22年ぶりのバッファロー'66
貪るように映画を観ていた時期がある。1999年。夢を潰されて働かなければならなかった環境への鬱屈を抱えた私には映画は数少ない拠り所だった。
特にヴィンセント・ギャロ主演・監督の『バッファロー'66』はロングラン上映が決まると休みの日に繰り返し繰り返し観に行った。
そして、この映画がリバイバル上映されると知り、昨年の春に大学時代の友達を連れて再び観に行くことにした。
ストーリーは、無謀な賭けをして大敗し、その借金のカタに人の罪を肩代わりし、5年服役していたダメ男、ビリー・ブラウン。彼は親への見栄から嘘をつき、これから妻を連れて家に寄るなんて始末。
仕方ないので偶然トイレを借りに入り込んだダンス教室で出くわした豆タンクみたいな女の子・レイラを拐って彼女を脅しつつ「妻のフリをしてくれ」と懇願する。最初は呆れと哀れみから従うレイラ。しかし、ビリーの過去や不器用な優しさを知るうちに……という拉致から始まる奇妙なラブストーリー。
この映画に夢中になり、サントラやDVDを買い、ひたすら観まくったものの、2003年に公開されたギャロ主演・監督作の『ブラウンバニー』という映画のあまりのあんまりさに距離をおき、しばらく『バッファロー'66』を見ることがなかった。
さて、22年ぶりに観る想い出の映画はどんなものか?
感想・久しぶりに観ると色々ツッコミ入れてしまいたくなる衝動に。ビリーの人格形成の歪みの元凶であろう両親とのやり取りのシーンは今観るといささか冗長。しかし、チョコレートアレルギーなのに母親に放置されて危うく死にかけたり、愛犬を父親の癇癪により殺された幼い頃のビリーの悲しみにやっぱり当時のように思いを馳せてしまう。あと、ビリーの親父役のベン・ギャザラが露骨にレイラ役のクリスティーナ・リッチを触りまくり、クリスティーナが役を忘れてベン・ギャザラを軽く突き飛ばしていて笑いが。まあ、でも失言覚悟で書くけどあの頃のクリスティーナ。出来立ての餅みたいにあったかくて柔らかそうだし触りたくなるよね。
そんな殺伐として家族の再会シーンに疲れた時に、いいタイミングでビリーが唯一輝けた場所、地元の寂れたボウリング場に寄るシーンはほっとする。『ビッグウェンズデー』や『エアーウルフ』でスターになるもアルコールで身を持ち崩してそれまでの地位を失い、この映画でのボウリング場の経営者役で最後の淡い光を放っているジャン・マイケル・ビンセントが実にいいキャラでビリーがあの家庭にいてもギリギリ優しさを忘れずにいたのはこのボウリング場でのささやかな幸せがあるからなのしれないなと想像できる。
そして、映画の予告編にも使われたレイラがキングクリムゾンの『ムーンチャイルド』に合わせて気だるく踊るシーンの浮世離れした雰囲気は、フェイク金髪にスリップドレスに薄いカーディガン、白いタイツに銀のタップシューズという出で立ちと相まって、レイラがまるでビリーのために現れた妖精に見える程美しい。踊るレイラに「踊るんじゃねえ!」とツッコミ入れるビリーに苦笑いしたけれど。
そして、寒いからココアを飲みたいというレイラのリクエストで入ったファミレスでビリーとレイラはビリーの初恋の人ウェンディとその婚約者に遭遇。ビリーをあからさまにバカにして「家の前をうろついていたキモい男だった」と婚約者に紹介するウェンディのクソ女っぷりときたら!ロザンナ・アークェットはよくこんな役を引き受けたなと思う程。
その分、レイラのビリーを労る気持ちが温かくて一瞬「レイラ、ストックホルム症候群になってない?」という考えが過るものの、ビリーにレイラが寄り添ってくれてよかったなあとしんみりする。
なのに、ビリーは無謀な賭けの負けの要因を作った男への復讐をしようとする。その復讐は明らかな逆恨み。なのにビリーはそれをやろうとする。
その復讐を果たそうとする前のビリーとそれを察知するレイラのやりとりが、まるで弱った動物が体を寄せあい暖をとるかのようで胸が痛くなる。
結局、すったもんだの末に馬鹿げた復讐をやめてモーテルでひとり待つレイラのもとに帰る気になったビリー。
モーテルに帰る前に寄ったドーナッツ屋でレイラのためにココアとハート型のクッキーを買い、たまたま居合わせた客の分まで気前よくクッキーを買うビリーの足取りの軽さとエンディングで流れるYesの"Sweetness"にほっとして少し泣いてしまうのは22年前と一緒だった。
今観ると90年代の尖ったオサレ映像メソッドなそのカメラワークや古いフィルムを使う撮影の仕方は古くさいし、気恥ずかしい。けれど、エンディングを見てじんわり満ちていく柔らかな多幸感には今観ても救われていくし、ビリーとレイラが小さな幸せを積み上げて末永く一緒にいてくれたらなあと淡い夢想に浸ってしまう。
(文責・コサイミキ)