「守備オタク」 4年 鈴木来都(平塚学園高等学校)
佑馬から紹介ありました、国際社会科学部 国際社会科学科 4年の鈴木来都です。
筋力がなさ過ぎて、まだ松葉杖が無いと歩けないため、歩行という動作が非常に困難なことのように感じています。
しっかり筋肉をつけて、今まで以上に強靭な太ももをお見せしたいと思います。
タイトルは、同期で苗字が同じである創につけられたあだ名です。気に入ってはないですが、自分に合っているとは思います。内容とは関係ないです。
素晴らしい文章は書けてないと思いますが、ご容赦ください。
私はサッカー人生の4つの分岐点である小、中、高、大の内、中と大の2回は怪我のため、ピッチに立って引退することはできませんでした。(厳密にいうと大学のサッカー部は、まだ引退していません。)
中学では、引退する前の試合で相手DFと交錯して頭から落ち、試合後頭痛と吐き気に襲われ、入院しました。
大学では、2か月前に半月板を損傷し、競技復帰まで6か月かかるため、もうプレイヤーとしてチームに貢献することが出来なくなりました。
サッカーは興奮や感動を与えてくれる素晴らしいスポーツである反面、時には残酷なものであるなと感じています。それでもサッカーは、私の人生の中で欠かせないものでした。
それは、私がサッカーを通して、手に入れたものがあったからです。
一つ目は、人を褒める能力です。
私は神奈川県東部の選抜に入り、チームでは10番で、キャプテンを任されていたことから、お恥ずかしいことに、天狗になっていて、ミスする人を罵倒してしまいました。
多少実力があることを偉いことだと勘違いして、ピッチの独裁者になっていました。(小学校のチームメイトにはほんとに申し訳ない。)
しかし、そんなダメ人間を救ってくれたのがコーチと母親でした。
コーチはヤンキーのような風貌で、試合中常に怒鳴るし、サングラスかけて座っているときは、とてつもない威圧感を放っていました。
母親は面倒見の良い人で、常に自分のことを気にかけてくれます。
そんな恐ろしい人と母親に散々叱られたにも関わらず、当時の私は、自分の間違いを気付くことが出来ませんでした。
それでも小学生の間叱り続けてもらったおかげで、中学で初めて人を罵倒するのではなく、褒めることが出来るようになりました。(コーチと母親には感謝しかありません。)
もう一つは仲間です。
サッカーを通じて、私にはたくさんの仲間が出来ました。自チームだけでなく、選抜やサッカースクールでたくさんの人と出会いました。
小学校でサッカースクールが一緒だった人と高校の部活で再会したり、
違うサッカースクールで出会った人と大学の学部が一緒になったりと、
サッカーでの繋がりがいろんな偶然を引き起こしました。
そんな色んな出会いの中でも、今の同期に一番思い入れがあります。
全員クセが強く、それぞれ大きな個性を持っていますが、お互いを尊重し、信頼関係が築けていて、まとまりがあるので、仲が良いと周りから言われるのだと思います。
そんな同期を持てて幸せです。
サッカーをしていなければ、出会えなかったはずのみんなに巡り会えて良かったと思います。
人によって何を得るか、感じ取るかは違うと思いますが、サッカーはいろんなものを与えてくれます。
私の場合は、自分の過ちと仲間の大切さを教えてくれました。
小学校一年でサッカーというスポーツを選択したことは、間違いではなかったし、今まで続けてきてよかったと思います。
出会った仲間を大切にし、これからの人生を過ごしていきたいです。
最後に学費等を払ってもらった父親と毎日おにぎりを作ってくれた、そして、入院中お世話をしてくれた母親には感謝しています。(入院中お見舞いに来てくれた人もありがとう。)
読んでいただきありがとうございました。
次は、同期全員に性癖がばれた、童顔なのに声が低すぎるギャップの持ち主、鬼塚洸太君です。お楽しみに。