社会貢献
太陽がギラつくある真夏の昼下がりのビアガーデンに専門学校時代に仲が良かった連中10人ほどで集まった折、「社会貢献」という言葉がKの口から発せられた。
ぼくの専門学校での生活態度はあまり良いとは言えないものでした。
授業に行かずゲーセンで遊んでいて課題の提出が間に合わず、みんなに手伝ってもらったこともありました。
そんなぼくから見ても、正直、学生時代のKがそれほど意識高い系の人物だったとは思えなかった。
卒業してから身を置いてきた環境がKを変えたとしか思えない。
当時、「社会貢献」なんてまったくもって意識したことがなかったので、「こんなに差がついてしまったのか」と、衝撃混じりに、思った。
それ以来、頭の片隅に「社会貢献」の四文字が刻み込まれ「おれはどうやって社会貢献していこうか」と、だんだんと考えるようになっていった。
職に就き、所得を得て、税金を納める。
これだって立派な社会貢献だ。
かなり重度のアトピーで苦しんでる身内がぼくにはいる。
親戚同士で集まる行事があっても、彼はなかなか来れない。
アトピーで体調がすぐれないからだ。
親戚同士のこんなカジュアルな場ですら。
そんな彼が働きに出ることは、かなり高いハードルだろうと想像に難くない。
実際、引き籠もっている。
だから、さっき言ったみたいな、職に就き、所得を得て、税金を納める「社会貢献」は彼には出来ない。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われる。
きっと健全な精神状態にある人なら、「誰かの役に立ちたい」「困ってる人がいれば助けてあげたい」と、多くの人がそういう心持ちでいると思う。
だけど、アトピーによって体を痛めつけられている彼は、残念ながらきっと健全な精神状態ではないと思う。
「誰かの役に立ちたい」と思うより前に、「自分のことをどうにかしてくれ」と、思っているかもしれない。
きっと、やりたいことだってたくさんあるだろうに。
彼はシルバーアクセサリーが好きだとおばさんから聞いている。
ジャスティンデイビスというブランドのものが好きだと言っていた。
ぼくが作るシルバーアクセサリーはジャスティンデイビスとは随分毛色が違うが、シルバーアクセサリーであることには違いないから製造過程はそれほど大差はないだろう。
アトピーで苦しんでる彼は、その日の体調によって大きく左右される日常生活を強いられている。
体調が良ければ動けるだろうし、悪ければ体を横たえているだろうし。
だから、動けるときでいいから、ぼくのブランド“gush”のシルバーアクセサリー製作を手伝ってもらいたいという思いがある。
シルバーアクセサリーが好きなら、それを製作することだってきっと好きだと思う。
好きなら、少しくらいしんどくても乗り越えていける。
自分自身がそうだったから。
ワックス取りだっていいし、
取ったワックスの修正だっていいし、
キャストの湯道をヤスるのだっていいし、
ロウ付けだっていいし、
仕上げだっていいし、
全部任せられたら非常に助かるし(笑
でも、今は給料を払ってあげられない。
払ってあげられるほど売れてはいないから。
だけど、たくさん売れるようになってぼくひとりでまわしていけなくなったら、そんな状況になればきっと給料だって払ってあげられるようになってると思うし、そうなったら彼に声をかけて手伝ってもらおうと思ってる。
嫌とは言わないだろう、と、思ってる(笑
だから、たくさん売りたい。
たくさん売れるようになるために、最低条件として、身に着けたいと思ってもらえる魅力的なアクセサリーをどんどん生み出す必要が、先ずはある。
そして、最低条件よりももっと大切なこととして、生み出された魅力の詰まった”gush“のアクセサリーをたくさんの人たちに知ってもらうことこそ、最重要事項なのです。
これらをクリアするためにも自分の視野を広げる必要性を痛いほど感じています。
自分自身が視野の広い魅力ある人間なら、生み出すアクセサリーにもきっと魅力が詰まってる。
そのアクセサリーたちをどうやって世の中のみんなに広く知ってもらうか。
広い視野、優れた見識があれば、もっと確実にたくさんの人たちに伝わるのだろうと思うのです。
でも、今まで、授業をサボってゲーセンで遊んでいたような人間に、そんな高尚な能力が一朝一夕に身につくはずもない。
日本の社会人が一日にする平均勉強時間は 6分 というデータがあるそうです。
6分なんて、うちの猫たちとイチャイチャしていればあっという間に経ってしまう時間です。
勉強と言ったって数学や古文の勉強をする必要なんて全くない。
もっと生活に則したことを知るように興味を持つだけでも、随分取り込む知識の質・量が共に違ってくる。
それだって勉強だとぼくは思う。
そういうスタンスで勉強をしていく中にでも、きっと”gush“を世の中に広く知ってもらえるヒントが埋もれていると思うのです。
そのヒントをもとに行動した先に広がるであろう、ぼくが目指す「社会貢献」のひとつのカタチは、親戚の彼を巻き込むことです。
毎日毎日部屋に閉じ籠って陰鬱に生きるより、同じく部屋に閉じ籠るにしても、なにかに打ち込んで清々しく毎日を生きる方がどんなに幸せなことか。
そんなの火を見るより明らかです。
ほかのカタチの「社会貢献」はまたいずれ。
モノを売るということの難しさや、そのためのアプローチの仕方など、ぼくが気づいたことや実験したことなんかも報告していけたらと思っています。