オキナワンロックドリフターvol.111
今回は、コザ文学賞に応募したエッセイ、『想い出かき集めても』を全文転載いたします。
今読むと想いだけが空回りした文章ではありますが、ジミー宜野座というギタリストを埋もれさせてはいけないと無我夢中で書いたあの時の気持ちを忘れないでおきたいのでほぼ原文のまま転載いたしました。
『想い出かき集めても』
たった一年の出会いと別れだった。
思いのたけも伝えられず、ましてや肌すら合わせたことすらない彼が遺してくれた想い出をリピートして、薄れさせないようにしっかりとかき抱く。
そのたびに私は、在りし日の彼が微笑む写真を撫でて呟く。
おーい。また、どこかで酒飲んでいるのですか。ジミーさん。
声をかけると、写真の中のジミーさんは困ったような顔で笑っていた。
二〇〇三年、九月。
私は、沖縄のハードロックに恋をし、初めて沖縄の地を踏んだ。今思うとその恋心は当時の自分の報われない現実からの逃避だったのかもしれない。それでも、私はまだ見ぬ沖縄のロッカーたちに夢中になり、遅れてきたグルーピーを気取っていた。
観光を手短に済ませ、重い荷物を引きずってバスに乗り込み、目指すはビジネスパックで予約した京都観光ホテル。バスが中の町に着き、バスを降りた瞬間、足を滑らせて思い切りこけ、「お客さーん。危ないさー」と運転手さんと乗客に失笑された。
めげずに荷物をずりずり、チェックイン。沖縄なのに京都と名がつくのはなぜだろうと思いながら汗だくで部屋に向かった。
窓の外には雨上がりのコザの街。色褪せたコンクリートの建物が夕日に反射し、黄金色に濡れ光っていた。
夕暮れ時の熱く湿った風すらも心地いい。ますます私の心は、浮かれ舞い上がり、ガイドブックをめくりながら、これから訪れるコザでの夜で何をしようか算段していた。
それから数時間後。予定を変更して、恩納村のビーチバーで飲み食いし、ギタリストでもある、そこのオーナーをあれやこれやと質問攻めにして困らせて、長居していたら日付が変わってしまった。タクシーを呼んでもらい、コザへ舞い戻る。
ゲート通りに車を止めてもらい、降りると、途端に周りの空気が変わった。
辺りを見回すと、酔いどれたアメリカーたち、ショーパブの客引きをしながら煙草をふかす小柄でしわくちゃなオバァ、白の建物に赤い筆文字が夜でも目立つ「南京食堂」、窓枠に描かれた唇の絵が淫らなショーパブ「アマゾネス」、そして、娼館さながらの赤いライトが窓から見えるタコスヤー、”19th Hole Tacos”がまばゆく見えて圧倒され、足がすくんだ。
こんな所に一人で歩いても大丈夫なのかしらと冷や汗が伝う。唾を飲み込み、背筋伸ばして、探索だ。
ゲート通りはまるで異国の地だった。地元のオジィとアメリカーが談笑しながらギターを弾き、ハーフの女性が酔いどれ米兵にしなだれかかって歩く。醤油のこげた匂いがするので振り返ったら、屋台でニーニーがヒラヤーチーを焼いていた。派手なドレスのフィリピン女性たちはタガログ語でかしましくガールズトークを楽しんでいる。
にわかグルーピー気取っても田舎者は田舎者。原色のネオンと行きかう人々を交互に見て体を縮めながら歩くしかなかった。
びくびく歩いていると、ギターの音色が耳を掠めた。
どこから流れてきた音なんだろう。何、この胸かきむしられるような音色は。
それは一目惚れの恋に似ていた。ワンフレーズ聴いただけで恋に落ちるような音がこの世に存在するなんて。
突然湧き上がった恋心と音の魔力に引き寄せられ、黒塗りの扉が重々しいライブハウスに立ち止まった。店の名は”JET”。ガイドブックとネットで得た情報によると、ゲート通りにあるライブハウスで、ここのハコバンがとにかくすごいらしい。オキナワンロックの基礎知識として彼らのCDを聴いた限りでは普通に好きな音楽でしかなかったバンド。
