見出し画像

弱い自分との決別 4年 石川惠悟(学習院高等科)

こんばんは。六本木の女帝兼皆んなのマネージャー紗菜からバトンを引き継ぎました。がくしゅの動く黒歴史動画製造マシーンこと石川惠悟(学習院高等科/GK/#61)です。同期全員、自分の頭おかしい動画、携帯内に残ってるはず。一家に一台石川惠悟ですね笑、話飛びますけど紗菜のミッキーの件、完全に忘却しておりました。ありがとう笑笑。

さて茶番はここまでにして、ブログに入りましょう。はっきり言って、これから書くブログの内容は、共感できない人にはとことん共感されないし、こいつ何言ってんのかよく分からないってなるかもしれないです。それでも僕のありのままの思いを書き記してみたので、皆さま温かい目でお読みになってください。よろしくお願いします🤲


いやー、大学サッカーもあと1ヶ月か。なんだろう、楽しかったけど、辛かった笑、3年、4年と一部リーグの舞台に立たせてもらった。自分よりもワンランクもツーランクも上手い人たちと一緒にプレー出来るのは、とても嬉しかったし、楽しかったし、サッカーを何も知らなかった自分にとってめちゃくちゃ勉強になった。

でも、その分てか、それ以上にその上手い人たちとやることに、そして自分が一番下手であることに大きなプレッシャーを感じていた。チームに迷惑をかけたくない一心で頑張っていたけど、迷惑をかけたくない!かけたくないと思えば思うほど、自分のプレーは萎縮して行って、どんどんミスる。自滅する。

そう、去年のリーグ戦。

先輩GKが教育実習の中、出番が回ってきた。先輩に劣らないよう死ぬ気で頑張った。序盤は良かった。二試合連続無失点。でもそこからチームは一向に勝てなくなった。自分が出せる120%の力を出しても失点が止まらない。10試合チームが勝てなかった時は地獄だった。「1試合3失点キーパー」とか、「枠内シュート全部入る」とか、「キック下手すぎてまじで使えない」とか色々言われた笑、全く余裕なんかなく、冗談として流せるようなメンタリティじゃなかった。もともと自信なかったのにさらに自信無くなっていくし、ますます萎縮して行った。
「何で自分が試合に出てるの?」と自己嫌悪に陥っていた。試合が怖かった。出たくなかった。全然楽しくなかった。また何か言われるんじゃないかとか、チームに迷惑かけるんじゃないかとか。うん、思い出すだけでも辛い、サッカーってこんな楽しくなかったっけ?って笑笑

しかもキーパーのプレーのミス?を「あれは難しい判断だね」とか「あれは仕方ないよ」とかGK同士で話していると、「傷の舐め合いはやめろ」とか言われる。違う違う、そうじゃないって、、笑

結局残留のかかったラスト三連戦のうち成蹊と東経の試合に出た。まあ、言うまでもなく、クソパフォーマンス。エリア外でハンドするわ、東経戦では、あの「魔のグラウンド」(東経のグラウンドのこと。あそこに行くと途端にゴールキックが一切蹴れなくなる。足が震えてくる。一過性の精神疾患に陥るのでこう呼んでいる)で自分のプレーの鎖が全て破壊されていた。ピッチで足の震えが止まらなかった。もう無理だってハーフタイムに思って、幹部に交代を要求した。(もちろんそんな要求なんか通るわけがない)部活を代表して試合に出ている者として、責任感の欠片もない最低な出来事で、試合後、幹部に物凄い怒られた記憶がある。でもそれだけもう、追い込まれていた。一番下手なのにチームに迷惑をかけまくり、皆の落胆とか苛立ちを見て、心が完全に折れていた。案の定、最後の明治学院戦はベンチ。心底ホッとした。勝利しか残留はない異様な空気に自分の心が耐えられるわけがなかった。

奇跡的な勝利。めちゃくちゃ嬉しかったけど、心に空いた穴はほとんど塞がらなかった。こうして初めてのリーグ戦は幕を閉じた。いざ試合に出てみて痛感した理想と現実との大きすぎるギャップ。人生で一、二を争うくらい精神的に辛かった。(病みすぎてツイッターのアカウント新しく作ってそこに永遠と愚痴とか嘆きを書いてた、140字しか書けないのに。。もちろん誰もフォローしてない。ごくわずかな人にしか知られてなかったと思われる事実)

