美しく負ける。
2018年、日本はサッカーのワールドカップロシア大会決勝トーナメントでベルギーに敗れ、初のベスト8進出を逃してしまいました。
報道では、勝敗以外の話題もありました。
日本チームの使用したロッカールームは、選手たち自身の手で試合後きれいに清掃され、ロシア語で感謝のメッセージが残されていました。
さらに、日本チームのサポーターがゴミを残さずきれいに会場を後にするという行動を取ったことなどにも注目が集まりました。
興味深いのは、ベスト中6入りが決まった時以上の賛辞がここぞとばかりに寄せられたことです。
つまり、勝敗そのものよりも「美しく振る舞うこと」の方がずっと大事だと多くの人が無意識のうちに感じていたという事ですね。
極端な言い方をすると、醜く勝ち上がるよりも美しく負けることのほうが価値がある、といえます。
またそういう意見を多くの人が自然に持ち合わせているんですね。
勝ち負け以外の何かを大切にしようとする行為はなぜ美しいと伝えられるのでしょうか?
例えば歴史上の人物で人気があって繰り返し物語として語り継がれていく人の多くは、刺激的に人生を終えた人たちです。
戦国時代なら、大阪夏の陣で破れた真田幸村、幕末なら会津の白虎隊、江戸時代なら主君の敵討ちを果たして切腹となった赤穂浪士など、このようなわかりやすい悲劇性を持った人物が人気を集めているのは事実です。
人は、このような報われない部分に美しさを感じ、肩入れしてしまう傾向があります。
美しい、美しくないという判定は、脳(前頭前野の一部、眼窩前頭皮質、内側前頭前皮質)によって行われるといわれています。
実は脳のこの部分は、社会脳と呼ばれる部分で、他者への配慮だったり、共感性だったり、利他行動など「良心」をコントロールしている部分だそうです。
つまり美しい美しくないを判定する領域と、「良心」を司る領域が同じなんですね。
なので、脳はこれらを混同しやすく、自然に人の正しい行動を美しい振る舞いと言ったり、不正を行った人を汚い奴だと表現します。
この機能も社会性を維持するために発達してきたものと考えることができます。
社会性を維持するには皆がお互いを助け合い、自分の利益よりも周りの利益を優先するという行動を促す必要があります。
このような自分を犠牲にした人を助ける利他行動を積極的に取らせるため、脳はそれを「美しさ」と誤認させるように設計されているんですね。
美しいというポジティブな感覚は、快楽物質を放出します。
個人としてではなく、種族として協力して生き延びるために、脳は快楽を餌に人間を動かしているともいえますね。
ただ、利他行動は生き物としての生存を左右する場面では柔軟にセーブされます。100%利他行動をすると自分の命が危ないですからね。
でも、スポーツなどといった生命を関係のない場面においては、行動の正しさや美しさを重視するということになります。
このような傾向は、脳の構造的に日本人に強い特性だといわれています。
冷静で合理的な選択よりも熱い気持ちで美しさを賛美したい、そんな民族なんですね。