しかし、生で聴く音は段違いだ。遠くから聴いても鳥肌が立つのだから。
もう少し、近くで聴きたい。聴かないと。さあ、扉を開けよう。
薄暗い店内には米兵達がごった返していた。壁に貼られたジミヘンの絵がにやりと笑っている。ウーロン茶を頼み、スツールに腰掛ける。すると、酔った米兵に服の袖を引っ張られた。耳元でなにやら囁くが無視して曲に集中する。
曲はレッド・ツェッペリンの『天国の階段』だ。ベーシストの小柄な男性、ターキーさんが哀調たっぷりに唄っている。人のよさそうな風貌に伸びた髪と髭のコントラストが、森の奥に住む長老みたいだ。ギョロ目にこけた頬が印象的なドラマー、コーチャンは演奏の合間に酒を啜りつつのドラミングだ。刻まれた皺に比例した腕のよさで観客を惹きつける。
そして、最後は長身のギタリスト、ジミー宜野座さん。CDジャケットのジミーさんはロマンスグレーのひっつめ髪にラフな服装の風変わりなおじちゃんだなという印象だった。なのに、ギターを弾くその姿はなかなかの男前。彼を目で追うたびに心の柔らかいところをきゅっとつかまれた。
動乱の時代を生きたロックミュージシャンならではの年季と熟練、そして彼ら自身の老いの切なさがかもし出すロックはなんと美しく、狂おしいのか。
曲が終わると、私は立ち上がり、大きく拍手した。振り返ると、馴れ馴れしい米兵はどこかへ去ったようだ。ほっとして私は”JET”のメンバーに声をかけようと近づいたが、すぐさま演奏が始まり、声をかけるタイミングを逃した。
さらに、演奏が始まるや否や、怒声が入る。見ると、テーブル席を陣取っていた米兵達が取っ組みあいの喧嘩を始めていた。さらに瓶が割れる音がして、私は怯えるしかなかった。けど、”JET”のメンバーは平然と演奏を続けている。どうしよう。
曲を聴きたい思いと恐怖心が天秤にかけられ揺れている。結局、一旦店を出ることにした。アンプの上に三人へのプレゼントを置いて。
「お嬢ちゃん、どこ行くの?」
ベースを弾きながらターキーさんが問いかけた。
「あとでまたきます」
私はそそくさと”JET”を後にした。外に出て、生ぬるい風に吹かれていると怯えも薄まった。さて次はどこに行こうか。他のライブハウスをはしごしようか。
しかし、あのギターの音色が耳から離れない。
再び、あの音を求めて”JET”へ向かう。今度は喧嘩を目の当たりにするのはごめんだな。怖々と扉を開けた。見ると先ほどの米兵達はどこへやら、地元のニーニー、ネーネーたちがメンバーと話をしていた。休憩時間なのだろうか。
ターキーさんは私を見つけると、小さな瞳をくるっと見開き、手を振った。
「また来てくれたねー。心配したよー」
「おー、帰ってきたー」
コーチャンは器用に煙草くわえたまま話しかけてくる。二人のおかげで、怯えは消え去り、安らぎで満たされた。
力が抜けた瞬間、ぽんと肩を叩かれた。見ると、長身にひっつめ髪のおっちゃんが目を細めてにこにこ微笑んでいる。あ、ジミーさんだ。ジミーさんはステージにいる時とは別人の無防備な笑顔で近づくと、言った。
「おネエちゃん、プレゼントありがとう。入浴剤かー。今度一緒にお風呂入ろうかー、あ、でもねえ。うちさあ、シャワーしかないんだよね。じゃあ、シャワー浴びようねー」
な……。なんなのよ、この人。
面と向かってナンパされた驚きと、沖縄の家庭では湯船よりもシャワーが主体というのを忘れて、入浴剤をプレゼントした間抜けな自分への恥ずかしさで一気に顔が熱くなった。
