オキナワンロックドリフターvol.38

清正さんの髭の余韻がまだ頬と唇に残る。
痛痒いのに何故かそれか誇らしかった。
タクシーが恩納村から読谷村、嘉手納町へ進んでいくとどんどん空気が変わっていく。
ゲート通りに着いたのは午前2時前。夜更けのひやりとした空気が辺りを包む。
私はどうしても諦めきれずにJETへ駆け出した。2月に比べ、週末のコザだというのに人通りは少なく、それが寂しい気持ちにさせた。
JETの黄色い看板が見えた。嘘であって欲しい。単なる噂であって欲しい。ジミーさんはギターを弾いているはず。あの酒焼けしたブルースマンの歌声のようなギターを聴かせてくれるはず。そう思っていた。
黒い扉から微かに“I shot the sheriff”が流れている。ターキーさんがカタカナハビット混じりの発音で唄っている。もうすぐギターソロだ。ジミーさんならオリジナルのギターソロを聴かせてくれる。お願い。お願いだからあのギターソロを聴かせて。
しかし扉の向こうから流れてきた間奏はクラプトン版I shot the sheriffの見事なまでの完コピだった。
ジミーさんはもうJETにいない。
私はそれを確信し、項垂れるしかなかった。
新しいギタリストは誰なのだろう?私はノロノロと黒い扉を開けた。
ジミーさんの後任はあっぴんさんという寡黙なギタリストだった。シャツに擦りきれたジーンズという出で立ちに無造作に結わえた髪という風貌とギターテクから実直な職人気質がこぼれ匂っていたが、ジミーさんのように70年代に誘ってくれるような音の魔法はなかった。
唇を噛み締めて私は新しいJETのステージを見た。すると、人の良さそうなアメリカ兵が私に声をかけてきた。
「怖い顔してステージ見てるけれどどうしたの?」
私は返した。
「ジミーがここにいない。それがまだ信じられなくて悲しくてついこんな顔になっちゃて」
すると、アメリカ兵は顔をくしゃくしゃにし、私をハグした。
「わかるよ!ジミー凄かったよね。かっこよかったよね!俺も寂しいよ!」
さらにアメリカ兵は私にコーラをご馳走してくれた。お金を払おうとする私を制し、「ジミーが好きな仲間がいて良かった。あと、元気出して」と微笑んでくれ、私はお言葉に甘えることにし、コーラを飲みながらステージを見つめた。
ジミーさんがいなくてもJETは続いていき、ロックし続けるのだろう。
ターキーさんのただひたすら前を向いていくようなベースの音と歌声はそれを表していた。
ターキーさんの堅固な意志をステージから感じながらも、やはり寂しさは募り、スポットライトを浴びたジミーさんの丸眼鏡の奥の瞳や銀の髪を思い出していた。
アメリカ兵にお礼を言い、コーラを飲み終えると私はカウンターのドーンさんにグラスを返した。
項垂れながら私はどうしようかと悩んだ。
ゴヤマートも休業している。セブンスで呑むという気分でもない。
私は結局、何もせずに京都観光ホテルに戻ることにした。

帰り際、歩道橋を渡るときにコカ・コーラの看板がでかでかと掲げられた簡素な造りの立ち飲み屋『ジャンクボックス』の喧騒を横目で見ながら。

ホテル内の自動販売機で水を買い、頓服を口にして私は眠ることにした。

翌朝、重い眠りから目覚めたのは朝9時だった。急いで身支度をして、朝食券を使って朝御飯を食べると2泊目~3泊目までお世話になるゲストハウスへ移動だ。 今回も予算の都合により嘉間良のゲストハウスにした。
私は荷物を抱え、朝のコザの街を歩く……はずが目眩がしてしんどい。
バスを使うことにした。
ゲストハウスは2月同様、飼い犬に吠えられ、キノコカットのスタッフさんが犬を抱えて挨拶された。
2泊分のドミトリー料金を払い、女性用ドミトリーに案内された。
しかし、夏の繁忙期。ほぼ満杯で2段ベッドの上段がかろうじてあいていたので私は寝ることにしたのだが、梯子を上ろうとして足を滑らせて転倒。
災難は立て続けに起きた。
肩を痛めてうずくまっていると、見かねた外国人の女性が「私が上の段を使うわ」と申し出てくださった。
日に焼けた肌に蜂蜜色の髪が綺麗なその女性はイスラエルからきた方らしい。
ご好意に甘え、下段ベッドに移動して横たわり、私はイスラエルからきたセリアさんとゆんたくをした。
世界一周旅行の真っ只中のようで、 色んな国の話をしてくれ、私は横になりながらセリアさんの旅の話を聞いた。
特に寿司を食べに行き、エスカルゴののった寿司に挑戦したという話は楽しく、思い切り笑った。
セリアさんのおかげで少し楽になったところ、「あれ?まいきー?」と声がした。
見ると、少し髪を伸ばした長期滞在者のアキちゃんがここにいた。
「え。アキちゃん。久しぶり」
私は驚き、アキちゃんの近況を聞いた。

(オキナワンロックドリフターvol.39へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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