そして月日は過ぎ、四年生としてラストのリーグ戦、心にぽっかり空いた穴は一個上の先輩GKひでさんであったり、同期とお酒をたくさん飲めたおかげでほぼ塞がっていた笑笑。(みんなありがとう!!)
だが、試合だけは相変わらず怖かった。二節の帝京戦、ラストワンプレーのところで自分がハイボールを処理できずに最後同点にされた。また迷惑をかけた、と落ち込んでいた。また去年の二の舞かと思いながら大東戦に向けて準備をしていたある日、ふと思い立ったように本屋さんへ行った。沢山の本が並ぶ中、私は心理学のコーナーへ行っていた。メンタルとか自信のなさは自分でも認知していたので、自ずとそこへ行ったのだと思う。そこで出会ったのが、岸見一郎 古賀史健著「嫌われる勇気」と言う心理学者アドラーの教えを説いた本であった。

メンタルの弱い自分、自己啓発本、刺さる刺さる笑笑。大東戦の前日、ものの2時間ちょっとで全て読みきっていた。
そして、その中のワンフレーズに私は心を動かされた。

「他者の期待など満たす必要はない。例えば、仕事の主眼が他者の期待を満たすことになれば、いつも他者からの視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけだから」

まさにサッカーしてる時の自分じゃんと。

周りに迷惑かけないようにとか、周りからの評価や批評を気にして自信のないプレーになったり。落胆や苛立ちに過剰に反応してしまう。

でもこれだけでは納得行かなかった。チームスポーツであるサッカーにおいて、
「じゃあ、自己中心的に振舞ってもいいってことか?」
と思った。
その後読み進めて行くと新しいフレーズが出てきた。

「自分の選んだ選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにも出来ない話です。」

そうか、他人からの評価は、自分自身では確かに変えられない。それを無理に変えようとして、頑張るけど、変わらない。そんな現状に私は勝手に苦しんでいたのだと知った。(うん?分かりづらい🤔笑)
自分のしたプレーについてチームメイトがどのような評価を下すのか。どう思うか。これはチームメイトの課題であって、自分ではどうすることも出来ないのだと。(哲学みたい🙄)

これを読んだ後、周囲の目や声はどうでも良いことが分かり、スッと心が軽くなった。

そんなこんなで翌日、公式戦があったわけだが、自分は後半開始早々、大きなミスを犯してしまった。なんの変哲も無い正面付近のシュートを足で止めに行ってゴールを許してしまった。とてつもない負の雰囲気が流れたのを覚えている。去年や一昨年までの自分、本を読んでいない自分であったら、大きな動揺を覚え、うろたえ、自滅して行ったと思う。だが、今回は動揺はしたものの、周りからの批判や視線を全く気にすることはなかった。自分の課題(次からのプレーを死ぬ気でやること)だけ考えていた。おかげでその後のプレーも崩れることはなかった。(ゴールキック以外笑)。大きなミスはあったものの、去年や一昨年の弱い自分を払拭できた試合になった。仲間のためにサッカーをやるのではなく自分のためにサッカーをやる。
それこそが仲間への貢献に繋がる。そう気づいた瞬間だった。

それ以来現在まで、他者の期待を満たそうとしないこと、他人にどう思われようと自分の選んだ選択に集中することを出来る限り遂行してきた。気付けば自分に対する何の意味もない評価(抽象的で何も的を得ていない愚痴や批判)を超適当に「あーたしかにー」とか愛想笑いで受け流している自分がいた。果たしてこれが正解なのかどうかは分からないが、自分の一年の頃からの課題「弱いメンタル」を改善させることが出来たのであった。

まあ、こんな感じで自分語りをダラダラと長く書いてしまい、申し訳ないと思っています。この文章は特に後輩に何かを残したいとか、読み手に感動を与えられる文章でもないけれど、現在同じ境遇で悩んでいる人や、これから先、自分と同じような悩みを抱いた時に少しでもこのブログが役立てばと思います。拙い文章でしたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

さて、お次は僕がある意味尊敬している#47福田遼太君です。皆につまらないと馬鹿にされる一発芸を永遠とやり続けられるあの逞しい精神力。豆腐メンタルな僕、尊敬してます。
小学生の頃、物語の文章の受賞歴があるらしいです。きっと素敵な文章を書いてくれるでしょう。乞うご期待!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?