ジミーさんは邪気なく微笑んでいる。それにつられて、うっかりとシャワーのお誘いに乗りそうで怖い。
照れ隠しに、ナップザックに忍ばせた”JET”のCDをジミーさんに差し出し、サインをねだった。ジミーさんはさらりとした筆記体でサインをし、コーチャンとターキーさんも続いてサインをしてくれた。
コーチャンはシンプルで、ターキーさんはかわいらしい字と個性的だ。
サインゲットに舞い上がった私は三人にJETのアルバムで特に好きな曲を告げてなぜ好きなのかを興奮して語った。
三人は嫌な顔せず、にこにこと聞いてくれた。
「さっ、演奏しようね」
ターキーさんの一声で演奏が再開された。今度は最前列の席に陣取る。
ありがたいことに、私のリクエストは採用された。
一曲目は”Take me back”。中央パークアベニューがB.C.ストリートと呼ばれていた頃の青春群像を綴ったこの曲はその頃のコザの匂いを教えてくれる。その甘酸っぱさに心臓がとくとくと高鳴る。間髪いれずに二曲目だ。
“Cool Cats”という名のこの曲は、聴くと胸が潰れそうな切なさとノスタルジーを与えてくれる。ゴージャスなネオンとドル札で彩られていた頃のゲート通り、毎夜、米兵相手に演奏するミュージシャン、酒と煙草、酒場の女の熱い吐息。それらを想起させる。在りし日のコザの夜毎の狂乱と寂しさが曲を通して流れ込んでくる。ああ、なぜ、私はもっと早く生まれなかったのか。悔しさと体感できなかった時代への憧憬で私は涙ぐんだ。
以来、私は”JET”のファンになった。翌年の春に、貯金はたいて十日間の沖縄の旅を決行した。一番の目的は”JET”との再会だ。
来沖まで日々の生活に追われながらも、ターキー、コーチャン、ジミーの無敵の3ピースが奏でる音が恋しく、CDを繰り返し聴いて、はやる気持ちを静めていたのだから。
那覇で貪るように観光名所を廻り、コザへ向かう。荷物を宿に置き、着替えたらダッシュでゲート通りへ向かう。
時刻は午後九時半。人通りは多い。中の町方面からがなるような歌声とスラングが聴こえる。おおかた、カラオケバー”GOOD TIMES”でアメリカーたちが順番争いをしながらカラオケに興じているのだろう。ゲート通りのネオン、行きかう米兵、屋台から漂う焼き鳥の匂い、酔いどれて、三線爪弾いては小銭をせびるオジイが走る私の視界をよぎる。しかし、私の耳には、三線オジイの罵声も、米兵達のからかいの声も聞こえない。
目指すは黄色い看板と黒塗りの扉が目印の”JET”だ。もう、演奏は始まっているのかしら。私は腕振り上げて速度を上げ、”JET”に着くと重い黒塗りの扉を開ける。
扉を開けると、重低音が臓腑と心を射抜く。演奏はすでに始まっているようだ。薄暗い店内ではアメリカーと地元客が7:3の比率で腰掛けている。今日はペイデイ、そのためか大入りのようだ。さすがだねえ、大御所の貫禄ですか。
いとしのバンドのハコの大入りはうれしいことだ。けれど、こちらの座る場所が見つからないのが困る。人を掻き分けてやっと空いたカウンター席に腰掛けると、すっと目の前にメニューが置かれた。
「チュウモン」
声の主はターキーさんの奥さんだ。その青い瞳が鋭く私を射抜く。
もたもたしたら一喝されそうだ。ジンフィズをオーダーし、渇ききった喉を潤す。喉の渇きが癒され、アルコールの酔いが行き渡る。走ったせいかいつもよりも酔いが早い。目を潤ませながら私はステージの上の三人を目で追う。
