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論語と愛着理論

ヘッダー画像の左は孔子。論語の語り手。
右はジョン・ボウルビィ。愛着理論の提唱者。

論語と愛着理論は似ています。似ているどころか、同じことを語っているのだと思います。異なるのは時代と地域に伴う語り口にすぎない。

――ぼくの勝手な理解ですが。


論語は中国の社会と倫理の体系であるところの儒教の重要経典で、その中心概念は「仁」という言葉で指し示します。

ところがこの仁がよくわからない。
論語でも仁は明確に定義されていません。「不仁でないことが仁である」くらいのことしか書かれていない――というのは不正確だけれど、当たらずとも遠からず。


「仁」という状態は、愛着理論でいうところの安定型愛着スタイル


たとえば上掲書です。安定型愛着スタイルについて説明がなされています。一応。見開き1ベージ(p.210~211)。たったの、です。

他の「回避型」、「不安型」、「恐れ・回避型」については当てはまるであろう人物を紹介しつつ、説明に多くのページが費やされているのに。目指すべきは安定型であることは明白なのに、そのイメージ(特徴)が語られていません。

語りようがないから、でしょう。「当たり前のことが当たり前にできる」といったような内容は、説明しようがないから。

仁もこれと同じです。


論語の陽貨第十七の二一は、三年之喪について語られています。

宰我問。三年之喪。期已久矣。君子三年不爲禮。禮必壊。三年不爲樂。樂必崩。舊穀既沒。新穀既升。鑚燧改火。期可已矣。子曰。食夫稻。衣夫錦。於女安乎。曰。安。女安則爲之。夫君子之居喪。食旨不甘。聞樂不樂。居處不安。故不爲也。今女安。則爲之。宰我出。子曰。予之不仁也。子生三年。然後免於父母之懷。夫三年之喪。天下之通喪也。予也有三年之愛於其父母乎。

宰我という人物が孔子に問うたんですね。親が死ぬと三年間喪に服すべしとされているけれども、長すぎるのではないか? と。一年経てば季節は一巡し、新しい収穫もある。自然に従って、服喪は一年で十分ではないのかと。

孔子は宰我に「1年でメシウマになれるのか」と問い、宰我が「十分メシウマです」と答えている。孔子は「なら、好きにすればいいではないか」と。

宰我が去った後、孔子は言いました。可哀想なやつだと。生まれて三年間、たっぷり親の懐に抱かれて育っていればたった1年でメシウマになんかなりはしないのに。

論語の注釈書のほとんどは、「予之不仁也」を「不人情な人間だ」と予(宰我)に対して批判的に訳します。孔子が宰我に批判的だったと考える。論語を倫理規定だとするならば、その解釈は妥当でしょう。

でも、論語が理論書だとしたら?
そうであるなら、「不仁」は「不人情」ではなく、単に「仁が欠けている」という解釈になる。そして「仁」が「愛着(に満たされたライフスタイル)」だとするならば、「不仁」とは「愛着障害(を抱えたライフスタイル)」ということになります。

親から子への「三年之愛」があって、子から親への「三年之喪」があるんだと孔子は言っている――と解釈するならば、これは人間観察に基づく理論書です。

まだ詳細を見ることはできていませんが、もし論語が理論書だとするならば、愛着理論がその特徴を描き出す非安定型の愛着スタイル(回避、不安、恐れ・回避型、未解決)は、論語が指摘する不仁の特徴(同、盗、絞、慍など)と対比的に語ることができるはずです。

学者さんのお仕事にでしょうけれど。


論語が理論書であるとするならば、疑問がもうひとつ。なぜ、倫理経典になったのか? という問いが立つ。

理論・倫理という区別は、近代以降の人間のものの見方です。古代では両者に区別はなかった。とはいえ、やはり近代以前のどこかで論語は倫理経典になったということができる。なぜなら、近代を経過した現在もわれわれは論語を倫理経典だと解釈しているから。

では、その変化は、いつ、誰がどこで?


孔子が生きていたのは中国の古代、春秋戦国時代。諸子百家の時代。百家はしかし、淘汰を受けていくつかに絞られた。儒、老荘、法(家)あたり。

中国を統一した秦が採用した理論は法家のものでしたが、秦はわずか20年余りで滅び、後を継いだ漢は儒を採用した――表向きは。

漢の統治理論は表は儒だが、裏は法だと言うべきです。ここで理論が倫理になった。「三年之喪」は自然観察の結果ではなく、服務規程になった。三年之喪に服さないと、法から外れていると見なされるようになったわけです。


理論が倫理にすり替わっていくという現象は、現代でもカンタンに見出せます。というか、現代においても普遍的な現象です。むしろますます普遍的になっているかもしれません。

言葉が現実を規定する。父や母といった身近な存在を指し示す言葉ほど、規定性が強くなる。映画『万引き家族』は、血はつながっていないにもかかわらず、それでも「父」や「母」という言葉を倫理規定として受容している人間の物語でした。


儒という理論体系が倫理体系へと変質していったのは、これは「中国の方法」というべきものです。「中華」と(自分たちが呼んだ)地域に出現した文明の統治の方法です。

同様の理論体系から倫理体系への移行には、さまざまな文明でそれぞれの方法があります。資本主義もそうした方法のひとつ。ユダヤ教、キリスト教、プロテスタントと変移していった歴史の流れの中で出現した方法。

プロテスタントの「予定説」だって理論ですから。


時代や地域によって「方法」は異なるけれども、それでも理論を倫理へと変質させていく同一の原理があります。愛着理論はその原理を説明することができる(とぼくは思っています)。その原理は〈ことばの創造〉に特徴的に現れます。

安定型愛着スタイルの理解と、不安定型の理解は同じ理解に見えても内実は異なっています。論語はそのことを理論的に述べているのだけど、西洋発の文明体系――つまりはぼくたちが依拠している知の体系――のなかにそうした理論が見当たらないことが、実のところ、ぼくは奇妙に思っていました。

でも、そうではなかった。見落としていただけでした。

それにしても愛着理論の発祥が第二次大戦後というのは、いかにも西洋という印象を抱きますが。


※追記

「仁」や安定型愛着スタイルは理論で論理的に表現するのには適しない内容のものですが、それらを表現するのに適した表現方法もあります。

中身は4コマ漫画なんですけど、表現されているのは「仁」です。

このTVのバラエティ番組なんかもそれっぽい。


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愚慫@井ノ上裕之
感じるままに。