”Social Mirai Design”「激変する時代の未来デザイン」(第5回)
今回の講義は、アソシエーションデザインディレクター/株式会社まちづクリエイティブ代表取締役の寺井元一さんでした。
アートやスポーツの支援事業を公共空間で実現したり、千葉県松戸市にクリエイティブ層を誘致する「MAD Cityプロジェクト」に取り組むなど、地方での魅力あるエリアの創出に挑んでいる方です。
自分として興味を持った点を5つにまとめてみました。
1)コミュニティとアソシエーション
「コミュニティ」は社会集団の単位といわれるのに対し、「アソシエーション」は、「同じ目的で集まった人々の集団やつながり」といわれます。アソシエーションはコミュニティと違い、開放的で出入りも自由です。
例えば、学校のクラスは「コミュニティ」、友達とつくるバンドグループは「アソシエーション」です。
コミュニティは閉鎖的であり、フリーライドを許さない風潮があります。これが悪いのではなく、歴史的に昔はコミュニティしか存在しなかったんですね。
寺井さんが「コミュニティに入るには過去に戻るしかないのかも。」と言われるように、歴史的・時間的に形成されたコミュニティに全く同じレベルで「入る」「溶け込む」ことは難しいのかもしれません。(仲良くすることはできる。)
これを無理やりどうにかするのではなく、過去は過去として、これからのまちは自分たちでつくっていくという取組みにおいては、「アソシエーション」の考え方に立った方が気楽ですし、クリエイティブなことができそうです。
もちろんそのまちの歴史的なものを踏まえつつ、「このまちは、こういうまちになれるんじゃないか?」と"宣言"してしまい、その目的に賛同する人達が取組みを進めていくのもいいですね。
2)まちづくりと住むところ別でいい
「アソシエーション」的な考え方でまちづくりを進めるのであれば、必ずしもそのまちに住んでなくてもよい、と寺井さんは言います。
ただ、寺井さんは一時的なコンサルのような関わり方ではなく、そのまちに関わり続けています。その点で地域の人達からは「お前は出ていかないんだな。」という信頼が得られます。
住み続ける、ではなく、関わり続けるという選択肢ですね。
昔からその土地で暮らしてきた人達だからできることもありますが、逆にできないこともあると思います。
同じように、そこに住んでいないからこそできることもあります。それはアイデアだったり、コミュニティのネガティブな影響を受けない取り組みだったりします。
3)まちづくり、街づくり、町づくり
言葉の定義や使い分けを整理することは、一人ひとりのイメージのズレを整える上で重要です。
まちづくり、街づくり、町づくり、の3つはネットで画像検索すると、かなり違いがあり、ある程度の傾向を見て取れます。
コミュニティとアソシエーションもそうですね。どちらも人の集団を示してますが、意味合いは大きく異なります。
言葉の持つイメージや意味を共有することで、関わる人達の方向性を合わせることができるのなら、とても重要なことです。
4)まちづくりはPDCAではなくOODA
かつて行政が都市整備を行うような街づくりではPDCA的だったと思いますが、昨今、まちづくりとして位置付けられる取り組みに関してはやっぱりOODA(Observe(観察)、Orient(状況判断、方向づけ)、Decide(意思決定)、Act(行動))です。
なにはともあれ観察から。
その地域の人にしろ、物件にしろ、何を資源(チャンスやワクワク感)と捉えるかは個人差があるように思います。
だからこそ、歴史、社会資源、どんな人達がどう暮らしているのか?など、自分の目で見て、その地域を自分の観点で整理することが大切だと感じます。そのようなフィールドワークとして、パシャパシャと写真を撮ってまとめてみるのも面白いですね。まさにリンクワーカーの野帳~Field Note~となります。
5)「まちのため」×「じぶんのため」のバランス
まちづくりに関わろうとするとき、どうしてもボランタリーな活動になってしまいがちですが、そもそもそのまちで自分が暮らしたり楽しんだりするのであれば当然なのかもしれません。
「自分が楽しいまち」は待っていても誰かがつくってくれるわけではありませんから。
ただ、まちである限り「じぶんのため」が強すぎてもいけませんし、「まちのため」が強すぎても自分が疲弊してしまいます。このバランスを自分なりにうまく保つことが取り組みの継続のために必要ですね。
一人ひとり、自分に合うまちと合わないまちがあると思います。
合うまちを見つけるのもいいでしょうし、それを自分たちで形づくっていくというのもまた楽しいのだと思います。
まちによって人生が変わることもある、そんな言葉にも共感できました。