コーチャンはひっきりなしに煙草を吸い、ステージを煙でもうもうとさせながら、痩せた体躯と反比例のパワフルな、それでいて多からず少なからずの程よいオカズのドラムを聴かせてくれる。今日も器用に煙草をくわえながらドラムカウントだ。コーチャンのドラムカウントが終わると、ターキーさんの歌が入る、その朴訥さと円熟さが入り混じった歌声とともに、職人肌なベースプレイを見せる。曲に合わせてピッキング、フィンガー・ピッキング、タッピングにチョッパーと臨機応変、変幻自在だ。マリーンだろうか、粗暴さのなかにあどけなさがある米兵たちがターキーさんのベースに歓声を上げる。だが、ターキーさんは黙々とベースを弾くだけだ。さながら、妥協を許さない木工職人のように。
そして、ギターソロに入ると胸がいつも締め付けられる。その音色が耳に入るたびに喧騒と猥雑さと艶やかなネオンで彩られていた頃のコザの街、今では皺が刻まれ、白髪も目立つミュージシャンたちの若かりし頃の姿とそれを見つめる女たちの駆け引き、経験したかったそれらの光景が音と共に私の中をすり抜けていく。自分を抱きしめてそれらを封じ込めようとしても指の隙間から抜け出てしまう。
私はギターを弾くジミーさんの姿をまっすぐに見つめた。最初に出会ったときよりもまた白髪が増えたようだ。彼のロマンスグレーの髪は銀と見まごうような白になりかけている。それが似合うから悔しい。ステージから降りると普通のおっちゃんに見えるのに。
ジミーさんは愛しくも憎らしい。
そして曲はクライマックスへ向かう。彼のギターの音色は終盤が近づくにつれ艶めかしさを増してくる。そら、きた。
三人が奏でるラストの音に胸が張り裂けないように、私は溶けた氷だけが残るグラスを強く握り締めた。
曲が終わると、MCに入る。ターキーさんのきわどいMCをさえぎり、ジミーさんはおどけた声で言った。
「オジイはもう寝る時間さー」
その芝居がかった口調がおかしくて、野次を飛ばした。
「カモーン、キーポンロッキン!」
ターキーさんは私に気づくとあきれた口調で、「はいはい」と答え、コーチャンはくくっと笑い、ジミーさんは眼鏡の奥の目を糸のように細めて手を振った。はにかんだ笑顔とともに。
私は遠くから大きく手を振り返した。ジミーさんの顔をもう一度じっと見ようと目を凝らすと、その顔に大きな陰りが見えた。同時に私の胸の中で小さな虫がざわめく。
慌てて私は首を振った。店内の薄暗さからそう見えたのだろうと思い、そのときはよぎる胸騒ぎを振り払った。しかし……。
「あんた、”JET”に行ってるね?」
翌日、”19th Hole Tacos”でタコスを頬張っていると、店のネーネーにそう問われた。
「ふ、ふぁい」
どうにかタコスを飲み込み、私は返事した。
「ジミーさんどうしたねー? 元気? ちゃんとギター弾いてる?」
ネーネーの真剣な顔が引っかかって、私は問い返した。
ネーネーから聞いたのは、ジミーさんと酒にまつわる幾多のエピソードだった。しかも、ジミーさんは酒がたたって何度も入退院を繰り返しているそうだ。さらにネーネーは、ジミーさんがビールを求めてこのタコスヤーにやってきたエピソードを事細かに話してくれた。しかも病院を抜け出して、ビールとタコスに舌鼓を打ったというおまけエピソードつきで。
ジミーさんと酒に関する噂はいくつか聞いていた。信憑性の高いものもあり、明らかな眉唾もありのコザならではの噂話。私はそれらを聞くたびに苦笑いしつつ流していた。しかし、きちんとした証人から聞くジミーさんの酒への依存はうらさびしく胸に刺さるものだった。ジミーさんの人懐っこい笑顔と演奏のときの物憂げな横顔が交互によぎる。
溢れるばかりの才能と、入退院を繰り返してまで飲む酒の膨大な量。
私は何も言えず、ジュークボックスにお金を入れた。見上げると店の赤いライトがぼうっと光を放っている。気分を変えて、山口百恵でも聴こうかな。そう思って番号を押すと、山口百恵の突っぱねた歌声が流れる代わりに、ガタガタとジュークボックスが揺れた。
