言葉はじゆうかもね

例えば、教室の窓から見える木々がすっごい綺麗に緑だったら、

退屈な日常。そこから目を背けると、窓の外で木が青々と夏の始まりを囁いている。

なんて遠回しに遠回しに書くとそれっぽい小説の冒頭にみえてくる。おそらくこの語り手は主人公で、これから退屈な日常を覆す出来事が起こるっぽい。


現実は違う。
夏の始まりとかいって、湿度高すぎて肌がペタペタする。腕がルーズリーフにひっついて気持ち悪い。
ついでに、先週うっかり授業を休んでしまったがためにレジュメが手元にない。親しい友人がこの授業にはいない。後で後輩に連絡をとるか。とりあえず90分は拙いメモ書きを走らせるしか術がない。え、めんど。
木がめっちゃ青々しいとか、まじどうでもいい。

これが日常だ。


別に、ポエミックな言葉を批判したいわけじゃない。どうでもいい事柄も、文章にしてみると意味ありげにみえてくるということが言いたいだけだ。
言葉を紡ぐのが楽しいのはこういうところに理由があるのだと思う。


もっというと、既存の表現に囚われる必要もない。

言葉と意味内容の繋がりには必然性なんてなくて恣意的なものだ。

と昔の人が言った。
私の学問分野において耳にタコができるほど出てくるフレーズなので、これを引用してくるのはナンセンスかもしれないな。

フサフサしてニャーと鳴く動物を「ネコ」と呼ばなくたって別にいい。「イヌ」でもいいし、「ナラタカ」(適当にキーボードを打った)とかでも構わないっちゃ構わないのだ。
ただ、フサフサしててニャーと鳴くものとワンと鳴くものに差異をつけた方が人間的にありがたい。


話がそれたが、こういう訳で言葉は無限の可能性を持っていると私は思っている。


だから楽しい。

だからこうやって書いている。

とこんな感じでぽつりぽつり独り言をほさいていきます。独り言なので脈絡がない時もあるかもね。


はい卍。


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