最乗寺へ、大人の遠足。
昨日は最乗寺へ大人の遠足に行ってきました。
大阪生まれのぼくには、馴染みもなければ知りもしなかった最乗寺。
場所はというと、
住所でいえば、神奈川県南足柄市です。
ぼくには馴染みがない最乗寺ですが、現在暮らしている富士吉田市では、かつては馴染みの場所だったそうです。これも、「かつては」と書かなければなりませんが。
富士吉田ではかつて「道了講」というもの盛んだったそうです。
“道了”というのは人物の名前。
最乗寺の開祖庵慧明の弟子だった妙覚道了。寺の建設に500人力を発揮し、師の死後は天狗になったという伝説があるそうです。
講を組んで信仰したのは、仏様よりもしろ天狗様だったんですね。だからでしょう、最乗寺はお寺なのに初詣で賑わうらしい。現代に生きる神仏習合の聖地とでも言いましょうか。
師匠より弟子の方が人気があるお寺。
引率の先生によれば、道了さんは現世利益があると信じられていたということ。それで、富士吉田は織物業が盛んだったこともあって、信仰する人が広がったのだろう、と。
最乗寺には講の人たちが寄進をしたという祈念碑がたくさん残っています。昔のものは素人には読めないので比較的新しいものを見てみると、鳶職や港湾労働者、それから消防などが目に付きました。生命の危険と隣り合わせの仕事ですね。
現世利益というと現代ではすぐに金儲けを連想しますが、そうしたこととは少しずれていたのかもしれません。
門をくぐると、目に飛びこんできた風景。
立派な社ですが、ぼくが感じ入ったのは後に控える森の方。
境内には土産物屋があったりする入口のあたりから杉などの大木がたくさんあって、それなりの雰囲気です。由緒があって格式が高い、「かつての聖地」という雰囲気があります。
ここもやはり「かつての」と書かなければなりませんが。
ところが、ここの森には「かつての」ではない〈気〉が感じられた。
“霊気”といっていいと思います。
最乗寺には奥の院があります。
奥の院に祀られている(?)のが道了さんです。
奥の院へはかなり急な石段を上がっていきます。門をくぐり石段を登り始めると、霊気は一段と濃くなった。これは上り詰めると凄いことになっているかもしれないと期待しつつ、明後日あたりに筋肉痛になるであろう肉体負荷を掛けていきました。期待でどうしても足が速くなる...。
ところが、登るにつれてスカスカになっていってしまいました。妙だとは思ったのですが、道了大薩埵を拝んでからお堂の裏に回ってみて納得がいきました。
裏山は伐られていました。といっても、樹齢から見るに7~80年くらい前のことでしょう。70年経てば、森は、「体躯」はそれなりのものに育ちます。が、まだまだ若い。霊気を醸し出す威厳とでもいうべきものが出てくるには、少なくとも200年くらいは経たないと。
森という集合体で200年以上。単体の木なら500年かな。
何の証拠もないぼくの直観でしかないけれども、裏山は時期的に考えて戦中に伐られたのでしょう。軍事物資にされたのかな。
「表」は神仏を恐れたのか、体裁を考えたのか、伐られずに済んだけれども、「裏」は見えないからいいだろう、ということになったのではないか。
期待をしただけに、かえって残念な想いをしてしまいました。
余談です。
“最乗寺”で検索すると、「パワースポット」という言葉が出てきます。そう言いたくなるのはわかりますが、せっかくの「パワー(霊気)」も焦点がなくなってしまているというか。
奥の院が焦点だったろうと思うのですが、底といういより蓋ですしょうね、外されてしまっている感があります。もったいない。
余談の余談。
最乗寺には“座禅石”というものがあります。開祖庵慧明がその上で座禅を組んだという言い伝えがあります。
この石には「ある」と感じました。手のひらをかざしてみるとピリピリとしたものが感じられます。
それは山の霊気とは異なるもので、何なのかはぼくにはわかりません。山の霊気は「優しさ」と「大きさ」が合わさった包容力を感じるけれど、その石はむしろ「厳しさ」、いえ、「険しさ」であるような気がしました。
もしかしたらですが、庵慧明は座禅を組んで、その石の上で邪念を取り払ったのかもしれません。
感じるままに。