「あいっ! あんた、百恵リクエストしたね! 百恵は聴けないさー! 」
間髪いれずにネーネーの怒声が入った。弱り目に祟り目だ。
以来、旅の間中、昼間のコザを出歩くときはジミーさんを探すようになった。まるでストーカーだ。でも、心配だったのだ。どうか、ジミーさんが酒を飲んでいませんように。飲んだとしてもほんの少しでありますように。歩くたびにそう願った。しかし、幸か不幸か、週末の”JET”以外でジミーさんに会うことは一度もなかった。
そして、時は瞬く間に過ぎ、コザ最後の夜になった。その日は花の金曜日。私はゲート通りのライブハウスをはしごした。もちろん、”JET”がメインディッシュだ。幾分かアルコールが入った足でふらふらと歩き、黒い扉を開けた。いつもの薄暗い店内に安らぎをもらう。
店に入ると、ステージ上のジミーさんと目が合った。一瞬、ジミーさんはふっと笑ったような気がした。それから数秒して、ジミーさんは、ターキーさんとコーチャンに目配せをし、演奏した。曲は”Cool Cats”だ。たった一度だけ、ジミーさんに「この曲が好き」と言った曲だ。覚えていてくれたんだ。
食い入るようにステージ上の三人を見ていると、なぜなのだろう、前よりも彼らが遠く感じる。最前列のスツールに腰掛けて、目の前で彼らを見ているのに。
生で聴く”Cool Cats”は以前聴いたものよりも物悲しい音色だった。旅行最後の夜だからだろうか。いや、違う。何かの終わりのような物悲しさだ。
何かが耳元で囁く。聴き納めだからしっかり聴いていな、と。
……どういうこと?
そう問う心と逆に、姿勢を正し、耳に神経を集中させていた。
宴は終わった。時刻は午前三時半。日付はとうに変わってしまった。あと数時間後には沖縄を発つのに、眠れなくて歩道橋をうろつき、ゲート通りと330号線を交互に見下ろした。
ゲート通りでは未だ人が行き交う。ほんのり薄闇の空にネオンと車のライトの明るさがまばゆい。ここはまだ眠らない街だ。
対照的に、330号線は橙色の街灯と時折通る車のライトが暗い道を蛍火のように照らしていた。
もう少し、起きていようか。
歩道橋をおりて、ゲート通りへまた引き返した。
どこへ行こうか。”GOOD TIMES”で何か唄おうか。それとも、中の町を散策しようか。
足に任せて歩いて、信号の前に立つと、見慣れた後姿が目に入った。ジミーさんだ。ライブを終えて、ファーつきのロングコートを身にまとったジミーさんは、どこか近寄りがたいオーラを放っていた。でも、しばらく会えないし、挨拶をしよう。
「ジミーさん、ジミーさーん」
両手をぶんぶん振って、ジミーさんを呼び止めた。
私に気がつくと、ジミーさんは目を細めた。良かった、いつもの笑顔だ。
調子に乗って、私はジミーさんに甘え、不満を漏らした。
「ジミーさん、もう少ししたら帰るんですよ、私」
「そう、寂しいねえ」
その言葉はさらに私を調子付かせた。
「どうしよう、帰りたくないなあ…。もうしばらくここにいようかな」
しかし、間髪入れずにその言葉は否定された。
「帰ったほうがいいよ」
その、ひんやりした口調に一気に酔いが醒めた。
そして、ジミーさんはこう続けた。
「帰る場所があるのはいいことだよ、だから、ちゃんと帰りなさい」
それは、聞き分けのない子どもを諫めるような口調だった。
浅はかな私の思いはしゅるしゅるしぼんだ。しかし、少し悔しいので、口尖らせてジミーさんに握手をせがんだ。
ジミーさんの手を握った途端、また、不安の虫が胸にうごめいた。
その手は異様に熱く、かさかさしていて、トニックの匂いでも体臭でもない奇妙な匂いがしたからだ。
