれたジミ・ヘンドリクスのポスターが暗がりでにやけ笑いを浮かべている。この時の客はほぼ全員がアメリカ兵で、私はそのアウェイ感に縮こまるしかなかった。スツールに腰かけて項垂れていると鋭い視線を感じた。 カウンターの中年アメリカ女性が片言で「チュウモン!」とこちらを睨んでいた。
あわてて烏龍茶を注文してまたスツールに腰かけると、服の袖を引っ張られた。
振り向くと、 ぱっと見はアメリカ兵というより気難しい美大生のような風貌の、エミール・ハーシュに似たアメリカ兵に話しかけられた。しかし、その目は酒なのかそれとも……なのかとろりとしていて恐怖を覚え、私は目をそらしながら適当に相槌を打ち、JETの演奏に集中した。
やたら眩しいスポットライトを浴びながら、ベースのターキーさんは木訥とした声で『天国への階段』を唄われていた。その歌声をコーチャンのタイトでいてスパイスのさじ加減がきいているようなドラムと、ジミーさんのブルージーだけれど艶っぽいギターが彩っていた。
「無敵の3ピースバンド……」

初めて生で観たJETへの偽りのない気持ちだった。
ターキーさんの哀調ある歌声がクライマックスへ導いていく。が、その時。
ビール瓶やグラスが飛び交い、グラスがいくつか割れる音がした。
ささいなことからアメリカ兵が口論となり、掴み合いの喧嘩を始めたのだ。沖縄旅行サイトの方から送っていただいた『Aサインデイズ』のビデオで観た乱闘シーンと同じ光景になすすべもなく固まり、かろうじて動く首をまわしてステージのJETのメンバーを見ると、「またやってるよ」と言わんばかりに平然と演奏をされていた。
しかし、アメリカ兵の取っ組み合いは加速していく。さっきまで絡んでいたエミール・ハーシュもどきはいつの間にかいなくなったので、私はステージの隅に手土産を置いてターキーさんたちに「またきます!」と一礼するとそそくさと『JET』を後にした。
時間は深夜0時半。
セブンスヘブンコザにたどり着くとライブがあと5分で始まると受付のスタッフから言われ、お金を払おうとすると、その日のライブは女性はチャージ無料だという。お言葉に甘え、かき氷のオレンジ味みたいな髪をしたひょろっとしたバーテンダーさんにラムコークを注文してライブを待った。段々といかついアメリカ兵が集まり、こじんまりした箱はすし詰め状態になっていく。
カーテンが開かれ、セブンスヘブンコザの箱バン、“8-ball“のライブな始まった。ドリームシアターや名前は失念したものの、デスメタルバンドのカバーをメインとしたライブは、ボーカルのレイさんが唄う度に歓声や雄叫びが轟いた。ドラムのレオンさんは手堅くも熱を帯びたドラムで聴かせ、ベースのクリスさんはやや音数は多いものの、音の激しさを土台を作って支え、そして、何よりアメリカ兵がプレイする度に賛美の雄叫びを挙げていたのは、東北出身のギタリスト、圭一さんのテクニカルなギターだった。
必死になって30分の間、音に集中していたせいか、手にしたラムコークはぬるくなっていた。私はライブが終わるとラムコークを飲み干し、1ドルで売られていたジェロショットというゼリーをオーダーした。手のひらサイズのキラキラしたゼリーを急いで食べると、一気に酔いがまわった。後に笑いながらかき氷のシロップ髪のバーテンダーさんが教えてくれたが、ジェロショットはウォッカをジェロというゼリーの素で固めたゼリーカクテルだった。
酔いが一気に回り、ふらふらしているとやたらラフな格好のアメリカ人に呼び止められ、乏しいリスニング力で彼の話を聞いてみると……、日本では使ってはいけない葉っぱやキノコを意味するスラングがいくつか聞こえてきて一気に酔いが覚めた。ダーマ&グレッグのダーマみたいなサイケな格好で夜のゲート通りをうろついていたからてっきり、そういう物を嗜んでいる観光客と思われたのかもしれない。しかし、私は全く興味ないしうかつに手を出したら大変なことになる。軽はずみなことをして、手を後ろに回されたくはない。私はやけによれた“紙巻き煙草”をちらつかせるアメリカ人から後退り、一気にゲート通りへ逆戻りした。
時間は深夜1時を回った。どこへ行こう?まだ、コザの夜は終わらない。

少し考えて、私は聴きたい音を選ぶことにした。

あの重く、黒い扉越しに聴いた“I shot the sheriff”の余韻がチリチリと胸を焦がす。そうだ!『JET』に行こう!
私はもう一度『JET』に向かい、また、重い扉を開いた。


(オキナワンロックドリフターvol.11へ続く……)

文責・コサイミキ

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