ロンサム・マリーン 戦士を送る街角
次に紹介するのは、南城秀夫さん著「ロンサム・マリーン 戦士を送る街角」です。
舞台はイラク戦争時のコザの街。
北谷のアメリカンビレッジややうるまのショッピングセンターに客を取られ、閑散とした追い討ちをかけるように9.11からすっかり客足が途絶えて閉塞感に満ちていく00年代中盤のコザ。
モンタナの田舎育ちの純朴な女海兵隊員バービーと、難聴というハンデのもどかしさをコザのライブハウスに入り浸り、ロックを好むことで解消する美しい女子高生順子の束の間の友情が、順子の通う高校の英語教師、シロウの視点で描かれています。
池澤夏樹さんの「カデナ」が夏に相応しい小説なら、南城さんの「戦士を送る街角」は冬の風の冷たさを肌に感じる晩秋に相応しい小説です。
ちょうど、私が沖縄に通いだした年の物語ということもあり、ミュージックタウン再開発前夜の、今はないコザの街の風景が鮮やかに浮かび、同時にがらんどうな一番街やパルミラ通りを歩くときの心許なさ、ゴヤ市場の鮮魚、輸入菓子、肉、惣菜の匂いが混ざりあった雑多な空気がちりりと切なく思い出されます。
シロウが出会う、若き女性海兵隊員のマージとバービーのバックグラウンドも今のアメリカの田舎の行き場のないどん詰まり感の現れのようです。 ホームレスだらけの街でようやくありつけるのはJCペニーのレジ打ち。そんな環境から出たいがために兵士になったマージ。故郷は大好きだけれど、大学に入って先生になりたい。その夢の資金のために兵士になったバービー。いささか饒舌すぎる南城さんの文体で描かれる彼女たちとコザで出会ったニキビだらけのナードな容貌なアメリカ兵、純朴な笑顔をしてNo doubtのDon't speakをカラオケバーで唄っていた女性兵士の顔が重なっていきます。顔ははっきり覚えているのに名前を聞かずに別れた彼らのその後をふと案じてしまうのです。
ページを読み進めると、バービーとマージも、私がコザで出会った兵士たちのようにイラクへ派遣されます。シロウに夢を語るバービーのまっすぐさがずんと重くのし掛かります。
そして、順子の大学受験不合格とバービーの前線配置決定からふたりの距離が近づき、人種、言葉、障害の有無、バックグラウンドの貧富の垣根を越えて、束の間の、しかし、固い友情が芽生えていくくだりは眩しい程に美しく、そして張り裂けそうなくらいつらいです。友情のしるしのようにハイビスカスを髪にさして微笑みあう二人はさぞ目を細める可愛らしさだったろうなと物語の中だというのに思い、バービーと順子がリアルに存在するかのように彼女らの顔を思い浮かべてしまうのです。
また、南城さんは今のコザの街に失意を強く感じているのでしょう、ゲート通りのアメリカ人相手のライブハウスやバーを営む人々のダブスタっぷりを退役アメリカ兵でライブハウスを営むマーフィー(マーフィーズプレイスという店名からしてアルズプレイスを営んでいたアルさんがモデル?)の口を借りて語っており、はらはらしつつも小さくガッツポーズしまいます。
そして、バービーたちが前線へ向かってから、コザの街とシロウにも変化が訪れてきました。シロウは無気力となり、コザの街にだんだんと嫌気がさしはじめます。コザの街は沖国大ヘリ墜落事件の煽りからさらに閉塞感を漂わせ、そんな最中にシロウにぶっきらぼうながら親切だったアメリカ人ベーシストのテディベアが海難事故でこの世を去り、ますますシロウの心に冷たい風が吹きすさびます。那覇への転勤からシロウはしばらくコザと距離をおき、バービーたちを案じながらも日々の生活に追われていきます。
終章はイラク戦争の残した傷、ミュージックタウン再開発のその後を知る我々には暗澹たる未来しか見えないのがやりきれなくなります。順子がシロウに送ったメールでコザの街を案じるくだりがありますが、今のミュージックタウンを順子はどう思うのかと心配すらしてしまいます。「ほら見たことか」と舌打ちするのでしょうか。それとも諦めの混じったため息をもらし、消えていった街並みを思い出すのでしょうか。
そして、バービーのその後。仲間の兵士に乱暴されたトラウマを抱えたバービーは、それでも自分の夢のために前線へ向かったものの、戦場の惨状、疑心暗鬼になっていく仲間たち、そしてトラウマのフラッシュバックから心を病んでしまい、保護施設に収容されます。それをバービーの母親からの手紙で知らされ、シロウは愕然とします。しかし、病んでもなお、沖縄での想い出だけは穏やかなやさしいものとして認識されているバービーに希望を感じ、彼女の無事を願い、信じるシロウのモノローグで物語は終わります。
通い始めた沖縄に浮かれて、見るものすべてが輝いて見えて、必死で網膜に焼き付けていたコザの風景、同時にひしひしと感じていた街の機能不全さ、グッドタイムス、キーストーン、JET、セブンスで見かけたいろんなアメリカ兵、一瞬ではあるものの一緒にカラオケで歌ったり、スクリュードライバーを飲んで笑いあった素朴な、名前を聞けずじまいだった若いアメリカ兵たち。
海の向こうで出会った元アメリカ陸軍兵の気さくな友達、イラク戦争の功罪を追うドキュメンタリーを見て、「俺たちのせいなのかよ!」と肩を震わせて泣いたその友達の涙。
そんな想い出が一気に溢れてきて、気持ちを整理するのもいっぱいいっぱいになりながら本を読み終え、この文章を書いています。
文責・コサイミキ