「ジミーさん」
「ん?」
「元気でね。あまり、お酒飲んじゃだめですよ」
ジミーさんは何も言わずに微笑み、去っていった。きっと、また飲みにいくのだろう。私は大きく肩を落とした。
遠ざかるジミーさんのひっつめ髪が、さらりと夜風に揺れた。初めて会ったときよりも白くなったそれは銀狐の尻尾みたいだった。
動乱の時代を生きる孤高の銀狐。
吹く風は冷たく、春なのに凍えそうなほどだ。”ワカリビィーサー”だなと、覚えたてのウチナーグチをひとりごち、そして、祈った。
どうか、ジミーさんがずっと演奏してくれますように、と。
しかし、願いは空しく、ジミーさんが五月に何度目かの入院をしたことを知り、がっかりした。
その代わりに、お詫びのしるしなのか神様は私に仲間を与えてくれた。沖縄のロックを愛してやまないメル友だ。名前はテルさん。千葉でバンドをやっているテルさんは、ミュージシャンの視点で、八十年代からつい最近までのコザの風景をレクチャーしてくれた。ディスコが乱立していた園田界隈、ロック喫茶やライブハウスがあった頃の中央パークアベニュー、創生期の”JET”の話とともに。お返しに私は、旅の土産話をメールと電話で熱く語った。まるでこどもがそれぞれの宝物を交換するように私たちは情報を交わし、分かち合った。
ジミーさんの入院を嘆くとテルさんは笑って励ましてくれた。
「大丈夫。ジミーのアニイのことだからピースフルの頃には元気になって退院しますって。オキナワンロッカーがそう簡単にくたばりやしねえよ」
テルさんの予言は的中した。ジミーさんは、六月に退院したそうだ。テルさんは歓声を上げ、七月にある、年に一度のロックの祭典、ピースフルラブロックフェスティバルを心待ちにした。そして、当日。テルさんはピースフル二日目のレポートを携帯メールでこまごまと伝えてくれた。電話をかけると、テルさんは興奮して、”JET”のよさとジミーさんの健在振りを一時間にわたって語ってくれた。
「最高っすよ、もう”JET”最高! あんたに今日の『フリーバード』や『アイ・ショット・ザ・シェリフ』を聴かせたかったなあ」
よかった、私の取り越し苦労か。
ジミーさんはいつものようにギターを”JET”で弾いてくれるのね。安心して、八月の来沖でまた”JET”にてジミーさんのギターが聴けるのを楽しみにした。
しかし、その期待は来沖早々、友人からの第一声で砕かれた。
「ジミーはギター弾いてないよ。体ぼろぼろになって、”JET”で演奏しているときに最初の小節弾くところを最後の小節弾いちゃってさー、もうあいつは弾けなくなっちゃったよ」
嘘だ。信じるもんか。この前、ピースフルでギター弾いていたでしょ。。
真偽を確かめるべく、ゲート通りへ足を運んだ。“JET”の黒塗りの扉に手をかけた。扉から漏れる曲は、”JET”の定番ナンバー、ボブ・マーリーの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』だ。ジミーさんが弾いているなら間奏でわかる、ジミーさんはオリジナルのフレーズを盛り込むから。お願い、ジミーさんであってくれ。あの切なくなる間奏を聴かせて。
願いは完全に砕かれた。扉から漏れる間奏はジミーさんオリジナルのものではなく、エリック・クラプトンのアレンジどおりに弾いた、明らかに別人のものだったからだ。うまいけれど、違和感だらけの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』は私を絶望の底に叩きのめした。
ジミーさんはどうしたの、また、入院してしまったの?
もう、ギターは弾けないままなの?
