オキナワンロックドリフターvol.95

さっちゃんとのドライブは幾分か心を軽くしてくれた。
やけに綺麗な夕焼けをさっちゃんの車から眺めながら、最初は泡瀬周辺をぐるりとドライブし、海や、ゴヤ十字路等の街並みとは違う泡瀬の街並みを見た。
私の情緒の不安定さは明らかにわかるようで、さっちゃんは何度も「大丈夫?」、「車止めようか?」と声をかけてくれた。
そして、さっちゃんお勧めの店、北中城村にあるミッドヴィレッジというレストランへ。
さっちゃん曰く、この店はグラタンと、デザートのスコーンと紅茶が美味しいらしい。
さっちゃんが楽しそうに話すのだからさぞ美味しい店なのだろう。わくわくしながら入った。
ミッドヴィレッジは、ラブホテルやモーテルに囲まれた白亜の城のような店だった。
さっちゃん曰く、グラタンがお勧めとのことで私たちはグラタンを注文した。さっちゃんは海老、私はベーコンと野菜。
熱々のグラタンが大ぶりながらもかわいらしい器に盛られて運ばれた。
私たちはグラタンを楽しんだの……だが。
チーズとホワイトソースがグツグツ音をたてるグラタンは、いつもなら食欲をそそる筈なのに胃がきりきりした。
なんとか平常心を装い、食べてみても半分しか食べられず、私のいつもの食べっぷりを知るさっちゃんからは「まいきー、大丈夫?」と心配された。
結局、3分の1残してしまった。
デザートのスコーンは、こってりしたクロテッドクリームと手作りのジャムがおいしい筈なのに、砂を噛んでいる食感だった。私から味覚と食欲を奪った俊雄さんとコーキー夫妻を逆恨みする勢いで腹が立った。
さっちゃんとの楽しい筈の会食は台無しだ。
それでもさっちゃんは私を元気付けようと北谷はハンビーにあるナイトマーケットに連れていってくれた。
しかし、4年前に比べて出店が激減し、かなり侘しいナイトマーケットになっていた。それでもダッフルコートや大きめのサイズのシャツ、部屋着代わりになるレギンスが見つかり、安く買えたことは収穫だった。
「ここもずいぶん寂しくなったね」
祭りの終わりのようなハンビーナイトマーケットの寂れた景色を見回しながら、さっちゃんの呟きに私は頷いた。
北谷も以前に比べて活気がなくなり、私たちは大きくため息をついた。
ぐるぐると砂辺海岸や美浜アメリカンビレッジ近辺を廻っていると、私の携帯に着信が入った。
オスカーからだった。
私たちは普天間にあるオスカーの店“Luxurious house”へ急いだ。相変わらず、店があるテナントビルのエレベーターは人食いエレベーターかというくらい閉まるのが早く、戦々恐々としながらエレベーターに乗り、最上階へ。
店のドアを開けるとオスカーが出迎えてくれた。
「久しぶりネー、まいきー、サチ!」
久しぶりに会うオスカーは体型が変わっていた。
林檎のように膨らんでいた身体がすっかりスリムになっている。どうしたの?って尋ねると、「糖質制限始めたヨー。痩せるヨー。ミキもするといいサー」と言われてしまった。
無理。穀物をこよなく愛する身体の私にはそれは酷だった。
オスカーは私の表情から察してか、「炭水化物の食べ過ぎは体によくないヨー」と諭した。
客は私たちしかいなかった。広々とした店内にはオスカー自慢のオーディオ機器からはヴァン・マッコイやスピナーズといったフィリーソウルが流れる。
オスカーは大袈裟に肩をすくめ、「不景気だからネー」とぼやくと、厨房に向かい、ジャークチキンを作り始めた。
厨房からスパイスのいい匂いがする。
皿にこんもり盛られたジャークチキンを私たちは食べたのだが、私はさっきとはうって変わって、食欲が訪れ、貪るようにチキンをかっこみ、オスカーから「ミキ、慌てなくてもチキンは逃げないヨ」とたしなめられた。
しかし、全然情緒が安定しない私をみかねたオスカーは、「しばらく休むといいサー」と店のカウチで寝ることを勧めた。アイマスクを渡され、被るとオスカーが私の頭とこめかみをやんわり揉んでマッサージしてくれた。
「何かあったんだネ。ミキ、だいぶ怯えてるヨー。何があったかわからないケド。ここには君の敵はいないヨー。だからリラックスして休むといいサー」と唄うようにオスカーは囁き、音楽も甘めのバラードに変えた。
浅い眠りの中で微睡んでいると、さっちゃんが事情をオスカーにある程度話してくれたようで、オスカーの相槌と「相変わらず無茶するネー」という声が聞こえた。
