オキナワンロックドリフターvol.23
雨のためしばらくゲストハウスのロビーで漫画を読んで過ごした。
ちびまる子ちゃんの6巻を読み終えた頃には雨は霧雨になっていて、ハンビーナイトマーケットで買った紫色のポンチョを羽織って外をぶらつくことにした。
まだ足は痛むけれど、昨日ほどではなかった。
私は嘉間良からパークアベニュー、パルミラ通り、一番街、ゲート通り、中の町、グランド通り、諸見百軒通りをふらふらと歩いて昼前の散歩としゃれこんだ。
途中、山里三叉路に足を止めた。少し奥まった場所に行けば城間家を見つけられるかも。そう思い、家の前まで足を進めたものの、好奇心と理性が押し合いへし合いしながら激しくせめぎあっていた。
俊雄さんに会いたい。会って話はできないだろうかと悩んだ。しかし、無理やり心の扉を抉じ開けようとしたら、俊雄さんは二度と私に会ってくれないかもしれない。葛藤はぐるぐると渦巻き、結局、訪れるのはやめにしてきびすを返し、小さな路地を後にした。
だいぶ歩いたのでプラザハウスで休憩をとることにした。ダメ元で宝くじを買ったり、海外のお菓子や食料品が並べられた、小規模な成城石井のようなスーパー“ポンパニエ”でショートブレッドと、レモネードを買って、ベンチに座ってブランチ代わりにした。
休憩ついでに私は城間家に電話してみた。電話には俊雄さんが出たので、プラザハウスにいるけれど良かったらサーティワンでアイスクリームでもと誘ってみた。しかし、俊雄さんからはやっぱり「忙しいから」と断られた。言葉ではにこやかに心で泣いて。私は「またの機会に」と建前上は言いながらも電話を切った後は悲しくて悲しくて大きくため息をついた。
俊雄さんと会うのは絶望的かもな。
私は項垂れながらまたゲート通りへと足を進めた。
仕方ないので翌日の朝御飯調達とばかりにザズーというベーカリーに立ち寄った。店内に入ると、さながらビロードの宝石箱に入ったジュエリーのように色鮮やかなデニッシュが目に入り、パンの香ばしい匂いとマフィンの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
さんざ悩んで買ったのはスマイルパンという丸いパンに切り込みが入れられバターが塗られたシンプルなパンだった。ゲストハウスにはトースターがあるから、翌朝、トースターで軽く焼いたらおいしいかもという判断からだ。
さらに裏道を散策しようと、ゲート通りからパークアベニューへ続く道を歩いたら、知念商店という小さな商店を見つけた。
パンに合う牛乳か豆乳でも買うついでに本で紹介されたオバアに会おうと思い、中に入った。
知念のオバアのことを知ったのは、天空企画という編集プロダクションが「沖縄的人生」という文庫本で取り上げたから。アメリカ世から大和世で小さな商店を切り盛りした知念のオバアの人生。
私は平良とみさんか古謝美佐子さんみたいなオバアなのかなとイメージしながら読んでいたが、知念のオバアはざあますメガネをかけた細面の、カルチャーセンターで生け花や俳句を嗜んでいそうなオバアだった。挙動不審な旅人の私を知念のオバアは歓待してくださり、牛乳とお茶を買っただけなのに、明らかに不採算でチップとして2000円程オバアに手渡したくなる程あれこれ持たせてくださった。
ナッツがぎっしり入ったチョコレートタルト、塩せんべい、バナナ一房、オロナミンCを頂き、恐縮していたら対価として一緒に話でもとオバアはおっしゃってくださった。
私が沖縄的人生から知念のオバアのことを知ったと話すと、オバアは目を細め、「最近、うちにこられる内地の人の殆どは沖縄的人生を読んで私を知ったて会いに来てくれるの」と照れながら話をされた。
さらに、私が2003年のオキナワンハードロックナイトで玉城デニー氏にお会いしたと話すと、オバアは血相を変え、「あいっ!あなたデニーさんに会ったの?デニーさんどうだった」と私の肩を掴んで食い入るように質問された。ラジオDJ時代はオバアのアイドル的存在とは聞いていたし、沖縄的人生で知念のオバアが玉城デニー氏のラジオ番組を楽しみにしていたと知ったからなんとなく話題にしたものの、まさかここまで熱心なファンとは思わなかった。
私は言葉を選びながら話し、セッションタイムの際にデニー氏が歌を披露された話をしたところ、オバアは少女のような表情で「聴きたかった」とため息をつき、さらにおまけとして小さいサイズのポテトチップスを手渡してくださった。嬉しさと申し訳なさにおたおたしていら、「私にデニーさんの情報くれたから。ありがとうね」と微笑まれた。
私はオバアにお辞儀し、握手を交わし、何度もお礼を言いながら知念商店を後にした。袋いっぱいの食料を抱えて私は嘉間良のゲストハウスに戻り、塩せんべいとポテトチップス以外の食料に名前を書いて冷蔵庫に入れた。
ロビーで漫画を読みながらまたうとうとしていたら、ちょうどゲストハウスオーナーが帰ってこられたので、翌日の南部半日ツアーのコースを打ち合わせし、南部の戦跡巡りをメインにお願いした。
少し仮眠を取り、中の町や諸見里のクラブに繰り出そう。
私はドミトリーで昼寝をし、目を覚ますと夜の帳が降りたばかりのコザの街をまたうろついた。
しかし、ウィークデーは週末の喧騒と真逆の静けさで、言い方は悪いが“機能不全”しているコザの街に寂しさを覚えた。
諸見里や園田のクラブで踊ろうと寄ったものの、定休日だったり、高校卒業パーティーで貸し切りだったりと全て空振りに終わった。