心にもやを抱えたまま、宿に引き返した。途中、うなだれて歩いていると南京食堂の壁に貼られた紙が目に留まった。厨房で小龍包を作っていたオジイの字だろうか。達筆で、冷蔵庫と電話加入権お売りしますと書いてあった。見上げると建物は人の気配なく、がらんどうだ。
諸行無常。コザを象徴する場所がひとつ消えた。
翌日の夜、あてどもなくゲート通りを歩いた。ゲート通りは前よりも人通りが減り、どことなく祭りのあとの寂しさを感じさせた。
たまには、一番街にも足を運ぼうか。そう思って、サンシティ商店街のほうへ進度を変えたその時、銀狐の尻尾が視界に映った。ジミーさんだ。
引き返すと、アーケード内に設置されたテーブル席で、若いベーシストと、ミュージシャンらしき島外人の白人男性と話している彼がいた。
「やあ、また来たねえ」
ゆったりと片手上げてジミーさんは笑った。やあじゃないよ。なんで笑っていられるの。
電光石火の速さで私はジミーさんに抱きついた。叫ぶように泣き、ジミーさんを詰ろうにも嗚咽交じりで伝わらない。
ジミーさんは、泣き叫ぶ私の頭をあやすようになでた。完全に小さな子ども扱いだ。島外人氏は、「ヨシヨシ、ナカナイデ」とポツリと呟いた。
泣き叫びながら、腕に力をこめると、ジミーさんのやせ細った体と熱い体温に驚いて体を離した。
さらに、以前嗅ぎ取ったあの匂いがジミーさんの体から充満していた。
それは線香と腐った肉を燻したような匂いだった。母がガンで死ぬ前に放った匂いと酷似していた。
この匂いは、死にゆく人が放つ独特のものみたいだ。ということはジミーさんがもうじきいなくなる。そう悟った。
ジミーさんは、私をじっと見ていた。言いたいことはわかっているよ。瞳はそう語っていた。
もう、これが永の別れなのだろう。それなら、一つだけ想い出をもらおう。私は恰幅のいいベーシスト氏に声をかけた。
「写真、撮ってもらっていいですか」
ジミーさんと一緒に写真を撮った。最初で最後の記念写真だ。熱く、痩せたジミーさんの肩に手を置くと、とめどなく涙がこぼれ、ジミーさんは困ったような顔で笑っていた。
「ジミーさん、元気でね」
手を握り、そう言うのが精一杯だった。ジミーさんはふっと笑い、言った。
「大丈夫よー、酒の代わりに女のエキスでパワーをもらっているから」
それが、私が聞いた最後の言葉だった。笑いたいのに笑えなかった。
それからは覚えていない。おぼろげな記憶の中で、去る私にジミーさんはいつまでも手を振っていた。その姿は小さく、弱々しかった。
沖縄から帰ると、私はテルさんに、ジミーさんに会ったことを電話で告げた。
テルさんは電話越しで大きなため息をついた。けれど、明るくこう言った。
「大丈夫だって。ジミーさん前にも入退院繰り返してきたんでしょ? どうせまたすぐに”JET”に帰ってきてまたすげえギター弾いてくれるから。奇跡は起こります!だから、あんたもしょげないで、ネッ!」
テルさんの明るい声がつらかった。ジミーさん復活を信じるテルさんを悲しませたくない。喉まで出かかるこの言葉を必死で押し込めた。
ごめん、今度ばかりは奇跡は起きそうにないよ。
二〇〇四年の晩秋、ジミーさんがまた入院したと風の噂で知り、同じ頃、”19th Hole Tacos”が閉店したことを人づてに聞き、また一つ、想い出が消えたとため息ついた。
それから、翌年の二月。私は不思議な夢を見た。サンシティのアーケードでジミーさんを見かける夢だった。ジミーさんはテーブル席に座り、ゲート通りを眺めていた。何も言わず、ずっと、黄昏時の日差しを浴びて、遠くを見ていた。
そんな夢だった。
翌日、コザの友人からメールが届いた。
「ジミーさんが亡くなられました」
そのメールを読んで、まず呟いた。
「あ、そうなんだ」
実感がわかなかった。メールの文章だけが延々と脳裏で繰り返された。不思議と、涙が出なかった。
