オキナワンロックドリフターvol.50

ジミーさんの死が信じられず、呆然としながら城間家に電話をかけた。
電話には俊雄さんが出た。
ジミーさんの訃報を話すと、俊雄さんはこの後すぐにジミーさんの通夜に行くという。
「ジミーに、伝えたいことあるんでしょ。俺があいつに伝えておくよ」
察しがいいな。俊雄さんは。と、思いながら私は「向こうでギターを弾き続けてください。そして、お酒をそこそこ楽しんでください」と、俊雄さんにメッセージを託した。
俊雄さんは言葉を詰まらせ、涙声でぽつんと呟かれた。

「ジミーはね。ずっと仲良しだったんだ。幼なじみでね。兄弟のようだったんだ」 と。
ジミーさんも城間兄弟もフィリピン系のハーフだ。同じルーツということで、長く、そして血よりも濃い絆があったのだろう。俊雄さんの区切るような呟きが それを如実に物語っていた。
悲しみが滲んでいる俊雄さんの呟きを聞き、「お悔やみ申し上げます」としか言えない私が歯がゆかった。
電話を切ると間髪いれずに着信があった。着信音はWHAM!の“Club Tropicana”。清正さん専用にしている着信だった。
この季節とこの状況に不似合いだなあと自分の選曲センスのなさに苦笑いしながら電話に出ると、清正さんから「まいきー、もしかしたら知っているかもしれないけれど昨日ジミーが亡くなった。おいちゃんは明日ジミーの葬式に出るけれど、ジミーに言いたいこととかある?」と問われた。
俊雄さんにメッセージを託したことは言わないでおいた。清正さんには「いつか向こうでジミーさんのCool catsを聞かせてくださいねとジミーさんに伝えてください」と託した。
2人のオキナワンロッカーにジミーさんへの伝言を託し、私は虚脱感から長い間自分の部屋で座り込んでいた。
ふと、去年のテルさんとの電話を思い出した。
テルさんは無邪気なくらいにジミーさんの復活を信じていた。入退院を繰り返していたけれど不死鳥のように甦っていたジミーさんの帰りを信じていた。
テルさんは既に沖縄ロック好きの情報網でジミーさんの訃報を知っているだろう。どんな言葉をかけたらいいのか。
恐る恐るテルさんに電話をすると、テルさんは泣いていた。まるで旧友や家族を失ったかのように、聞いているこちらの心も引き裂かれそうな声でテルさんは声をあげて泣いていた。
なのに私は何故涙が出ないのだろう。他の人たちに比べて付き合いが短いから?私の心が冷たいから?
いつもの小粋なテルさんと思えないほど泣きじゃくるテルさんの声を電話越しで聞きながら、何故私は泣けないのかわからなかった。
私は泣くテルさんに気休めのような言葉しかかけられなかった。
翌日、葬儀がコザの葬祭場で行われることをコザに移住されているブロガーさんの記事で知り、同時に私は初めてジミーさんがクリスチャンであることを知った。花に囲まれてジミーさんは穏やかな眠りについているのだろうか。
その日は仕事があるのでどう足掻いてもコザに行けないので、私はひたすらジミーさんが向こうで笑っていますようにと仕事の棚卸しで一人で在庫チェックをする時や休憩時間に祈るしかなかった。
心ここにあらずな私を上司が心配したが、私は作り笑いをして誤魔化して1日を過ごした。
仕事が終わると、チビさんのマネージャーさんから葬儀の様子がメールで報告された。
携帯からヤフーでジミー宜野座で検索すると、ジミーさんと親しい人たちがホームページやブログでジミーさんの想い出を綴られていた。
イハさんは沖縄タイムスに掲載されたジミーさんの訃報と死亡広告を写メールにて送付してくださった。
チビさんのマネージャーさんやジミーさんのご友人のブログによると、葬儀はジミーさんがよくJETで演奏していた曲がセレクトされ、参列者はさながらオキナワンロッカー大集合といった面々だったという。そして、ジミーさんと親しかったブロガーさんにより、ジミーさんの四十九日兼お別れの会がセブンスヘブンコザにて行われると知り、私はそのブログ記事のリンクをテルさん宛てのメールに送信した。
塞いでいた感情が決壊したのは、帰りの電車の中だった。その日の夕焼けはジミーさんと最期に会った日とよく似ていた。そして、私の座る座席の向かい側に、ジミーさんがちょこんと座る幻を見た。ジミーさんは私に気づくと柔らかな笑顔を浮かべ、静かに消えていった。
家に着いた途端に悲しみ、喪失感、虚脱感、寂しさが荒波のように押し寄せた。どうして、ジミーさんを連れていったんだろう?ジミーさんのギターをもっと聴いていたかった。ジミーさんの人懐っこい笑顔が見たかった。もっとジミーさんと話がしたかった。なんで?なんで?
私は一晩中、叫ぶように泣いた。
その日の朝はぼんやりした頭と腫れた瞼をして出勤した。始発電車を待っていると、一羽の雀が私に近づいてきた。その雀はぴょこぴょこ近づき、私の膝にとまると飛び立っていった。
人は亡くなると、飛ぶ生き物に姿を変えてさよならを伝えに行くという話をどこかで聞いた。
一笑に付されるかもしれないが、私にはそれが雀に姿を変えたジミーさんからの別れの挨拶のように思えてならなかった。
私は無意識に手を振り、空に向かい、どんどん遠ざかる雀に呟いた。

「またね。ジミーさん」

さよならは言いたくないから、またねと呟いた。


(オキナワンロックドリフターvol.51へ続く……)

文責・コサイミキ

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