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『一生懸命』 4年 水上真(國學院久我山高等学校)

この度、部員ブログを担当させて頂くことになりました、国際社会科学部 国際社会科学科 4年の水上 真です。

実は書きたいことがたくさんあって下書きを2つも書いてしまったのですが、片方が昨日の担当だった優太のブログとほぼ同じ内容だったのでこっちにしました。
自分語りではありますがよろしくお願いします。

僕のサッカー人生のピークは13歳でした。
小学校の時から周りより身体の成長が早くて、フィジカルには絶対の自信を持っていました。

小6で県選抜に選ばれて、一緒にやっていたチームメイトからは何人もプロが出ました。
中1の時にはJリーグ選抜にも呼ばれて、韓国遠征に行きました。

だけど、中2から身長が伸びなくなって、フィジカルも周りに追いつかれて、自分の思うようにプレーができなくなります。

そこから僕のサッカー人生は下り坂で、少年団のコーチに言われた「フィジカルに頼ると将来通用しなくなるぞ」という言葉が今でも呪いのようにつきまとっています。

そんな中でも僕がこの16年間のサッカー人生でずっと大事にしてきた言葉が、『一生懸命』です。
これも少年団で学んだことで、同期全員に配られた、背中に『一生懸命』とドデカく書かれたTシャツがきっかけです。

どんな状況でもめげずに頑張ること、そうすればきっと何かいいことがあります。
それは自分が一番求めていた結果ではないかもしれないけれど、途中で諦めていたら決して叶わなかった結果です。


中3の高円宮杯予選。
僕たちがチームで戦う最後の大会でした。

1-1で迎えた後半残り15分、ずっと2年生にスタメンを奪われて控えだった僕を監督は試合に出してくれました。
その試合で自分が決勝点をアシストすることができて、試合には勝ちました。

その日の夜、宿のエレベーターで監督と2人になった時に「一生懸命まじめに頑張ってきたからだぞ」と言ってもらって泣きそうになった記憶を今でも鮮明に憶えています。

正直あの試合に自分が出れるとは全く思っていなくて、すごく緊張しました。
でも監督はとても熱い人で、僕のチームへの想いを信じて試合に出してくれたんだと思います。

結果的には全国への切符をかけた試合で負けてしまって全国大会へは出られませんでしたが、この思い出はかけがえのないものだし、ユースへ上がったみんなが日本一を取ってくれたので思い残すことは何もありません。


そして高校では、今までフィジカル頼りだったことを反省して技術志向の國學院久我山に進学しました。

周りは本当に上手い選手ばかりで、ただ技術があるだけではなく、守備もうまいし判断力もある。

僕はサイドバックが本職だったけれど、中盤の選手に次々とポジションを奪われ、それ以降ほとんどAチームには関われませんでした。

本当に悔しかったし、自分が情けなかった。
それでも一生懸命サッカーを続けて、当時Bチームが所属していたT3(東京都3部リーグ)のキャプテンとして、チームを昇格させることができました。

周りからは冗談で「昇格請負人」なんて言われていましたが、素直に嬉しかったです。

一緒に学習院に来た直央(当時の久我山のキャプテン)からBチーム用に青いキャプテンマークを託されました。
右サイドバックのスタメンとして全国準優勝した彼へのせめてもの意地みたいなものですが、昇格させられて本当に良かったです。


このふたつのエピソードは、僕がサッカーを続けてきたことの証明であり、誇りです。

途中で投げ出していたらこの思い出はなかっただろうし、きっと後悔していました。

いつでも一生懸命に頑張ることで、どんな小さな結果でも、自分に誇れる結果になります。

今、学習院大学でサッカーをしていて、自分自身これまで以上に苦しいサッカー生活です。
スタメンはおろか練習試合も一番下のカテゴリーで、満足いく結果が出ず、正直楽しくないことの方が多い。
なぜ上手くいかないのかわからず、イライラが募る日々。

いくら悩んでウジウジしたところであと少しで大学サッカーは終わってしまって、このままだと絶対に後悔が残ります。

今回部員ブログという形で書かせていただいて、(自分のことばかりで読んでも面白くなかったかもしれませんが、)昔の気持ちを思い出すことができました。

残り短いサッカー部での生活を、一生懸命、できる限り悔いのないものにしたいと思います。

自分のために書いたような文章になってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。


次は我らが学習院サッカー部の首領(ドン)こと、マネージャーの紗菜です!!
普段はなかなか話さないマネージャーの秘めた想いを綴ってくれるかもしれないのでお楽しみに!

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