真っ先にしたことは、親しいオキナワンロッカーに電話し、葬儀の際に私の分まで別れの言葉をかけて欲しいと頼むことと、弔電を打つことだった。
そして、ジミーさんの訃報をテルさんにもメールで告げた。すぐに、返事は来た。文面からテルさんの動揺と悲しみが強く伝わった。
テルさんを励まさないと。
テルさんに電話をかけると、いつもの兄貴分な彼はそこにはなかった。親を失った子どものように、声を振り絞ってテルさんは泣いていた。
それなのに、私は泣けなかった。泣き続けるテルさんに陳腐な慰めの言葉しかかけられない薄情な自分が怖かった。
しかし、ジミーさんの葬儀の日。仕事帰りの列車の中で、突然、ぶわっと涙が溢れて止まらなかった。目頭押さえても止まらない。
それから家に着くまで人目はばからずすり泣いた。
死期は悟っていた。けれど悲しみは例えようもなく大きく、深い。
私はジミーさんの名を繰り返しては泣き叫び、神を呪った。
神様の馬鹿野郎。ジミーさんを連れて行くんじゃねえよ。
返しやがれ。早く、今すぐに。
もうコザにはあの七十年代の匂いを運ぶギターの音は響かない。
ゲート通りを横切る銀狐の尻尾はもう見られない。
時が経つごとに、失ったものの大きさを思い知り、一週間、声を枯らして泣いた。
それから、三年の月日が流れ、ジミーさんの死からコザはめまぐるしく変化した。
再開発により、多くの建物が消え、渡る度にゲート通りが見下ろせたあの歩道橋も撤去された。
代わりに、ゴヤ十字路にミュージックタウンという大きなババロアのような建物がどでんと鎮座している。
常宿にしていた京都観光ホテルも閉館し、跡地は駐車場になった。
けれども、明るい話題もある。那覇や本土で活動していたロッカーたちがコザに帰り、コザを拠点に音楽活動をはじめた。通りに新しい店がちらほら出来ていた。
古い思い出の場所が一つなくなる代わりに、新しい思い出の場所が一つ生まれる。
コザは意外としたたかでたくましい。
“JET”も、ギタリストとキーボーディストの夫婦が加入し、それに伴い、音楽のレパートリーが増えたそうだ。一度だけ、現在の“JET”を覗いた。がらりと変わった音楽性に面食らったものの、ターキーさんは以前よりも穏やかな顔でベースを弾き、コーチャンは相変わらず、煙草を吸いながらドラムを叩いていた。
時は流れ、街は生き続ける。
しかし、時折、ジミーさんがいた頃のコザを懐かしむ私がいる。ノスタルジーだけでは生きていけない。想い出かき集めても、あの頃には帰れない。
わかってはいるものの、こう願う。
あの日をもう一度。
それでも、私はコザへ足を運ぶ。
コザの移り変わりを見届けるために。そして、昔のコザのかけらを拾い集めるために。
二〇〇八年、春。私はゲート通りをひとりで歩いた。
米兵の暴行事件により、外出制限が出され、その煽りで殆どの店が早じまいしていた。静まった通りは暗く、色褪せ、基地の街の脆さが現れていた。
もしかすると、こんな夜にはあの人がいるかもしれない。
ひょっこり現れて、ビールでも飲んでいたりして。
誰もいない街角でそっと呟いた。
ジミーさん、今どこにいますか。
返事はなかった。でもめげるもんか。
ジミー、わしんなよー。わねうむとーんどー かなさんどー (ジミー、忘れないで、想っていんだよ。愛している)
かなさんどー
今度はでたらめな発音のウチナーグチで、ずっと伝えたかった言葉をやっと声に出して繰り返した。
けれど、私のひとりよがりの告白は北風に邪魔されて消えてしまい、いじけて、私は路地にうずくまった。
涙目の私の頬を暖かい風がそっと撫でた。それは懐かしい誰かの手の温もりに似ていた。
その風の方向を振り返ると、どこからともなくギターの音が鳴り、かすかな余韻残して消えた。
それは、亡き人の奏でた音色によく似ていた。
(オキナワンロックドリフターvol.112へ続く……)
(文責・コサイミキ)