時間は未来から過去へと流れている。

時間は過去から未来へと流れている。
現代ではほとんどの人がそう認識しています。
しかし、アビダルマ仏教では、「時間は未来から過去へと流れている。」とされているそうです。
面白いですね。

これをどう解釈したものか?と考えていましたが、しっくりくる解釈としては、未来が「過去の意味づけ」を変える。ということです。

たとえば、僕は先週、急な仕事を任され、少し残業をしました。
「ついてないな。」と思いました。
でも、その帰り、いつも乗っていた電車が故障して停止し、ダイヤが相当遅れたそうです。
そのとき、僕は「残業してラッキーだったかも」と思いました。
つまり、過去の「意味づけ」が変わったんですね。

現在の状況から考えると、過去のあの体験はこういう意味があったのかもしれない。
良い未来から逆算すると、今の僕の行動はどういう意味があるのだろうか?
望む未来からしたら、いまの行動は正しいのだろうか?

そんな問いを考えされてくれるのがアビダルマ仏教の時間の話でした。

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