『唐船ドーイ/娘ジントヨー』

中川陽介さんの小説『唐船ドーイ』が届いた。
中川陽介さんは私の好きな映画のひとつで未だディスク化されていない“Fire!”というコザを舞台にした映画の監督さんである。
中川さんのブログに久しぶりにアクセスし、中川さんが新沖縄文学賞の大賞を授賞し、沖縄タイムスから受賞作が刊行されたことを知った。
それが、この『唐船ドーイ』である。
舞台はまだ中の町ミュージックタウン構想による再開発がない頃のコザの街だろうか、コザの片隅で暮らし、タコス屋のバイトで食いつなぎながら探偵を営んでいる私立探偵新垣ジョージの物語。
『唐船ドーイ』にはキャバクラ勤めのシングルマザーの子でネグレクトの少年、与那覇ダイキに依頼された“宝探し”が描かれている表題作と、危うさと儚さと瑞々しさという矛盾したものが共存している美しい画家大城由紀恵との出逢いと別離が描かれた『娘ジントヨー』と琉球王朝を舞台にした短編『金の屏風とカデシガー』が収録されている。
今回は『唐船ドーイ』と『娘ジントヨー』についての感想を書こうと思う。まず、『唐船ドーイ』から。
宝の有りかを示す暗号はミャークフツが多少は理解できたのと、今は高原に移転して名前は変わったが、中の町にあったお洒落なイタリアンバーの屋号の由来を知っていたのですぐにわかったから簡単じゃないかと正直拍子抜けしたものの、ダイキのおじいが育児放棄されている孫の行く末を案じ、数十年隠した大切な宝をダイキに託したことを考えたら切ない。
また、この“宝探し”に協力する面々のスキルとバックグラウンドは、沖縄らしさの現れだなと思うと同時に、最初の頃の『池袋ウエストゲートパーク』に登場し、真島誠に協力する世間からはみ出した、けれど無二のスキルを持つラジオ、ゼロワン、グリコたちを思わせ、既視感と懐かしさを覚えた。
しかし、“宝探し”には邪魔が入る。出自の心許なさを暴力と強欲とアメリカ白人の父親譲りの甘いマスクで強引に覆して生きている、今で言う半グレの親玉のような金城ランディというキャラクターがジョージを追跡する。彼が宝の匂いを嗅ぎ付けてジョージを付け狙い、蛙や虫をいたぶるようにジョージに暴力を振るうその様を読んでいるうちに、今は服役中のコザ出身の某ハーフタレントの生い立ちや噂話をいろんな方から聞いたせいか、ついついランディを彼で脳内キャスティングしてしまった。
新垣ジョージの活躍は、決してスタイリッシュとは言い難くカッコ悪い。
濱マイクのような小粋さも、真島誠のようなスリリングさも、木暮修と乾亨のようなカッコ悪さの中のカッコよさも、工藤俊作のような乾いたユーモアもない。
いつもすかんぴんでタコス屋でバイトしながら食いつなぐ野暮ったく、ダメな大人で、しかし泣けてくる程に御人好しなこの探偵の活躍をついつい活字で追ってしまう。絵コンテやドラマで情景が再生されるような情景描写はやはり映画監督ならではか。
だが、『唐船ドーイ』の最後のくだり、ジョージがダイキに自身の生い立ちを明かし、「ダイキに肌の色で何か言う奴がいたら、そいつは多分本当のコザンチュじゃない」と言うシーンは、正直な話、「中川さん、コザの街を買いかぶり過ぎです」とツッコミいれたくなってしまった。
しかしそれを差し引いても“Fire!”同様にコザの街の情景が切り取られ、いつか文にしたいコザが鮮やかに浮かぶように文面の中で描かれており、憧憬とともに軽い嫉妬と羨望を抱いてしまう。
『娘ジントヨー』は、ジョージがバイトしているタコス屋に著名な陶芸家が来店し、娘であり、現代アート作家である大城由紀恵の行動の見守りをジョージに依頼するところから始まる。夫を自殺で亡くしてから心を病んだ由紀恵がいつ夫の後を追わないかという親ゆえの心配からの依頼に最初は躊躇するも引き受けるジョージ。しかし、銀天街の路地で出会った由紀恵は溢れる才能もさることながら、美貌と内面の不安定さから出るほっとけなさと危うさからなのか段々とジョージを魅了していく。さらに、由紀恵に一方的な恋慕を抱く青年・繁から牽制され、それを無視したジョージは彼の仲間にリンチされかけたりと散々な目に遭う。
しかし、ジョージは由紀恵と逢うたびに不思議な安らぎを得る。が、由紀恵のメンタルバランスはアッパーとダウナーを行き来して油断ならない状態が続き、読んでいるこちらもジョージ同様にハラハラしてしまう。読み進めるごとにそれらの描写が、まるでソフトフォーカスのかかった映画か白昼夢のように脳内で映像化されていく。
『娘ジントヨー』の終盤、豪雨の中、浸水したコインランドリーで溺れかけるジョージと由紀恵の姿はどこか幻想的で、なおかつ色彩や温度や感触がありありと浮かぶ筆致は、やはり映画監督ならではだなあと感嘆してしまう。
その二人の姿が滑稽かつどこか暖かい空気を醸し出している分、ラストの別離があまりにも悲しく。全ては夢の中の出来事のように思える。同時刊行された続編の長編小説『十九の春』ではジョージに救いがあるようにと祈るばかりだ。
ちなみに、中川さん。2019年にコザにて“Fire!”で音楽を担当された澤田譲治さんとタッグを組み、“Fire!”でカズトを演じた平敷慶吾さんを新垣ジョージにキャスティングし、ショートフィルムを上映されたという。中川陽介監督の久しぶりの作品、しかもコザを舞台にした作品を観れなかったことに地団駄踏みつつ、ジョージの活躍を小説ないし、映像ないしなんらかの形でまた見てみたいと切に願うのである。
近いうちに新垣ジョージに会えますように。
心からそう思う。

(文責・コサイミキ)

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