中途半端って悪くない。
僕は全てが中途半端で、そのことがずっとコンプレックスだった。
この「中途半端」癖は高校時代に遡る。
高校で野球部に入ったのだが、練習のハードさ、同級生・先輩と関係がうまくいかずしんどくなり入って半年ぐらいで退部した。
辞める時には監督から「今後おまえは逃げる人生になるぞ」と言われた。
(厳密には覚えてないけど、そんなニュアンスのことを言われた気がする。)
その1年後ぐらいには、比較的早めに受験勉強をはじめて頑張った。電車の中では単語帳を読み、塾で授業を受けて、残って自習。でもこれも中途半端に終わることになる。高3の7月ぐらいから急に学校に行けなくなったのだ。これまでの勉強してた貯金から模試の成績はなんとか保ってたものの、時間が経つにつれて綺麗な右肩下がりのグラフを描いた。
勉強だけはまだできる方となんとか自分を保っていたが、それすらなくなり崩れていく音がした。
高校はギリギリで卒業はできたものの、志望校は全滅。なんとか受かった大学に通わせていただくことになったが、受験勉強の中途半端さが招いたことだ。
大学でも、サークル、ゼミ長、ゼミネット、などなど
それなりに挑戦はしたが全て中途半端に終わった。
僕はこの「中途半端」な自分が嫌で嫌で仕方がなかった。僕の周りはみんなすごい。一個のことを最後までやり遂げる。一個のことに熱中して全てを捧げる。
そのギャップがずっとしんどかった。
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しかし先週転機が訪れた。
バイト先の会議の中で植松努さんのTedの講演を見たのだが、ある一節に救われた。
中途半端は何もしないよりは全然いい。
できることをすればいいんです。
0か100か無意識のうちに考えていた自分にとても響いた。
そうか、何もしてなかったわけではないんだ。
確かに僕は動こうとしたし、事実頑張ったこともある。
と前向きに思えた。
本当はやり遂げた方がいいのはわかってる。
貫き通すことの大事さ、最後まで走り切る大切さもわかっている。でも中途半端もゼロではない。確かに前に進んだ証だ。
いろんなことに挑戦しようとしても中途半端だった自分を少しだけ好きになれた。