しばらく休ませてもらった後、オスカーに申し訳ないのでスライスレモンを浮かべたコーラをオーダーした。
オスカーは寝起きの私の顔を見て、「だいぶ顔色よくなったヨー」と笑っていた。
なんだかさっちゃんとオスカーに申し訳なかった。
それから暫くはソフトドリンクを何杯もオーダーし、さっちゃん、オスカー、私の3人でゆんたくしたり、フィリーソウルが流れる店から見える普天間から北谷の夜景を眺めていた。
夜景は眩くて、色とりどりの光の泡が連なっているようだった。
「綺麗だね」
そう呟くさっちゃんに私は頷いた。
時計の針は12時を指していた。私たちはオスカーにお礼を言うと、店を出てコザに戻ることにした。
オスカーは外まで見送ってくれて、私たちにずっと手を振ってくれた。
私はオスカーに深く一礼した。
さっちゃんの車でコザへ戻る。しかし、週末だというのに不景気とオフリミッツの影響はかなり大きく、がらんどうで、特にゲート通りは死んだように静まり返り開いている店はほとんどなかった。
ゲート通りでさっちゃんと別れ、しばらくゲート通りとパークアベニューをうろついてみたものの人気がなく、寒々とした景色に身震いし、そして、14日の惨事がまたフラッシュバックし、私はそのまましゃがみこんだ。
静まり返ったゲート通りで、必死で音を探していた。頭の中を総動員して浮かんだのは、ジミーさんがいた頃のJETの音だった。
想い出をかき集めて頭の中で流れた“I Shot the sheriff”に合わせて呟くように唄った。端から見たら私の行動は異常だろう。けれど、この静寂には耐えられなかったからせめて口ずさむ歌でいいから、音が欲しかった。
すると、風の中から微かにギターの音が聴こえた。
それは、5年前、私の心に焼き付いて離れなかった、ジミーさんの奏でる“I Shot the sheriff”の間奏だった。
幻聴なのだろう。けれど、私にはそれがジミーさんからの慰めのように思えた。
音の余韻に浸るとフラッシュバックも収まってきた。私は寒気がしたのでハンビーナイトマーケットで買ったダッフルコートを羽織るとコザクラ荘へと戻り、胎児のように身体を丸めて眠りについた。
けれど眠りは浅く、なかなか寝付けなかった。
翌朝目を覚ますと、携帯にメールがきていた。
沖縄に移住された神戸出身のテレビ番組製作の方からである。その方(以下、久住さんとする)はローカル枠で沖縄を舞台にしたテレビドラマを製作され、しばらくは神戸と沖縄を往き来していたものの、昨年、移住された。
メールは「ミキさん、沖縄にいるんですね。良かったらランチでもどうですか?」という内容だった。
ひとりでうずくまってゲストハウスで過ごすよりとにかく動こうと思い、私は昼は久住さんとのランチ、夜は那覇はバンターハウス(現在は閉業)でMr.スティービーさんが絵本の読み聞かせライブをされるというので行くことに決めた。コザから離れたかったからだ。私はライブに参加するとスティービーさんにメールした。すぐさまスティービーさんから「ありがとう!楽しんでね」と返事が届いた。
さらに間髪入れずに、ムオリさんの友人である新垣さんから「まいきー、沖縄いるんだよね。那覇に出られる?」とメールがきた。
渡りに舟だった。直ぐに返事をした。
「今日の16時からは暇。20時からMr.スティービーのライブがあるから那覇に行くよ」と返信したところ、「ドライブしようか。あと、うまい天ぷらの店があるからそこで何かつまもう」と誘われた。
私は即決し、新垣さんに返信した。
すると、勘の鋭い新垣さんは私のメールの返信から何かを察したのか、「また何かやらかした?(笑)話を聞くよ」と絵文字混じりの返信をされた。
私はメールでは伝わりにくいかなと思い、「うん。色々あった。色々ありすぎたんだ」と返した。
暫くして新垣さんから返信がきた。
「わかった。聞くよ」と。
私は新垣さんに心から感謝した。

(オキナワンロックドリフターvol.96へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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