政治に期待すること
政治の話をしてみたいと思います。
目下、日本国は政治のシーズン(のはず)です。
7月21日は参院選の投票日なのだから。
直截に言って、ぼくは政治に期待をしていません。
厭世的な気分で言っているのではありません。政治に期待しても無駄なことにしかならないと考えているから。構造的に。現代社会というものは。
要するに、アナーキスト。だもので、しばらく選挙というイベントには参加していません。
けれど今回は参加してみたいと思っています。期待がもてる政党が出現したから。
というわけで、れいわ新選組に期待することを書き綴ってみます。
アナーキストの愚慫がれいわ新選組に期待する理由。
掲げる政策に共感・期待が持てるから?
否。
政策になんか、これっぽっちも期待していません。そもそも期待するということはアナーキストではないということ。
では、政党に政策を期待しないで、いったい何を期待するのか? このおふたりが「特定枠」にいるから。
つまりは福祉政策?
いえ、だから、政策ではありません。
このおふたりは、政治を「Jam」するための尖兵だとぼくは見る。それがれいわ新選組に期待する理由です。
では、「Jam」とはなにか?
これです。
たとえば中央線です。
ぼくは山梨在住で、たまに東京へ出かけます。料金から高速バスを選択することが多いのですけれど、諸々の事情で電車を利用することも結構、多い。そうなると利用することになるのが中央線。たいていは時間的な理由です。
ところがこの中央線。運が悪いと予定していた時間に間に合わないことがあります。時間を理由に割高な方を選択したのに、それが徒になることがわりとしばしばある。人身事故が多いから。
中央線のどこかしらで人身事故が発生し、予定していたように事態が進行しなくなる。これが「Jam」という状態です。
なんだ、「Jam」とは不愉快なことではないか? なぜ、不愉快なことに期待をするのか?
人身事故だということは、おそらく誰かが死んでいるわけです。見ず知らずの誰かが。見ず知らずなので、ぼくたちは予定通りにいかないと不機嫌になることができる。
しかし、もし万々が一、死んだのが知り合いだったらどうか? そんな悲劇に巡り遭ったなら、ほとんどの人は「Jam」されたといって不機嫌になった自分自身を後悔することでしょう。人間は身勝手なものですから。
俯瞰して見てみましょう。「Jam」という状況は、ごく一握りの人が悲観に暮れ、大多数の者は不機嫌になっているという状態です。
知り合いが死んだといって悲しむのはよくわかる。同時に、見ず知らずの人間のせいで自分の予定を狂わされる不愉快もわかる。
俯瞰してみればふたつのことが同時にわかるのに、このふたつは相容れません。いえ、ほんとうは、相容れることは、ごくごく容易なことです。気持ちに余裕がさえあれば。でも、その肝心の余裕がない。
満員の通勤電車に詰め込まれた状態で余裕を持てなんて、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の境地に立てといっているようなもの。無理ゲーです。
「Jam」が互いに相容れない状態になるような状態を、マイコ―は歌にしています。
Smooth Criminal。
人間は本来、相容れることができる動物です。そうした「本来」が立ち現れるのは、たとえば、“災害ユートピア”と呼ばれるような状況になったとき。
大規模な災害が起きると、状況は「Jam」どころか「Stop」になります。そうなると、人間という生き物の「本来」が立ち現れる。
ということは、どういうことか?
「Smooth」であるということが、人間の「本来」を阻害する「Criminal」だということです。
マイコーは、不愉快が湧出する「Jam」をわざわざしてみようと歌います。なぜか? 「Criminal」が可視化されるからです。ただし「俯瞰」してみなければなりませんが。
では、「俯瞰」する対象としてもっとも適した場所はどこか?
国家の最高機関たる国会です。
そう考えれば、ふなごやすひこ・木村映子の両氏が担うことになる役割も理解ができる。つまり彼らの役割は、罵詈雑言を浴びること(!)です。
両氏の役割は、国会をSmoothに機能させることではありません。国会議員に期待されるところの有能・優秀は、かえって Smooth Criminal になる。ここは文明というものの構造上、どうしようもないことです。
両氏は期待される――あくまで Smooth Criminal になってしまう人々からの期待――有能・優秀は一見、もちあわせていないように見えます。
「見える」ことが大切なんです。実際は持ち合わせているかもしれないけれどそのように見えないことが大切だし、見えるように振る舞うことも大切。そうでないと「Jam」にならないから。
この〈逆接〉こそ、アナーキストを自称するぼくが支持する理由です。政治を「Jam」して、「Smooth Criminal」を可視化させようとする戦略。
こんなことを考えたのは、山本太郎氏ではないでしょう。このような謀略の参謀は、まず間違いなくこの人。
というのも、上述の戦略は安冨さんの著作で語られているから。
それにしても、です。
こんなことを考える策士も凄いけれど、それを実行に移そうとする意志はもっと凄いと思います。
だって、罵詈雑言を浴びるために出馬するんですよ? 比べることは品がないかもしれませんが、野次を浴びてキレて「こんなひとたち!」とか言ってしまうどこかの国の宰相閣下では、到底できない役回りです。
そして、盟主もまた立派です。
罵詈雑言を浴びる役割の者を(ふたりも!)尖兵に立てて、自らの当選は後回しにした。このことを背水の陣と言わずして、何と言うのか。
アナーキストでなくても、投票してみる価値はあると思いますが、いかがでしょう? 国会が「Jam」される様子を見てみたくはないですか?
罵詈雑言を浴びる覚悟の人を応援したくないですか?