「クラブで卒業パーティーって。沖縄ならではなのかな」
アメリカの高校のプロムさながらにパーティードレスやスーツに身を包んだまだあどけない子たちが黒服のスタッフにエスコートされながら店内に入るのを見ると、羨ましさと眩しさに目を細めそうになった。
中の町の奥まった場所に、アルカトラズという、刑務所を模したようなバー兼クラブを見つけたものの、表通りのクラブとは対照的に客は私しかおらず、気まずさからお通しとカクテル二杯を慌てて胃に納めるとそそくさと店を後にした。
セブンスヘブンも定休日、お腹も珍しくすかない。
どうしようかうろちょろしていたら、ザズーの隣にオーシャンという店があったのを思い出して入ってみることにした。
入ってはみたものの、地元の男性客ばかりでどよめかれ、当時はまだ20代だった私は完全にアウェイだった。
店の雰囲気は、高村真琴さんのサイト『コザに抱かれて眠りたいzzz』で予習はしていたが、想像以上にいちげんさんお断り感があり、私はおずおずとオーナーのヤッシーさんにコーラを注文した。
小柄でぎょろりとした目と黒々とした眉を持つヤッシーさんは、『フレット』のカナヲさんにひけをとらない無愛想っぷりで「これがコザクオリティなのかしら」と遠い目に。
男性客何人かがあれこれ話しかけてこられたので、私はコミュニケーションスキルの向上だと自分に言い聞かせながら耳を傾けた。
かなり卑猥な与太話もあり、困惑はしたものの、ゲート通りという場所柄か、沖縄音楽や芸能の話題も出てきたので情報収集したい私には渡りに舟だった。
2003年のへまがあるので、私は余計なことは喋らないように耳を傾けた。すると、さながら森を歩いていたらパーカーのフードに木の実が落ちてきて集まったかのようにいろんな情報が入ってきた。
色々話を聞いて相槌を打ってきたらお腹が空いてきたので、私はヤッシーさんにタコスはないか訪ねてみた。高村真琴さんを筆頭とするコザリピーターの間でオーシャンのタコスはコザ……いや、沖縄一と評判なのだ。
しかし、ヤッシーさんはきっぱりと。
「ない!今日はタコスはないよ!」と返答されたのでがっかりして、コーラとさんぴん茶の代金を支払い、まだ開いている19thホールタコスでタコライスを食べることにした。
タコスもだけれど、ちょうどいい味付けのタコミートとやや淡い味わいのチーズ、上品に盛られた野菜、そして島唐辛子を使ったホットソースの辛さが絶品で、私は美味しさに目を細めながらタコライスを頬張った。すると、店のマーマーからいきなり質問された。
「あんた、JETによく来るの?」
観光客なのでよく来るとまでは言い難いが、私ははいと返した。
するとマーマーはジミーさんの話題をされ、私はドキッとした。
「ジミーさんどうしてる?JETにまだいるの」と尋ねられたので私は「元気に演奏されてますよ」と返したところ、マーマーはほっとした顔をされた。
マーマー曰く、ジミーさんは入院する度にこっそり抜け出してはタコスとビールを楽しまれるらしい。
私はそれを聞いて胃に鉛を押し込まれた気分になった。
県内外のギタリストが羨望する唯一無二のテクとセンスを持つジミーさんだが、お酒に関する話題も尽きなかった。オキナワンロックに触れてから色々な場所で、お酒を手放せないジミーさんの話やゴシップを見聞きするはめになった。
まるで自分の寿命を縮めるようなお酒の飲み方をされるジミーさん。ジミーさんの心模様は本人しかわからないものの、余りある才能を持ちながらも、それを削るようなジミーさんに悲しみと寂しさを覚えた。
タコライスを食べ終わると、ジュークボックスで音楽が聴きたくなった。ジュークボックスを見ると日本の歌謡曲もあり、その中に山口百恵の『美・サイレント』もあったので100円を入れてリクエストした。
なんだか無性に、突き放すような百恵ちゃんの歌声が聴きたくなったのだが……。
ボタンを押すと、乾いたギターイントロの代わりにジュークボックスがかたがた揺れた。
間髪入れずにマーマーから「あいっ!あんた百恵をリクエストしたね!何故か百恵を入れるとジュークボックスの調子がおかしくなるの!だからダメよ!」と叱られた。ジミーさんの話題でへこんでいる時にさらにだめ押しだった。弱り目に祟り目だ。
マーマーがジュークボックスをがしがし叩くとジュークボックスの震動は止まり、100円は返された。
「百恵以外なら聴けるから」とおっしゃられたので沢田研二の『カサブランカダンディ』と『あなたに今夜はワインをふりかけ』をリクエストした。
〆のマッシュルームスープで冷えた体を暖めながらジュリーの甘い声で唄われる粋な男でいることの難しさを綴った歌詞に耳を傾けた。
Aサインを生きたロッカーたちも、この歌詞の中のハンフリー・ボガートに憧れる男のように過ぎた時代を追い、嘆いたこともあるのかなと思いながら。
結局、夜遊びもろくにせずに、22時半を回る頃に嘉間良のゲストハウスに戻り、シャワーを浴びて休むことにした。
ごろりと横になると、目にしたことがないのに何故か公園で背中丸めてビールを飲むジミーさんの姿や、ふらりと酒場に現れ、流し込むように酒を飲むジミーさんの姿が浮かび、そして消えた。
ジミーさんのギターが聴ける日は私たちが思っている以上に短いのかもしれないと渦巻く不安を抱きながら私は眠りについた。
(オキナワンロックドリフターvol.24に続く……)
文責・コサイミキ